江戸時代の頃より、徐々に今の商店街の形へ成りはじめたという寺町京極商店街に、“京都のすき焼き”といえば知らぬ人はいないほど、有名なすき焼き店がある。1873(明治6)年創業、川端康成や池波正太郎などの文豪をはじめ、各界の名だたる著名人も足を運んだ「三嶋亭」。「お客様にお出しするものの過程は、直接自分の目で確かめないと」と、取材の前日まで休暇だったが、塩作りや器の制作体験をしてきたばかりという5代目・三嶌太郎さんが、こんがり陽に焼けた顔で語ってくれた。
三嶌家はかつて会津藩の公家侍に仕えていたが、大政奉還を機に時勢が変わり、後に「三嶋亭」の初代となる兼吉さんは妻・ていさんを連れて新たな事業を興すべく、当時西洋文化の玄関口であった長崎へ渡ったという。まだあまり牛を食べる習慣が根付いていなかった時代、そこで“牛鍋”という料理に出会った氏は、その調理方法を学び京都へ。割下(醤油やみりんなどをあわせただし)で肉や野菜を一緒に“煮る” 関東風の牛鍋としてではなく、砂糖や醤油で肉を“焼く”関西風のすき焼きとして提供しはじめる。パイオニアというものは、本人の並ならぬ努力と共に、それを支える人の存在も大きいに違いない。「三嶋亭」という名は名字と妻の名を併せて付けられたのではないかと一説に残るそうだ。
極上の肉の秘訣は、伝統の熟成技術にあり
「三嶋亭」では、看板メニューのすき焼きをはじめ、少し分厚めに切られた肉を上質の油で焼き上げるオイル焼き、しゃぶしゃぶとしていただく水炊きなど、味わい方を選ぶことができる。
店で出す肉は、敢えて産地は限定せず、競りで見極めた国産の黒毛和牛を使用。「15歳の時から、長期休みの際には市場へ足を運び、肉の目利きのイロハを学ぶようになりました。先代である父は、背中で教えるタイプ。等級のラベルなど見なくとも、触感や脂の出方で肉の良し悪しが分かります」と三嶌さん。
「三嶋亭」では一頭買いした骨付き状態の枝肉を約1か月熟成させる。「肉は本来熟成させる方が美味しくなる。アミノ酸が増え、コクや旨みが増えるんです」。しかし、徹底した管理で熟成された肉は、食べる部分のみ残して削ぎ落とさなければならないため、非常にコストがかかる。競りから「真空パック」にして提供する店も多いなか、三嶋亭では受け継がれてきたこの独自技術を守り続けている。ゆえにとろけるような肉本来の旨みが味わえるのだ。
「三嶋亭」は、数寄屋造りで建てられた建築自体も味わい深い。明治期から続く旧棟と、大正期に隣の旅館を買い取った新棟とが階段で繋がり、意匠の異なった個室が約20室、大広間や中広間も合わせると90席がそろう。漆芸家・番浦省吾による欄間や舟形天井など、細部にも注目したい。
“ほんまもん”の食をお届けしたい
幼いころより毎日丁寧に作られた料理を口にしていたという三嶌さん。「母は、鰹節を削ったり、おじゃこの頭をとったり、昆布から出汁をひいたり…と、私も手伝いましたが、手を抜かずに“ほんまもん”の料理を食べさせてくれました」。若くして店を継いだ三嶌さんにとって、大きなターニングポイントとなったのは約16年前。今でこそバイタイリティーあふれる三嶌さんだが、死を覚悟するほどの大病を患ったという。「なぜ自分がここに生まれ今こうしているのか、深く自問自答しました。辿り着いた答えは“日本の、京都だからなのだ”というシンプルなものでした」。
ただおいしい肉を提供して運営するだけでなく、日本ならではの味・体にいい料理=京料理を知ることこそ大切だと思い至る。油や砂糖など極力使わない京料理、それに対してすき焼きは、対極にあるもの。しかし三嶌さんはそれを踏まえた上で、「サシののったうまい肉は、ハレの日のご馳走として楽しんでもらえればいい。どれほどおいしいものでも、食べる人が健やかでなければ楽しんでいただけないでしょう」と語る。
京料理のほか、医食同源が根底にある東洋医学も学んだという三嶌さんは、新たにコース仕立てで肉を堪能できる「花コース」(税抜1万7500円※2日前までの要予約)を考案。肉をメインに、季節折々の八寸などの前菜のほか、菓子や薄茶もついて、体によい日本の旬のものと京都の粋が味わえる。三嶌さんは、現在は週に何度か大学へ通い農学も研究中という。
歴史深い寺町京極商店街のなかでも、商店街と共に歩み、老舗として名を馳せる「三嶋亭」。良い伝統は守り続けながら、今なお革新的な挑戦も続ける姿に“なぜ愛され続けてきたのか”、老舗たり得る理由を見た気がした。ハレの日にはぜひ、特別な思いを味わいに訪れてみよう。
注:2019年10月から価格変更があります
※三嶋亭 本店はAmexとJCBの地元を応援するプログラム「SHOP LOCAL」参加店です
【構成=CRAING/取材・文=松原千明(エディットプラス)/撮影=谷口哲/ウォーカープラス編集部】
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