【配信者・修行僧】芸人ドロップアウトから人気ストリーマーに!実はNSC出身でM-1、R-1にも挑戦した“お笑い好き”の人生は「しまった!」の連続だった

修行僧「しまった!」画:表裏タクル

今や小学生の「なりたい職業」上位にランクインするほどその地位を確立した「配信者」。さまざまな企画に挑戦するタレント型のYouTuberはもちろん、現在では趣味や専門分野など、コアなジャンルに特化した配信者も支持を集める。格ゲーストリーマーの修行僧さんもそうしたうちの一人だ。格闘ゲーム「ストリートファイター6」の配信が盛り上がるなか、マスターリーグ最下層の戦いをウリへと昇華し、「しまった!」をキメゼリフに個人活動時から人気を集めていた修行僧さん。その活躍から、2025年1月にはプロゲーミングチーム「FAV gaming」ストリーマー部門への加入が決まった。

そんな修行僧さんには、金属バットや見取り図の同期であるNSC吉本総合芸能学院29期生として学んだ過去がある。お笑い芸人を目指し、M-1グランプリやR-1グランプリへの出場経験もある修行僧さんが、格ゲー配信者の道にいたった経緯とは…。これまでの歩みをインタビューした。

子どものころから笑いが好き、大学時代は「就職を反対」されNSCへ


――FAV gamingのストリーマーとしてプロの道を歩み始めた修行僧さんですが、かつてはお笑いの道を進んでいたそうですね。最初のきっかけを教えてください。

【修行僧】小学校の時の卒業文集に「お笑い芸人になりたい」って書いたのが、一番最初の記憶に残っていて。「将来はお笑い芸人になって、お葬式にたくさん人が来るようなすごい人になりたいです」って。その時になんでそう書いたのかは、ちょっと自分でも覚えてないですけど。ただ、とにかく目立ちたがり屋で、人を笑わせるのが好きやったとか、そういうのがあったと思うんですよね。僕、苗字が「あ」から始まるので、文集の掲載順も一番最初で。だからそれを読んだ人が多くて「いろんな人に『あんたんとこの子どもの文章おもろいな』って言われたわ」って母に言われました。

――やっぱり、クラスの中でも「おもろいやつ」みたいな感じだったんですか?

【修行僧】ええと、これは中学校と高校で分かれるんですよ。僕の通った中学校がね、すごく荒れてて。けっこういじめられてたんですよ、普通に友達はおったんですけど、やっぱり目立ちたがりで目立ってたんで、ヤンキーっぽい人らに目をつけられて。呼び出されて殴られたり、制服破られたりとか、お弁当がどっかなくなってたりとか。つらかったんですよ。

――それは苦しい体験でしたね。

【修行僧】もう学校行くのはめちゃくちゃイヤやってころ、日曜日に「ダウンタウンのごっつええ感じ」がやってて、その瞬間だけは何もかも忘れて笑えるから、毎週それを楽しみに生きてたというか。

――お笑いが救いになっていたんですね。高校に入ってからはどうだったんでしょうか?

【修行僧】地元から離れた高校に入って、自分のことを知ってる人がいなくなったんで、そこからはマジで弾けまくりましたね(笑)。ずっとバカみたいなことやって誰かを笑かしたり、学校の授業中、先生に当てられたりしたら、「ここや!」と思ってボケたり。そんな感じで高校生活を送ってました。

――その後大学に進み内定も決まったそうですが、就職ではなくNSC入学を選んだそうですね。大学時代について教えてください。

【修行僧】大学は超満喫しました。パチンコとかバイトとか、合コンとかも行きまくって、遊びすぎて留年してしまって(笑)。ただ、内定が決まった時、親から反対されたんですよ。母親がその会社と近い業界だったので、事情を知っている分「絶対やめてくれ」と反対されて。自分はその会社に行くつもりだったんですけど。

修行僧「おもろい奴やで!」画:表裏タクル


――お笑いの道ではなく、就職の方を反対されたんですね。

【修行僧】当時お笑いブームというのもあって、「そこまで反対するなら俺も好きなことやるで、NSCに行くわ」って言ったんだと思います。おかんも小学校の文集を覚えてて自分が昔からそういうことをやりたいと思っていたのは覚えていてくれて。(お笑いの道を目指すことに)反対はされなかったです。


幸先良好のNSC時代も、コンビ解消で迷走

修行僧「しばくぞ!」画:表裏タクル


――NSCに進んでプロのお笑い芸人を目指すことになった修行僧さんですが、当時はどんな活動をされていたんですか?

