コンクールは玉砕続き、ウン百万円の楽器に親ビビる…グラミー賞ヴァイオリニストが劇的な半生を自ら漫画に!【作者に聞く】
ニューヨークを活動拠点にして活躍している、ヴァイオリニストの徳永慶子さん。5歳でヴァイオリンを始め、高校2年生で単身渡米し、ジュリアード音楽院予科に編入する。その後、同音楽院より学士、修士号およびアーティスト・ディプロマを得た。邦人ヴァイオリニストで初のグラミー賞を受賞し、ソリストとしてスペイン国立管弦楽団、バルセロナ=カタルーニャ管弦楽団と共演するなど、世界的に活躍を続けている。
「ヴァイオリニストができるまで」は、そんな徳永さんが
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で公開しているコミックエッセイで、ヴァイオリン人生が始まった5歳からスタート。当時の気持ちから先生の指導方法、金銭的な悩みまで紹介している。現在(2023年5月14日)、小学校を卒業したところまでが配信済みで、今後は中学校、高校と進み、ジュリアード音楽院に入学するまでを描く予定だ。

さまざまなコンクールに挑戦しては涙をのんだ。音楽家の家系でもない“庶民派クラシック音楽家”がプロになるまで
ネコ耳を付けた徳永さんがかわいらしく、時には毒や弱音を吐きつつ練習する姿が、笑って泣けるコミックエッセイ。世界中で音楽活動をしながら漫画も描くというハードスケジュールを過ごしている。「(漫画にしたのは)やはり、絵を描くことが大好きだからです!また、文章で表現すると当時の辛かった記憶や母とのバトル(笑)がリアルに感じられすぎてしまうのですが、柔らかいイラストにすることでワンクッション置いて、自分の過去と向き合うことができるように思います。『ヴァイオリニストができるまで』は、私が今の自分になるまでの記憶を、愛と感謝を込めて整理するプロセスの一部なんです」と言う。
また、アニメ好きなオタク気質が本作を描いたきっかけでもあるとか。「私は、何を隠そう根っからのオタク(笑)。小さい頃から漫画やアニメ、ゲームが大好きで、2次元の世界は私のアイデンティティの一部だと思っていますし、アメリカで生活する今、日本が作り出したこの文化に誇りを持っています。ただ、クラシック音楽に関する漫画やゲームは極端に少なく、存在してもちょっと現実味がなさすぎる内容だったりすることがあるので、『へー、リアルのクラシック音楽家ってこんな感じなんだ』と知っていただけるような情報を発信したかったんです。そして、私はどちらかというと『日本でのクラシック音楽家の王道』というような道を歩まず今まで活動してきているので、もしかすると昔の私のように悩んでいるヴァイオリニストの卵たちや、その親御さんに元気をお裾分けできるかも?と思いこのシリーズを描き始めました。私の絵は稚拙ですが、お絵描きは幼少時から大好きだったので、毎回心を込めて描いています」と話す。





実際、読者には自身がヴァイオリンをやっていたり、子供がやっていたりする方が多く、描かれている内容に「わかる、わかる!」というようなコメントも多い。「『ヴァイオリニストができるまで』は、今まさにヴァイオリニストになるべく頑張っているお子さんや、その苦難の道のりを支える親御さん、そして大人になってからヴァイオリンを始めた大人の生徒さんなど、『ヴァイオリンが人生にとって大事な意味を持っている』という方々のために発信しています。もちろんヴァイオリンだけでなく、ピアノやフルート、バレエや体操など、さまざまな形の芸術と向き合い日々頑張っている方々すべてを応援する漫画になればいいな、と思っています」と言う。
徳永さんのプロフィールにある「ベストでもパーフェクトでもない、ユニークな庶民派クラシック音楽家」という肩書きに、音楽一家ではない家庭の人からの共感も多い。「日本ではクラシック音楽に対して『敷居が高い』とか『小難しくてわからない』という印象を抱いている方が結構いらっしゃるようなのですが、私がヴァイオリンを始めたのは格式が高い家に生まれたからでも、西洋の文化に囲まれた特別な環境にいたからでもなく、ただ単に『テレビに出たかったから』という不純な動機からでした(笑)。我が家は普通のサラリーマン家庭で、両親も私が家にいないときは演歌や70年代の懐メロを聴いている、ごく一般的な日本の家族です。漫画の読者様やコンサートに来てくださるお客様に、『あら、ヴァイオリンを持っていない時は私とあまり変わらない一般の人なのね』と親しみを感じていただきたく、『庶民派』を名乗っています」
人生最大の恩師であり“忍耐力の鬼”小宮先生との出会いが、ジュリアード音楽院に留学し、アメリカで活動できるきっかけに





