“煎茶”が読めない人続出で、名前を変えたら大ヒット?お茶のリーディングカンパニー・伊藤園に聞く「お〜いお茶」のブランド展開に迫る
東京ウォーカー(全国版)
日本人の心のよりどころ、お茶。一昔前は急須で入れて飲むのが当たり前だったが、いつしか缶やペットボトルのものがスーパーやコンビニエンスストアで売られるようになり、現在ではいつでもどこでも気軽にお茶を楽しめるようになった。
今回インタビューを行ったのは、お茶のリーディングカンパニーである株式会社伊藤園(以下、伊藤園)。この会社がお茶の飲料化を実現したのは、今から44年前のこと。当時ブームとなっていたウーロン茶の缶を発売したことが始まりだ。
当時は「お茶と水はタダ」と言われていた時代。一体どのように飲料としてのお茶の市場を開拓していったのだろうか。今回は伊藤園 広報部 広報室長の村瀬彰洋さんに、缶入り煎茶や缶入りウーロン茶の開発秘話、お〜いお茶ブランドのヒットの理由、そして現在の伊藤園のお茶に関する取り組みについてお話を聞いた。
食生活の変化でお茶市場が危機に?「缶入り煎茶」開発のきっかけ
――貴社がお茶の飲料化を目指すことになった背景について教えてください。
【村瀬彰洋】弊社は1966年の設立当時から日本茶・緑茶を中心としたお茶の会社でして、当初は包装された茶葉を中心に取り扱っていました。ですが、1970年代に入ると、ファーストフードやコンビニエンスストアができてきて、日本人の食生活が次第に欧米化していき、急須に茶葉を入れて飲むお茶が少しずつ陰り気味になっていきました。
【村瀬彰洋】また、当時は急須にお湯を入れて飲むお茶が一般的だったので、冬場はよくても夏場には売り上げが下がるというのが慢性的な課題でした。そのような問題をクリアして一年中お茶を飲んでもらうためにも、1975年ごろに缶入り緑茶の開発がスタートしました。
【村瀬彰洋】お茶を缶に入れるときに上の部分から充填し、ふたをして加熱殺菌するのですが、お茶とフタの間にあるわずかな酸素で酸化して赤く変色し、焼き芋のような"イモ臭"が出てしまい、売り物にならないという状態が続いていました。これらの解決のために10年くらい試行錯誤の開発をしていましたね。
――缶のお茶の開発においては、さまざまな面で課題があったのですね。
【村瀬彰洋】また、当時は日本茶の飲料化とは別にウーロン茶の販路開拓を行っていて、現会長の本庄八郎が1971年ごろから中国の福建省に渡ってお茶の買い付けを交渉していました。その努力が実って1979年に日本初のウーロン茶葉の輸入代理店契約を結び、ウーロン茶葉の販売に乗り出しました。
【村瀬彰洋】発売当初は大きなヒットはなかったのですが、ちょうど売り始めた同年に『夜のヒットスタジオ』という番組で、当時大人気だったピンク・レディーが登場し、インタビューで「なぜそんなにいいスタイルが保てるのか?」と聞かれました。そこで彼女たちは「毎日ウーロン茶を10杯ぐらい飲んでいます」という趣旨の発言をしました。そこから爆発的に売れ、一大ブームになりました。
【村瀬彰洋】ブームは去るのも早く、短期間で人気は終わってしまったのですけどね。しかし、当時は1年目は60トン、2年目は90トン、3年目は120トンの茶葉を購入する契約をしてしまっていて、お茶が売れてなくても茶葉を買わなければいけない状況でした。
――人気の背景には、なかなか厳しい状況があったのですね。
【村瀬彰洋】ウーロン茶も緑茶と同じく、もともとは温かくして飲む飲み物でしたが、冷たい飲み方をしている人は誰もいませんでした。そこで、年中通して飲んでもらうためにいつでもどこでも持ち運びができるものを考え、ウーロン茶も缶で飲料化しようということになりました。
【村瀬彰洋】ウーロン茶はもともと半発酵していて、緑茶に比べて酸化劣化が少なかったので、缶の緑茶よりもあとに開発を始めましたが、先に飲料化の実現に成功し、1980年に「缶入りウーロン茶」が誕生しました。そして、その4年後に缶の緑茶である「缶入り煎茶」が生まれました。
「煎茶」が読めずに売り上げ低迷?「お〜いお茶」誕生秘話
――缶入りの煎茶が発売された当時、市場や消費者はどのような反応でしたか?