【修行僧】最初のころの授業でネタ見せがあったので、まずコンビを探しました。「塩味」って名前やったんですけど、そこで披露したネタがちょっとだけウケがよかったんですよね。NSCのネタ見せの授業って絶対に誰も笑わないんですよ。クオリティーがいいもんではないし。そもそも笑う空気じゃなかったんですけど、僕らの時だけちょっと笑いが起こって。怖い先生も「(コンビ名は塩味だけど)まだちょっと甘いとこあるけど」って笑ってくれて、けっこう上位のクラスに振り分けられました。

――幸先のいいスタートが切れたんですね。

【修行僧】はい。で、これから頑張っていこうかっていう話を相方とやってたんですけど、突然解散になっちゃって。塩味では僕がネタ書いてたんですけど、相方も自分で書きたい感じやったんで。その後、他のNSCの人と組んで生まれて初めてのM-1(グランプリ)に出ました。人生で一番緊張した瞬間でしたね。未だにあの時の胸のバクバクがほんまに残ってるというか。もう頭真っ白だったんですけどM-1をやり切って、インディーズのライブにもちょっと出たりもしてたんですが、その相方ともほどなくして解散して「もう一人でやろうか」ってR-1グランプリにエントリーしたんです。

――コンビからソロへの活動になって変化したことは?

【修行僧】そっから「お笑い芸人になりたい人はここからどうするの?」って、どうしていいかわかんなくて。当時SNSもなかったし、インターネットもそこまで利用してなかったので、情報をどこから得るのかがわからない。それでもR-1やM-1に向けてデータを集めて、2、3回は一人で出たんですけど、ほんまに一人はメンタル的にきつくて。

――プレッシャーを一人で受ける状態になったんですね。

【修行僧】自分でも当時わかってたんだと思うんですけど、おもしろいこと考えるのと、人前でやるのと、まったく別物やなって。もちろん人前も全然慣れてなかったし、そんな状態でやったとしてもまったくウケないし。めっちゃちっちゃい劇場で、ほんまにコアな人たちが見るような舞台に出たんですけど、一番目の前に座ってる女子高生が「ちょっとこのネタ意味わからへんねんけど」って言うのが直に聞こえてくるんですよね。そういうのが続いて、じょじょに「ああ、ちょっともう一人でやるの無理かもしれん」みたいな感じになっていったんです。

――その状況を打開する方法もなかなか見つからなかった?

【修行僧】今思えば、もうちょっとやってりゃいろいろやりようがあったのかな。たとえば今の時代みたいにSNSがもっと発展してたら「誰か一緒にコンビ組めへん?」とかもできたんですけど、当時はなかったんで。だんだんそういうお笑いの舞台とかから遠のいっていったんです。

ただやっぱり、おもしろいことを考えること自体はずっと好きやったというか、もうライフワークだったんで、はい。高校の時から人を笑かそうと思っていろんなことやってきたんで、ネタは思いつくけど、それを発表する場がないっていう状態が続いてモヤモヤしてました。

ゲーム動画投稿をスタートも、格ゲーとの出合いは遠く


――そうした思いが、舞台をネット配信に移すきっかけになった?