この作品は、ヴァイオリンを始めたきっかけから、担当された先生のこと、発表会、コンクールや、当時の心境や出来事などの描写が詳細なのも特徴で、「小学校編までは、自分の記憶ももちろんありますが、幼かったため記憶が薄れている箇所もあったので、母と『あの時こんなことがあって大変だったよねー。そういえばあんなことも言われたし!』と思い出話をしながら、そしてほんの少しフィクションも交えながら描いてきました。でも、コンクールで玉砕し続けた時の感情やレッスン中の苛立ちなど、とても強かった感情は今でもありありと覚えていますし、当時の自分のやる気に火をつけてくれた大事な思い出だと思っています。中学校編からはほぼ自分が覚えていますので、かなり私の主観が強くなっていく予定です。年代を追って詳細に描いているのは、自分の備忘録として、そしてさまざまな年代のヴァイオリニストの卵たちに私の経験を知ってもらいたかったからです」と語る。
また“ズボラでサボり魔”の徳永さんを根気よく何年も教えてくれた、人生最大の恩師・小宮先生とのレッスン風景の描写も実に細かく、その辛さが伝わってくる。小学4年生から受けていた、小宮先生の指導のよさとはどんなところだったのだろうか。「小宮先生の素晴らしさは多々ありますが、私にとって幸いだったのは先生の果てしない忍耐力にあると思います。私、本当にかわいげのない子供だったんです(苦笑)。だから、表立って口答えとかはしないけれど、数時間あるレッスン中ニコリとも笑わない、口も聞かない(挨拶と、先生に質問されたことに対し答えるだけ)…。正直言って、私が先生だったら『そんなに嫌ならもう来なくていいよ』って言っちゃったと思います。でも、小宮先生は、良くも悪くも絶対諦めない。『これができるように練習しよう』って、5回でも、30回でも、200回でも付き合ってくださるんです。ちゃんとできるまで
絶対に諦めてくれない
。レッスンの時間をオーバーしても、黙って監督してくださいました(私は『もうできないんだから諦めてくれよ!』って念じていましたが)。私がズボラでサボり魔だから、ちゃんとここでできるようになるまで見届けてから家に帰そう、と思っていらっしゃったのかもしれませんね」
「漫画でもチラリと描きましたが、今でこそこのように感謝していますが、当時の私は毎回レッスンの後に激怒のあまり先生の玄関マットをけちょんけちょんに踏みつけていました(先生、ごめんなさい)。それでも『小宮先生のレッスン、やめる』と言わなかったのは、どんなにイラついても『先生は私のためを思って言ってくださっている』ということを無言のうちに感じ取っていたからだと思います」と言う。




現在、徳永さん自身も生徒を持つ立場に。自身の指導や、親が子供に指導する時に、小宮先生の指導方法で参考にすることはあるだろうか。「世の中には『あなたのためを思って』とか『こうするのが一番いいんだから、私が言うこと聞いておきなさい』と、アドバイスをくださる方が多々いますよね。もちろん良心からこのように言ってくださっているのはわかるのですが、小宮先生は7年間お世話になった間、一度たりともそのような言葉を口に出す事はありませんでした。反抗期が激しかった私には、この『無言の献身』、それも私に対する献身ではなく、私たち2人の共通言語、『音楽への献身』を身をもって現してくださっていたことに、本能的な敬意を抱いたのだと思います。偉大な作曲家が力を振り絞って書いた作品に対し、全力で挑むのは私たち演奏家の義務である、ということを理解させてくださったのは、小宮先生の『静かな本気』だったと感じています」
とはいえ、「これほど丁寧に、辛抱強く練習するのは、はっきり言って親御さんには無理です!どんなに音楽に詳しい方でも、親子という関係上どうしても喧嘩になってしまいます。ですから先生との巡り合いは、本当に大事。ご自分にあった指導をしてくださる先生を見つけ、その先生を信じてお任せしてみることが一番だと思います」

また、徳永さんの生徒に対する指導内容は、自身の人生感を現しているようだ。「私は『音楽』というジャンルの芸術に携わらせていただいておりますが、芸術というものは発信者のスキルや感性もさながら、それを受け止める方の主観が判断の価値を大きく左右します。ですので、『誰からも愛されるように完璧にしよう』『この分野で誰もが私が一番だと認めてもらおう』と“他人軸”で行動していると、絶対に満足できる結果は得られないと感じています。それよりも『これが私の音楽です!好きな人は見にきてね』というスタンスにし、『自分らしさ』『自分にしかできないこと、作れないもの』を自分の中でその時最高のレベルでご提供することがアーティストとして長続きできる秘訣なのでは…と思い、『ベスト(最高)やパーフェクト(完璧)もいいけれど、ユニーク(唯一)はもっといい』をモットーに活動し、指導の際にも生徒さん一人一人の『ユニークな輝き』を見つけ、磨き上げていくように心がけています」と語る。
現在小学生編が完了したところで、中学・高校編の制作はこれから。「次回の更新からいよいよ中学校編に入りますが、ここから私自身のヴァイオリンとの向き合い方の変化や学業とヴァイオリンの両立に関する苦難、そしてよく質問される『英語はどうやって勉強したの?』問題、そして留学を決意するまでの心境の変化などを、思い出せる限りありありと表現していく予定です。この作品を通して、私自身はもちろんのこと、読者の皆さんが『自分が自分らしくいることの大切さ』や『自分に生きる意味を思い出させてくれるもの』について考える機会を設け、より素敵な人生を歩んでいただけたら幸いです」」と、今後の展開について語ってくれた。
夢はコミックエッセイの出版。ヴァイオリニストとしては世界中で演奏し、音楽家人生を満喫!
これからの展開もいろいろ考え中。「漫画に関しては、これは予定というより夢なのですが、いずれ『ヴァイオリニストができるまで』を出版できたらと願っています。Instagramで載せている漫画のほかに、文章や書き下ろしのコミックエッセイを詰め込んで、日本の皆様にお届けできたらうれしいです!また、よくアメリカの友達から『ケイコの漫画、読みたいけど日本語だからわからない!』とブーブー言われているので、英語版も出そうかな、と思っています。ヴァイオリニストとしては今後も活動の拠点はニューヨークになるとは思いますが、室内楽やソロ、オーケストラのお仕事で大切な仲間たちと世界中で演奏活動を展開していく予定です。練習は大変だけれど、ヴァイオリンが地球上のいろいろなところに連れて行ってくれるので、これからも音楽家人生を満喫していきたいと思います!」
取材・文=澤田佳代