【村瀬彰洋】それが発売当初は全く売れなくて(笑)。当時は、お茶と水はタダという認識があったため、「1本100円の缶のお茶を誰が買うんだ」という感じでしたね。当時の営業担当は酒屋さんなどの営業先に行っても、「誰が飲むんだ」という反応をされたそうです。
【村瀬彰洋】ですが、コンビニエンスストアがだんだんと普及してきて、おにぎりやお弁当を外で食べられるようになると「やっぱりお茶がほしい」という需要が出てくるようになりました。そこで、コンビニエンスストアに営業に行ってお弁当と一緒に売ってもらうなどをして、少しずつ浸透をさせてきました。
――コンビニエンスストアの成長が、缶入りのお茶の需要を作り出したのですね。
【村瀬彰洋】そうですね。お茶の飲み方を社会の様式の変化にうまく順応させられたと思います。また、ウーロン茶に関しては飲み屋を中心に人気が広がっていきました。そこで「お酒の割り材としてウーロン茶が売れるのでは?」と考え、夜の街に繰り出して、お店を直接訪れてサンプリングして飲んでいただくという営業を続け、割り材として少しずつ定着させることに成功しました。
【村瀬彰洋】同時に、お酒があまり得意ではないホステスさんにもすごく好評でした。接客中に水を飲むわけにもいかないのですが、ウーロン茶であれば色も水割りっぽいし、見た目的にもノンアルコールだとわからないということで、夜の街で重宝されました。
――現在、当たり前にウーロン茶が飲まれていますが、定着までにすごく苦労されたのですね。
【村瀬彰洋】そうですね。当時の取り組みがなければ一般的に飲まれていなかったかもしれません。
――緑茶の話に戻るのですが、今販売されている「お〜いお茶」はどのような経緯で誕生したのでしょうか?
【村瀬彰洋】先ほどコンビニエンスストアの普及と同時に売れていくようになったと話しましたが、正直なところ、そこまで爆発的に売れたわけではなくて。その原因を調べてみたところ、そもそも「煎茶」という文字が読めない人が多かったという問題がありました。「マエチャ」とか「ゼンチャ」とか読まれていたみたいです(笑)。
【村瀬彰洋】名前をどうしようかとなったときに、1970年代から伊藤園のCMに出演されていた俳優・島田正吾さんが「お~いお茶」というフレーズを言っていたので、1989年にこれをそのまま商品名にしたんです。すると見事に大ヒットして前年の6倍くらいの売り上げになり、そこからお〜いお茶をみなさまに知っていただけるようになりました。
――名前を変えただけでヒットしたのはすごいですね。
【村瀬彰洋】「煎茶」は、お茶の業界では当たり前の言葉なんですが、一般の方にとってはなじみがなかったのかもしれませんね。
温められるペットボトルでも大ヒットの「お〜いお茶」
――その後、ペットボトルのお〜いお茶が発売されたのはいつごろでしょうか?