【修行僧】そのころ、YouTubeやニコニコ動画が盛り上がり始めたころで。ちょうど「ニコニコ動画はいいよ」って話があって、自分はゲーム好きやったから、「ゲーム」と「なんかおもしろいことしたい」を合わせて、ニコニコ動画に動画を投稿し始めたんですよね。当時のゲーム配信って普通にゲームをプレイしてるだけやったんですけど、一人だけマジで変なことしてました(笑)。でも意外とそれがウケもよくて。当時はニコニコ動画がメインでYouTubeで活動するつもりはまったくなかったんですけど、「別に減るもんじゃないし、損はせえへんやろ」ってことで、ニコニコのために動画を作ってYouTubeにも転載はしていました。

――配信文化初期のころから動画配信をスタートされていたんですね。

【修行僧】ただ、25歳のころに初めて就職して、その仕事が超絶ブラックで。サービス残業、サービス出勤、パワハラと全部そろってて…(苦笑)。その時は動画配信は完全にストップしてました。転職して次の仕事になった時、27、28歳ぐらいの時かな、けっこう時間的に余裕が生まれて。で、その時に「ストリートファイターIV」に出合って、そこでめちゃくちゃハマっていったんですよ。

――いよいよ「ストリートファイター」シリーズの名前が出てきました。昔から格ゲーはやり込んでいた?

【修行僧】格ゲーはストIVからなんですよ。小さいころはファミコン、スーパーファミコン、セガサターンとかも持ってたし、プレイステーションは初代、2、3、4って全部そろえてて、常に何かしらのゲームはやってたんですけど。

――格ゲーとは縁遠かった修行僧さんがストIVにハマっていったきっかけは?

【修行僧】そのころ、ウメハラさんの「背水の逆転劇」とか、こく兄さんの「そういうゲームじゃねえからこれ!」みたいな格ゲーのバズ動画を知ってドはまりしたんですよね。TOPANGA TVの「TOPANGAリーグ」もずっと見てましたし。先日大会で一緒に組んだプレイヤーのささきさんもTOPANGAリーガーで、そのころの憧れで誘ったところもあります。でも、そのころは配信はあんまりやってなかったです。仕事と彼女と格ゲーと、って感じで。

――格ゲーと配信活動はすぐには結びつかなかったんですね。

【修行僧】ストIVにはまったあと、YouTuberブームが来るんですよ。「好きなことで、生きていく」ってYouTubeのCMが流れ始めて、そこで「そういや、YouTubeやってたな」って思い出して。そこからまた再開して、動画配信もまたドハマりしました。平日は仕事をして、土曜日に動画のネタを考えて、日曜日に投稿するみたいな感じのペースで。動画編集自体はもう今よりも相当クオリティが低いんですけど、台本はちゃんと作って、動画に合わせてこんなことを言いながらゲームをプレイ、みたいな。

「おもしろい動画を作ろう」って意識しながらYouTubeでの投稿をはじめました。当時は流行っているゲーム、たとえば「コール オブ デューティ」、「ザ・ラスト・オブ・アス」、「モンスターハンター」もやりましたし、福山雅治さんやエルモ(セサミストリート)のモノマネしながらゲームしたり、“守護霊を降ろして喋る”みたいなこともして。当時は迷走してましたね。

――(笑)。試行錯誤の時間が長かったと。

【修行僧】ほんまにいろんなキャラやってたんですけど、“修行僧”ってキャラをやり始めた時に「けっこうおもしろい」って言ってくれる人が多かったんですよね。今はそれこそ普通にしゃべってますけど、“当時の修行僧”は戦場カメラマンの渡部陽一さんみたいなしゃべり方で、ゆっくり丁寧に丁寧に喋りながらプレイするみたいな。それと僕自身が寺社仏閣が好きなんで、もうちょっと仏教色も強かったです。「仏教でこういう言葉があって」みたいな小話をしながらプレイするみたいな。それがけっこう評判がよかったんです。そのころ、ちょうどチャンネル登録者が2000人ぐらいになってました。


――動画投稿から配信にスライドしたのもそのころですか?

