“バタ臭い”と犬のエサにされたことも…鎌倉名物「鳩サブレー」ヒットの裏に10年以上の売れない日々

東京ウォーカー(全国版)

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鎌倉大仏や鶴岡八幡宮など、神奈川県鎌倉市にはさまざまな名所があるが、鎌倉ならではのお菓子といえば「鳩サブレー」を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。鳩サブレーは株式会社豊島屋が販売する焼き菓子で、鎌倉市の銘菓として地元民はもちろん、観光客や修学旅行生まで幅広い人々に愛されている。

しかし、今でこそ鎌倉名物として名高い鳩サブレーだが、発売当初はさっぱり売れない状態が続いていたそう。それでもめげずに試行錯誤を繰り返し、鎌倉を代表するお菓子になることができたという。

今回は株式会社豊島屋(以下、豊島屋) 広報担当の宮井通昌さんに、鳩サブレーがどのようにして鎌倉名物となりえたのか、そして気になるハトの形の秘密について話を聞いた。

鎌倉名物のお菓子「鳩サブレー」。最初は全然売れなかったのだとか…


鳩サブレー誕生の裏にあったのは、初代店主の熱き思い

ハトの形が印象的な鳩サブレーだが、その歴史は明治期まで遡る。豊島屋が開業したのは今からおよそ130年前の明治27年で、初代店主だった久保田久次郎氏が和菓子屋としてお店を開いたのが始まり。当時は鎌倉に多かった武家屋敷の瓦をイメージした「かわらせんべい」が主力の商品だった。鳩サブレーが誕生したのは開店から3年後の明治30年ごろで、久次郎氏が偶然“あるもの”を口にしたことから始まる。

「明治30年ごろ、たまたまお店に来店した外国人のお客様から、大きな楕円形のビスケットのようなクッキーのような焼き菓子をもらったそうです。それを初代が食べたところ、『こんなお菓子は今まで食べたことがない!』と感動してしまって。鳩サブレーが誕生したのは、初代が『あのとき食べたお菓子の味をなんとか再現したい』と思ったのがきっかけです」

昭和16年まで使用していたパッケージ。このときはハトの絵は描かれていなかった


そこから憧れのお菓子を作り始めた久次郎氏だが、何度繰り返しても理想の味を再現することができなかったという。そんなある日、外国人客にもらったお菓子の原料を調べていたところ、そこにバターが含まれていたことを発見。しかし当時の日本ではバターは非常に珍しく、簡単には手に入らない代物だったため、貿易が盛んだった横浜まで出向いてバターを探し回ったそうだ。

「苦労してバターを手に入れて生地を焼くと、ついに理想の味に近づくことができました。出来上がったお菓子を友人に味見してもらっていると、そのうちの1人が『フランスで食べたサブレーというお菓子そっくりだ』と話したそうです。その方は実は貿易船の船長さんで、ヨーロッパから帰ってきたばかりだったんです。初代は『サブレー』という響きが日本人の名前の『三郎(サブロー)』に似ていることに、非常に親近感を抱いていました」

鳩サブレーの型。形や味は誕生したときからほとんど変わっていないそうだ


また、久次郎氏は鶴岡八幡宮を崇敬していたため、以前から「鶴岡八幡宮にちなんだお菓子を作りたい」と考えていたそうだ。そこで八幡宮にちなんだものを思い浮かべた際、本殿の掲額の「八」の字が2匹のハトで描かれたデザインだったこと、そして境内のハトが子供たちに親しまれていたことから、このお菓子をハトの形に焼き上げて「鳩サブレー」と名付けた。

鶴岡八幡宮の本宮楼門に掲げられている、2羽のハトで表された「八」の字、そして境内にいるハトをイメージ


口に合わなくて犬のエサに…それでも信じた鳩サブレーの可能性

久次郎氏は自信満々に鳩サブレーを発売したものの、発売当初はまったくと言うほど売れなかったそうだ。その理由は、バターが使われていたため。当時の日本人にとって乳製品は一般的でなく、バターの匂いをきつく感じたことから、「口に合わない」と思う人が多かった。