【村瀬彰洋】ペットボトルの第1号が世に出たのは1990年です。缶入りのものは個別で持ち歩けて、いつでもどこでも飲めたので便利だったのですが、家族で飲むには割高だということで、大きな容量のペットボトルのお茶を開発することになりました。
【村瀬彰洋】ですが、ここでもまた苦労があって。急須でお茶を入れたときに下に「澱(オリ)」という、緑茶に含まれる成分が粒状の浮遊物として沈殿する現象があります。缶ではそれが見えなかったのでさほど問題にはならなかったのですが、ペットボトルは透明なので澱が見えてしまい、濁る感じになってしまうのですね。
【村瀬彰洋】そして、その澱から劣化が進んでしまうので、時間がたてばたつほど品質が悪くなってしまいます。ペットボトルは透明なので缶よりも余計に色が変わるのがわかってしまうのです。それをなんとかするために、「ナチュラルクリア製法」と呼ばれる技術を開発し、お茶の味わいを残しながら澱を取り、品質劣化を防ぐことに成功しました。
――それでようやくペットボトルのお茶が登場することになったのですね。
【村瀬彰洋】当時、ごみへの懸念問題による規制のために、今では一般的な500mlサイズのペットボトルが作れませんでした。そのため、1.5Lの大型のペットボトルの商品を最初に発売しました。その後、1996年に500mlのサイズが解禁になったので発売すると、キャップができて持ち運びしやすいちょうどいいサイズが人気となり、缶以上に飲んでもらえるようになりました。
【村瀬彰洋】ただ、ペットボトルだと夏場しか飲んでもらえないという問題がありました。缶は温めることができますが、その場で飲み切らないといけないというデメリットがありまして。そこで弊社は2000年に温められるホット対応のペットボトルを開発しました。ですが、缶製品を温める什器はありましたが、ペットボトルを温めるには高さが合わなかったんです。
【村瀬彰洋】そこで、当時うちの会長が「什器も一緒に無償で貸せば売ることができるだろう」と提案し、弊社がペットボトルを温められる機械を手配し、それを小売店さんに無償で置いていただきました。そうして、冬でも温かいお茶が飲めるようになったということで、一気にホット対応ペットボトルの存在が知れ渡りました。
――すごい取り組みですね。実際に効果はいかがだったでしょうか?
【村瀬彰洋】めちゃくちゃ売れました。当時、温かいペットボトルの飲料を売っていたのが弊社だけだったので大人気でしたね。その後、2000年〜2001年ぐらいから競合他社さんも緑茶に力を入れるようになり、“緑茶戦争”と呼ばれるほどの競争が起こりましたね。現在でも茶系飲料の商品は、少しずつですが毎年のように増えています。
【村瀬彰洋】高度経済成長期以降の日本では、コーラやサイダーなどの甘い飲料こそが価値があるという認識が強くありました。ですが、経済が成長して生活が安定するにつれて、健康志向が高まって自分の身体に気を使う余裕ができ、お茶をはじめとした無糖の飲料が求められるようになってきました。そのような時代背景から、現在の飲料市場の半分くらいは無糖飲料になっていますね。
伊藤園の使命は「お茶にまつわるすべてに関わること」
――お〜いお茶を訴求する上で、現在取り組まれていることはありますか?
【村瀬彰洋】お〜いお茶は幅広い世代には飲んでいただいてるんですけど、やっぱり若い人よりかは5、60代以上がメインユーザーになっています。そのため、弊社では若い世代にお茶を飲んでもらうために、デザインから味まですべてを大学生と一緒に共同研究して商品を出しました。それが「お~いお茶 〇(まろ)やか」です。
【村瀬彰洋】若い人は、お茶の渋みが苦手な人が多いようなのです。「お~いお茶 〇(まろ)やか」の製造過程では、なるべく渋みの少なく旨味が多いタイプの茶葉を厳選して、低温で処理することで渋みが出ないようにしています。このようにして若い方が好まれるようなまろやかな味わいに仕上げています。
――若い世代って苦い味が苦手な傾向にあるのですね。
【村瀬彰洋】そうなんです。また最近では、急須でお茶を入れたことがないし、そもそも急須を見たことがないという若い方も少なくありません。ですが、私たちは「お茶の伊藤園」として、お茶文化を将来につないでいかないといけないと思っています。
【村瀬彰洋】弊社では厚生労働省認定「伊藤園ティーテイスター社内検定」という社内制度を設置していまして。これは、社員がお茶に関する高い知識を持ち、社内外にお茶の啓発活動を行えるようにする制度です。この資格を持っている人が全国各地のスーパーの売り場や学校、職場などに出向いて、おいしいお茶の淹れ方を教えてまわる、ということをしています。
