【漫画】運動会の練習に懸命な息子を支える母。先生との認識の違いに黙っていられず…/「息子が学校に行けなくなった理由」
突然、学校に行けなくなった息子さんに関する体験を描いた漫画「息子が学校に行けなくなった理由」。花森はなさん(
@hanamori_h
)がSNSにアップしているこの作品が、同じような経験を持つ親などから共感の声を集めている。ウォーカープラスでは、同シリーズを花森さんのインタビューを交えて連載形式で紹介する。
36話から学年全体での運動会の練習が始まるが、必要な持ち物を知らされていなかった息子さん。練習に参加できないと、パニックを起こしてしまう。花森さんはその場から離れようと努力するが、練習担当のM川先生が言い放ったのは「出して」という言葉。

息子さんが学校に行くのを怖がるようになった原因でもあるM川先生。花森さんは全身の血が引く思いだったという。「パニック状態だったので、息子の耳には入っていませんでしたが、場の空気が凍りました。シーンとしている中で、息子の声だけが響いている状態でした。一刻も早く外に出ようと思い、それまで以上に強い力で引っ張りました。息子はかなり体格がよくて小4だった当時でも、ほかの方の手助けなく連れ出すのは、かなり厳しかったです」

怖がる息子さんを囲んで「頑張ろう」と声をかける先生たち
花森さんが帰ろうと声をかけても残り、最後まで体育館のガラス越しながら練習に取り組んだ息子さん。終了後、荷物を取りに行って戻った花森さんが見たのは、先生たちに囲まれている姿だった。「先生方に囲まれて、完全に固まっていました。M川先生には、息子が怖がっているので、声をかけたり関わるのを最小限にしてほしいとお願いしていたのに、先生全員で取り囲んで『次は頑張ろう』と言っているのは、息子にとっては恐怖でしかなかったと思います。先生からしたら、パニックを起こした子を励ましてくれていたんだと思いますが」と花森さんは話す。


この出来事がきっかけで、花森さんはM川先生に真っ向から意見をぶつける。「M川先生に意見を言ったのは、本当にこの時だけです。私自身が何を言われても我慢できるし、練習を追い出されただけなら何も言いませんでした。でも、息子に『先生もだめやったね、ごめんね』ではなく『次は頑張ろう』と言うってことは、教員には落ち度はなく、息子だけの落ち度だと言われているようなもの。その認識の違いをわかってもらわなくてはと思いました」


「せっかく(息子さんを)落ち着かせたのに」というM川先生の言葉も印象的だった。「最初に学校へ行けなくなった時から、このころもずっと、息子は毎晩のようにM川先生が怖いと言って暴れて、寝かしつけるのに2時間ぐらいかかっていました。先生が怒鳴らなければそうならなかったのにと思いますが、先生は息子がそこまで怖がっているのだとは思っていないようでした」と、花森さんは振り返る。
その後、帰る前に花森さん親子は保健室へ行くことに。保健室のK野先生とは、12話で学校との話し合いが行われて以来、基本的に話すことはなかったという。「話し合いの時には、『息子君は薬では治りませんよ』と言われて薬を反対されましたが、そのことをかなり気にしてくれていたようです。声をかけるきっかけがなかったそうで、のちのち、お詫びの言葉をいただきました。話し合いの時はピリっとした場であちらも構えていたけど、この時はフレンドリーで、印象がかなり変わりました。娘が小学校に通っているので息子が中学生になった今も会うことがあるのですが、息子のことも気にかけていてくれますし、世間話もします」

「この後は、支援の先生がお休みの場合は息子がパニックになった時の逃げ場所にさせてもらったり、給食を保健室で食べたりと、だいぶ助けていただきました」と、この時から保健室の先生との関係は良好になったそう。
しかし、帰宅した花森さんは、運動会の練習の件で、旦那さんにだけ校長先生から謝罪があったことを知り驚く。「旦那に『お前は聞かない方がいい』と言ってシャットアウトされたので、いまだにどういう話し合いがされたのかわかりません。私以外にもよく聞く話なのですが、学校関係は、お父さんが出たら話が進むということがよくあります。普段対応しているのはお母さんでも、話し合いとなるとお父さん。謝罪もお父さんにということが多いです」と、現場にいなかった旦那さんと校長先生の間で話が終わったそう。

さらに、花森さんは支援主任の先生から、平日の昼間に実施される「不登校の子を持つ親のつどい」に参加してみては、と案内を渡される。「正直、気持ちがよくなかったです。それまでにいくらでも渡せる期間はあったはずなのに、この時に渡したということは、私がストレスでM川先生に怒鳴ったことになっているんだと…。付き添い自体は息子のためなので、ストレスではありません。それに、この会は平日だから、『息子は学校で見てくれるんですか?』と聞くと『それはできないです』となって終わり。それ以降もこういう案内はいただけませんでした」

学校全体の支援の体制に課題があったのではと花森さんは言う。「主任は支援の先生の担当状況を把握して仕事を割り振るのが仕事ですが、そういうことが機能していなくて、人が本当に足りないんだと思いました。当時の主任の先生は、私が離れている時に息子がなぜパニックを起こしたかを聞いても『知りません。わかりません』と把握されていないことが多かったです。娘が小学校に通う今現在は、特別支援の知識や資格のある先生がいらっしゃって、かなり改善されて違う学校のようです」
学校との関係はさまざまに変化しながらも、息子さんはこのあとも、友達の協力を得ながら運動会の練習に取り組んでいくという。懸命に学校生活を送る姿を描く「息子が学校に行けなくなった理由」。ウォーカープラスでは毎月紹介していく予定なので、今後の展開を見守りたい。
取材・文=上田芽依(エフィール)