「当時、鳩サブレーを口にした人は脂っこく“バタ臭い”と感じたそうで、全然売れませんでした。初代はよくご近所の人や知り合いに鳩サブレーを贈っていたのですが、なかには『ありがとう!おいしかった!』と言いながら犬のエサにしていた人もいたそうです。その光景を初代の奥さんが見てしまい、あまりに不憫すぎて初代にはそのことを言えずじまいだったみたいですね…」

黄色と赤のコントラストが印象的なパッケージ


鳴かず飛ばずの状況が続いたが、久次郎氏は「これからの時代はこの味が好まれるようになる」と確固たる信念を持って作り続けたそう。その甲斐あって、大正時代に入ったころにとある小児科医が「栄養があって離乳期の幼児食に最適」と推薦。その影響で徐々に人気が出るようになり、発売より10年以上経過してようやく日の目を見ることができた。

その後は関東大震災で店舗が全壊してしまったり、太平洋戦争に突入して小麦や砂糖が手に入らずお菓子が作れなくなったりと、悪戦苦闘。それでもめげずに鳩サブレーをはじめとしたお菓子を作り続け、戦後の高度成長期とともに、鎌倉も観光地としてにぎわいを取り戻したタイミングで今まで以上にその名前が広がり、鎌倉の名物の1つになった。

強い信念と変わらないおいしさがヒットの理由

現在、鳩サブレーは地元民をはじめ鎌倉を訪れる観光客や修学旅行生など、さまざまな人々に親しまれている。素朴でシンプルな味わいながら人気が衰えない理由は、誕生当時から味をほとんど変えていないことにあるだろう。

実は、サイズの小さいものなどにチャレンジしたことがあったという。しかし、やはりオリジナルの鳩サブレーの味には敵わず、商品化することはなかった。それほどまでに鳩サブレーは、誕生当初から完成されたものだったと言える。

「明治30年の誕生当時から、形や味はほとんど変わっていません。とはいえ、当時と比べて材料の質が進化しているため、今のほうがおいしいと思います(笑)。愛らしいハトのフォルムは令和の時代でも通用すると思いますし、初代の先見の明を感じますね」

また、特徴的な黄色に白いハトのパッケージは、昭和30年代に3代目がデザイナーと一緒にデザインしたもの。黄色は鳩サブレーに使用されているバターをイメージしているそう。まさに鳩サブレーにとってバターがいかに重要かを感じさせてくれるデザインだ。

「ハトの目を赤くした理由はよくわかっていません」と宮井さん


最後に、宮井さんに今後の鳩サブレーと豊島屋の展望について聞いた。

「今後、味も形も変わることはないと思いますので、このまま皆さまに愛され続けてほしいですね。『鎌倉といえばサブレー』と言われるまでになったので、鎌倉に来られた折にはお土産にぜひ。また、弊社では鳩サブレー以外にも、小鳩の形状に、豆粉に和三盆などを配し打ち上げた『小豆鳩楽』や、鎌倉の古寺のすり減った階段をイメージした『きざはし』など、人気のお菓子がたくさんあります。今後は鳩サブレーだけでなく、『豊島屋』という屋号をさらに全国に広めるべく、がんばっていきたいですね!」

豊島屋で鳩サブレーに続く売上の「小鳩豆楽」

鎌倉の古寺のすり減った階段をイメージして作られた「きざはし」

「お店には鳩サブレーのほかにもたくさん和菓子があるので、ぜひご来店ください」と宮井さん


久次郎氏が決して開発を諦めず、そして「必ず売れる」と信じて作り続けた鳩サブレー。当たり前の存在のように感じるほど有名なお菓子だが、コロナ禍では地域の銘菓に触れる機会も失われた。今こそ鎌倉に行って、その味を確かめてみてはいかがだろうか。

取材・文=福井求(にげば企画)

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