【昭和のリアル】道徳の教科書は一度も開かれることなく…令和では考えられない!?戦時中の学校事情とは?【作者に聞いた】
ライブドアブログ「ゆっぺのゆる漫画ブログ」やInstagram(@yuppe2)で、エッセイ漫画を描いている漫画家のゆっぺさん。なかでも、2021年12月から執筆してきた『
親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話
』は完結後、電子書籍が発売。読者からは「どんな境遇にいようとも、人のせいにしない自分の責任というキヨさんの生き方に、とても感銘を受けました」「おばあちゃんの言葉が凄く刺さりました」「日本一幸せなおばあちゃんと言えるキヨさんの人柄に、感銘を受けた」など感動の声が続出している。
そんな話題の『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』の作者であるゆっぺさんに話を聞いた。

本作では、ゆっぺさんの祖母“キヨさん”の幼少期からの実話が描かれている。ある日突然父を亡くしたキヨは、家が貧しかったことから、叔母夫婦の養子となることに。最初はたくさんご飯が食べられる新たな環境を喜んでいたものの、叔母(養母)からの家庭内いじめが徐々にエスカレート。さらに日本は戦争に突入していき、キヨの置かれた状況はますます厳しくなり…。


作者のゆっぺさんに話を聞いた
ゆっぺさんに『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』について話を伺った。
――キヨさんは戦争の激化とともに、学校と家との板挟みになっていきます。そのときのことについて、キヨさんから何かお聞きになったことがあれば教えてください。
当時、子どもたちは学校で勤労奉仕に参加していました。しかし養母は、家族のなかで兵隊として出征した者がいなかったため、戦争をあまり身近に感じておらず「勤労奉仕に行くくらいなら家の仕事をしなさい」と話していたと聞いております。戦時中は、勉強をしようという発想自体がなかったようです。当時使用されていた「修身(しゅうしん)」という道徳の教科書も、一度も開かれることなく終わってしまったそうです。
――いろいろ悩んだキヨさんが退学届けをだした後、お義兄さんがそれを撤回して養母にも話をしてくれました。その後は、キヨさんは早退したりせずに、しっかり学校へ通えたのでしょうか?
義兄の助けがあってからは、養母の接し方に少しだけ変化があったような気がすると、キヨは話しておりました。養母は義兄に対しては強く言えなかったようです。小学校4年生のころから戦争が始まり、学校も国民学校へと変わりましたが、それ以降、戦争が終わる13歳まで学校に通っていたそうです。

――ゆっぺさんについて質問です!この夏、ゆっぺさんがやりたいことはありますか?
実は夏はとっても苦手で…(笑)。毎年、早く夏が終わらないかなーと思いながら過ごしているので、強いて言えば…スイカを食べるくらいですかね。
実母に捨てられ、家庭内や学校でのいじめに耐え…と、過酷な人生を歩んできたキヨさん。どんな状況下でも常に前向きだった彼女の生き方に、感銘を受ける人は多いはず。まだの人は『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』をぜひ読んでみて。
取材協力・画像提供:ゆっぺ(@yuppe2)
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