戦時中に養母から受けた、壮絶な「家族内いじめ」を語る。「親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話」制作裏話【92歳祖母の告白】

Instagramやライブドアブログ「ゆっぺのゆる漫画ブログ」で、実話をもとにしたエッセイ漫画を描く漫画家のゆっぺさん。ブログは2021年には月間3000万PVを記録し「ライブドアブログ OF THE YEAR2021」最優秀グランプリを受賞。2021年12月から執筆してきた 「親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話」 では、戦前から生きる“祖母・キヨさん”の幼少期からの実体験を漫画化し、コメント欄を解放した最終話には500件以上の熱い応援コメントが寄せられた。


「親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話」の著者であるゆっぺさんと、物語の主人公である現在92歳のキヨさんに交互にインタビュー。今回はキヨさんの戦争中の大変について伺った。「当時は、自分は人間ではないような気がしていました」と語るキヨさんが経験したこととは…。

「楽しみ」について考える、ということ自体がなかった子ども時代

戦争中は、学校では国のために畑仕事をし、家に帰れば養母の命令で畑に向かわされた(C)ゆっぺ/KADOKAWA

――キヨさんは戦争を体験していますが、そういった社会背景もキヨさんの人生に影響を与えていると思います。何年生のころに戦争が起きたのでしょうか?

私が小学校4年生のときに第二次世界大戦が始まりました。それからは学校に行っても勉強をすることはほとんどなく、食糧増産のために畑を耕したり、山から土を運んだりしていました。学校へ行っても農作業に従事し、家に戻っても畑仕事をしていました。

――子どものころに楽しみはありましたか?

子どものころは「楽しみ」について考えること自体がありませんでした。小学校3年生から朝からご飯を炊く係で、小学5年生でお姉さんたち家族が戻ってきてからは、学校に行く前に赤ん坊のおしめを洗わないといけなかったし、午後は子守りをしないといけなかったですから。ただ、1度だけですが義兄さんに映画に連れてってもらったことがあって、それは楽しかったですね。しかし、普段は楽しみを考えることすらありませんでした。

一度は学校を辞めようとしたが、義兄さんのおかげで辞めずにすんだ

本当は学校に通いたかったが、今の自分の環境を受け入れるために小学校を退学しようとしたキヨ。このあと、義兄の働きかけによって学校に通い続けることができた(C)ゆっぺ/KADOKAWA

――唯一、気を抜けたのは学校に行っている時間ぐらいでしょうか?

学校に行くのも、いい顔はされませんでしたが…。小学校5年生ぐらいから叔母さんにいろいろ言われるようになったので、6年生のときに先生にお願いして、学校を辞めさせてもらったことがありました。家に帰って報告したら、話を聞いていた義兄さんが「高等小学校(現在の中学1、2年生にあたる)までは行ってくれないと困る」とすぐに学校に頼みに行ってくれたので、辞めずにすんだのです。おかげで高等小学校の1年目まで行かせてもらいましたけど、叔母さんの本心としてはおもしろくなかっただろうと思います。朝、「行ってきます」と家を出ると、「帰ってくるなよ」と毎日のように言われていましたから。当時は、自分は人間ではないような気がしていました。

――まだ子どもだったのに、とても肩身の狭い思いをしていたんですね。

そうですね。そういえば、ひと夏、裸足で学校に行ったこともありました。叔母さんに「下駄の底が減る」と言われたんです。でも、下駄だけじゃなく家にあるものは全部、お前が使うために買ったんじゃないと言われて、使わせてもらないことがありました。ハサミを使うと、「それはおれのハサミだ」というので、姉さんが「こっちのハサミを使いな」と自分たちのハサミを貸してくれたりして…。何か使うたびに「それはおれが買った」と言われましたが、私はお金を一銭ももらっていなかったので何かを買うことはできなかった。叔母にはそれがわからなかったんだと思います。

外に出ると家の悪口を言うと思われたが、とても恥ずかしくて言えなかった

養母はキヨさんに家事をさせるため、結婚をする年頃になっても家を出て行けないように仕向けたという(C)ゆっぺ/KADOKAWA

――当時は早く自立して、1日も早く養母の家を出たかったのではないですか?

ずっと家を出たかったですが、出してもらえませんでした。叔母さんは、私が家を出ると家の悪口を言いふらすと思っていたみたいなんです。しかし、とても普通では考えられないようなことを言われていたので、恥ずかしくてとても言えません。でも、「外に行くと家の悪口を言う」と言われ続けました。それにうちは大きな百姓だったから、卒業後は私が中心となって農業をやらないといけなかった。義兄さんは大工の職人だったから外に仕事にいくので、田んぼや畑の仕事ができるのは私と義姉さんだけだったんです。だから、簡単に外には出してもらえませんでした。

――戦争が終わってからも、まるで囚われの身のような環境で過ごしていたキヨさん。大好きな祖母のこのような体験を綴るのは、本当につらい作業だったと著者である孫のゆっぺんさんも話されていました。 次回、連載6回目では、そんなゆっぺさんが描く際に抱いていた覚悟について伺います。

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