【村瀬彰洋】お茶の原点に帰り、急須から入れたお茶本来のおいしさを知ってもらったうえで、用途に合わせてペットボトルやティーバッグ、インスタントなどを使ってもらい、お茶自体にどんどん触れてもらう取り組みを行っています。
――日本人の心を忘れさせないための活動ですね。
【村瀬彰洋】そうですね。私たちはお茶のリーディングカンパニーとしてお茶の価値を未来へ伝えていかないといけないと考えています。また、「お〜いお茶 緑茶」で使っている茶葉は「お〜いお茶専用茶葉」といって、茶産地育成事業の契約茶園で栽培された茶葉をすべて買い取って、それを飲料化しています。
【村瀬彰洋】1976年から始めた茶産地育成事業ですが、2001年からは九州を中心に力を入れていまして。九州は平らな土地が多く、大型機械で作業ができるので非常に効率よく栽培ができます。特に、鹿児島は静岡と並ぶくらいのお茶の名産地になっていまして。桜島の火山灰によって作られた水はけがよく肥沃な土壌と、寒暖差のある土地のため、お茶を栽培するには最高の条件がそろっているからですね。
【村瀬彰洋】お茶のおいしさを守り続けるのは当然のこととして、専用茶葉を作る過程で茶園を作るところから携わり、茶葉の栽培から加工にこだわり、そしておいしいお茶を全国に届けることで地域貢献や環境保持に取り組んでいます。
――お茶を通してのSDGsの実現に向けた取り組みですね。
【村瀬彰洋】また、年間生産量5万8000トンも出る茶殻のリサイクルにも取り組んでいます。茶殻を再利用する際、本来なら乾燥のための莫大なコストやエネルギーがかかりますが、弊社では「茶殻リサイクルシステム」という茶殻を含水のまま腐らせないで次の加工に持っていける技術を開発し、水分を含んだままほかの素材と混ぜられるような工夫をしています。そのため、余計なエネルギーを使わずに再利用が可能です。
【村瀬彰洋】茶殻にもお茶と同じようにカテキンが含まれているので、消臭効果と抗菌効果がエビデンスとして取れている商品はこれらの効果も付加価値になります。リサイクルというよりも、付加価値のあるものに生まれ変わるアップサイクルになっている商品も多いですね。
【村瀬彰洋】茶殻を配合した製品は名刺や封筒といった紙製品をはじめ、畳やせっこうボードなどの建材、ベンチやボールペンなどの樹脂製品、茶殻入り人工芝充填材など多種多様です。また、弊社のトラックの架台には茶殻配合軽量パネルが搭載されていて、車両重量を110kg減らすことができました。
お〜いお茶が世界に広げる「無糖茶文化」
――最後に、貴社の今後の展望を教えてください。
【村瀬彰洋】伊藤園グループとしては、健康創造企業をミッションとして、「心身の健康」「社会の健康」「地球環境の健康」の価値創造を進め、長期的に世界のティーカンパニーになることを目指しています。そのために、弊社はユニーク・唯一無二の企業になることが指針のひとつにあります。
【村瀬彰洋】先ほどの茶産地育成事業や茶殻のリサイクルなども他社ではまねできないことです。このような唯一無二の活動を行っていくことで、社会に貢献したいと考えています。そうして、世界中のすべてのお茶に伊藤園が関わりたい、そのようなことができる唯一無二の会社になって新しい価値を創造したい、というのが弊社の展望です。
――具体的には、どのように世界のお茶文化に関わっていきたいですか?
【村瀬彰洋】弊社は、世界に「無糖茶」の文化を広げていきたいと考えています。外国では、市販されているペットボトルの緑茶には砂糖が入っていることが一般的です。特に、東南アジアをはじめとした暑い国になればなるほどお茶に砂糖が入っています。ですが、最近はアメリカや中国で無糖茶が少しずつ飲まれるようになってきています。
【村瀬彰洋】また、アメリカでは一時期無糖茶がブームになったのですが、それを一過性のものにしたくなくて。展望としては、地域に合わせて有糖のものを売るのではなく、日本人が飲むように無糖の緑茶文化を浸透させ、世界的に無糖の飲料市場を作り上げていくことが目標です。
【村瀬彰洋】現在、「お~いお茶」は、世界30カ国以上で販売されているのですが、2023年11月には、ブランドの海外展開をさらに広げるために、ドイツとベトナムに現地法人を設立することを発表しました。なお、欧州での拠点設立は初の試みになります。世界中で「お茶といったら『ITOEN』に。」を掲げ、お茶の魅力をさらに世界各国に広げていきたいです!
この記事のひときわ
#やくにたつ
・なじみやすい名前はヒットのために必要な要素
・市場を作り出すのが成功の近道
・ひとつのものに特化するのは、生き残るための戦略
取材・文=越前与
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