歴史で紐解く“花火の町”の地場産業

東京ウォーカー(全国版)

江戸時代に日本三大花火のひとつに数えられた山梨・市川三郷町。

その起こりは平安時代、まだ山梨が甲斐の国だったころ、源義清が京都から紙漉き名人の甚左衛門を従えてやって来たことがはじまり。甚左衛門は、美しい紙を漉く技術を市川の地に伝え、今でもこの地の地場産業として地域を支えている。

この甚左衛門の功績を称えて神明社(紙の神様を祀る社)に祀り、命日にあたる7月20日を神明社の祭りの日と定めたのだが、そこで、市川はかつて武田氏の軍事用狼煙の生産地であったことから、その技術を用いて盛大に花火を打ち上げたことに由来し、「花火の町」として県内外に知られるように。

現在でも「神明の花火大会」(山梨)は、2万発以上の花火が披露される山梨県最大規模の花火大会だ。

ほかにも、徳川家康の出生地であり、鉄砲隊の基地でもあったことから火薬の取り扱いに長けていた愛知県岡崎市が、地場産業として伝統的に花火を製作していることが広く知られている。

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