【修行僧】Apexが大流行した時に、「チャンネル登録数がここまでいったんで生配信やります」って感じでやったのが初めてです。その時はめちゃくちゃ緊張した覚えがありますね。そこからちょこちょこ配信、生配信と動画投稿半々ぐらいにやるようになって、しかも、ApexはTikTokで自分の動画がバズったんですよ。TikTokはなんとなくはじめたんですけど、ショート動画とおもしろいところの切り抜きみたいなのがすごい相性よくて、一本目の動画投稿した時からめちゃくちゃ再生されて。そこからはApexの生配信に移りましたね。

それを2~3年続けたんですけど、だんだんとApexへの熱量は下がってたんです。でも50~100人ぐらい同接あるし、みんな「やってほしい」というのがあって続けてたんですけど、新規の視聴者にはウケなくて。同接の人数も減っていって先細りを感じていたころに、スト6が発売されたんです。

視聴者にウケる根っこは「自分自身が楽しむ」こと


――いよいよストリートファイター6の登場ですね。

ストVは僕的には全然ハマらなかったんですけど、スト6はめちゃくちゃ楽しみにしてたんです。それで、これだけ視聴者が少なくなったんなら「もう自分の好きなゲームやろう」と思って、スト6配信を始めました。そのころには同接は5~6人になってましたし、チャンネル登録者も減る一方でした。

――そうしたなかで現在の修行僧さんにつながるターニングポイントは?

【修行僧】それもやっぱりショート動画でした。スト6のYouTubeショートを上げ始めてから、チャンネル登録者数が何年かぶりに増えたんです。スト6発売直後って格ゲーがこんなに流行るとは誰も思ってなかったはずで、それこそ古の格ゲーマーが動画を上げる流れだったと思うんですけど、早い時期に動画を出したのもよかったのか、配信して切り抜き作ってYouTubeショートとXに投稿するようになってから20人、50人、100人、200人って配信の視聴者も増えて。自分としても本当におもしろいゲームやなって思いながらスト6やってたんで、多分それもでかかったと思います。

――本人が楽しんでいるかどうかって、ユーザーは気づくものですよね。

【修行僧】Apexもおもしろいゲームなんですけど、ただゲームに身が入っていない惰性のような状態で配信したり、なにかおもしろいこと言おうと思ってゲームするよりも、ほんまに自分が楽しいって思えるゲームをやってる方が、見ている人も気持ちいいというか、楽しい気持ちになれるのかなって。そこがやっぱ大事だったんかなって思いますね。そこに、僕のツッコミがはまったっていうのもあって。

――ちなみに、修行僧さんの「しまった!」「しばくぞ!」はいつころから使うようになったんですか?

【修行僧】Apexの配信をはじめた当初は“修行僧というキャラ”でやっていたんで、よそよそしい感じでしゃべってたんです。ただ、やり始めてからは心の声が出るようになって。思わず「ほんまにしばくぞ」って出るようになって(笑)。今は修行僧って名前だけが残って、こんな中身は別のおっさんっていうのが出来上がってしまったんですね。

――こうした紆余曲折を経てスト6配信で大ブレイクした修行僧さんですが、FAV gamingに加入した今、今後チャレンジしたいことはありますか?

【修行僧】格ゲーっていう上手くてなんぼの世界で、ゲームが下手なことで注目されてプロチームに入れたっていうのは、ほんまに夢のような状況やと思ってます。今後もいろんなゲームをやりながら、やっぱり「自分自身が楽しむ」のが一番かなって思ってるんで。やっぱり自分がほんまに好きだと、そのゲームを好きな人と共感できたり、面白かったりがあると思っていて。なので、FAV gamingでもゲームを楽しむことだけはやめたくないとは思います。でも、お金はほしいんですけどね(笑)。

――(笑)。

【修行僧】知名度がね、お金にまったく変わってけえへんなと思うんですけど(笑)!でも本業はあるし、配信が仕事じゃないからちょうどいいバランスかなとも。やっぱりやりたくないゲームをやるようになったら、それはちょっと違うかなって。趣味でやっている延長線上だと思いますし、「お笑いが好き」が根底にあるかもしれないですね。ただただ笑ってほしいです。

取材協力:修行僧さん(@omoiyari_)

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