連載第2回 1990年「愛し合っているかい!名セリフ&名場面で振り返る平成ドラマ30年史」

2018年8月21日 9:38更新

東京ウォーカー(全国版) 関西ウォーカー

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姉さん、金ドラ枠が事件です!

名セリフ&名場面で振り返る平成ドラマ30年史

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連載第2回目は1990年。この年の10月から、バブル経済の崩壊が始まった、という説もある。しかし、まだまだ世間の風はバブルのハイテンションが継続中。「お腹すいたね」と思えば「メッシー君」を呼び、「ファジィ」などという言葉で全てをやり過ごし、「オヤジギャル」が焼き鳥とビールで元気に酒場を闊歩していた。テレビをつければ、「ピーヒャラピーヒャラ♪」と愉快な音楽に乗り、アニメ「ちびまるこちゃん」フィーバーが吹き荒れ、なんと39%という視聴率を獲得して「サザエさん」を越えてしまう。そんな中、ドラマ界ではなにやら大きな出来事が…。ナビゲーターの影山貴彦氏が「実はかなり激動の年」と言う1990年を鋭く分析します!

久米宏のニュースステーションと「金曜ドラマ空白の2年間」

―影山さんは、テレビドラマは時代のうねりをそのまま表している、と仰いますが、この年、まさに90年代のドラマ界を語るうえで、絶対外せない大きな出来事があったのだとか。

はい。少し時期は遡りますが、1987年10月から89年9月までの2年間、TBSの金曜ドラマ枠が消滅しているんです。TBS金曜ドラマ枠といえば、「白い影」「悪魔のようなあいつ」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」「金曜日の妻たちへ」など、数々の名作を生み出しています。TBSは民放局の雄で「報道のTBS」「ドラマのTBS」というキャッチフレーズがあったのですが、金ドラは「ドラマのTBS」の旗印を牽引した枠といえます。

―なのに、なぜそれが休止となったのでしょう?

1980年にTBSの看板アナウンサーだった久米宏さんがフリーになっているのですが、彼がテレビ朝日で「ニュースステーション」を成功させたことが大きく影響しています。1985年に始まった「ニュースステーション」という番組は、とにかく常識破りだらけだったんですね。当時、夜10時にニュース番組を放送するのは民放局では例のないことだったし、久米宏さんの所属事務所「オフィス・トゥー・ワン」が制作協力をしているのですが、ニュース番組は局が仕切るのが当然だった時代だったので、これもまた異例でした。テレビ朝日は今でこそパワフルですが、実はテレビ局の中では比較的新しくて当時はまだ13局しかない、ネットワークの弱い局でした。だからこそ冒険ができたんでしょうね。

結果、「ニュースステーション」は大成功を収め、久米宏さんは確固たる地位を築きましたが、TBSとしては自分の局のOBにまんまと成功を収められているわけですからね。「このままじゃ報道のTBSの看板が泣くぞ!」と上層部が、社運とプライドを賭けて報道番組で張り合おうとした。それが、金曜ドラマ枠を休止させてまで、月から金の帯で放送した森本毅郎さんの「JNNニュース22プライムタイム」です。しかしこれが視聴率低迷や様々なトラブルに見舞われ、わずか1年で終了します。その後2度新しいニュース番組で勝負しましたがやはり視聴率が振るわず、結局2年で22時台からニュース番組を撤退することになったんです。

―そこで89年の10月に金ドラが復活したんですね。

浅野ゆう子さん主演の「雨よりも優しく」で復活しましたが、やはり2年間のブランクは痛かった。「ドラマのTBS」に憧れて社外から集まっていた才能が離れるきっかけになってしまったんです。そのチャンスを逃さなかったのが、フジテレビです。もともとバラエティは強かったんですが、このときに人材を集め、同時に「ヤングシナリオ大賞」などで若手育成に種を撒いていたのを一気に花咲かせました。そして月9ドラマでドカンと来た。それから2010年前後まで、フジテレビ月9はドラマのトップを走り続けたわけです。金ドラ枠空白の2年間があったから、月9をはじめとするフジの黄金時代に繋がった。それほどTBSにとっては「絶対に空けてはならなかった2年間」だったと思います。

―ニュース番組やバラエティとドラマ、すべてはつながっているんですね。

局の内部の動きなんて正直、視聴者にとってはどうでもいいことです。ただ、制作や時代の流れ、マンパワーの大きな流れが作品の方向性を変え、明暗を分ける。それを示す最たる事件だったと思います。

TBSドラマの本領発揮「想い出にかわるまで」

―「雨よりも優しく」の次、90年1月から始まったのが「想い出にかわるまで」です。

今井美樹さん演じる主人公が、些細なすれ違いで結婚を延期し、その間に松下由樹さん演じる妹に結婚相手を奪われるという、なかなかスリリングなドラマでしたね。私も毎回「こわっ!」と思って見ていたものです。

―ちょっとした間に大切な人(人材)を奪われる、という設定は、TBSとフジテレビの関係にちょっと似ていますね。

確かに。ただ、さすがにそこまで意識してはいないと思いますよ(笑)。この、入り組んだ大人の恋愛ドラマは、金ドラの王道ですよね。男女の惚れたハレタだけではなく、家族を巻き込んでしっかりと「ドロ沼」を描く。「想い出にかわるまで」の脚本は内館牧子さんで、「これぞTBS!」というドラマをちゃんと作って当てた、そんなプライドを感じる名作です。フジテレビがトレンディで当てていた時期、別の方向性を上手に掬ったともいえます。主演の今井美樹さんは、それまで女性のファッションリーダー的存在でとても開放的なイメージでしたが、このドラマで「ジットリ」な演技を見せ、女優として見事に開花しましたよね。翌年、同じ金曜ドラマ枠で再び内館脚本の「あしたがあるから」で主演をつとめ、こちらもヒットしています。

「HOTEL」「世にも奇妙な物語」に感じたオープニングの重要性

―90年は長寿ドラマ番組もたくさん始まっていますね。

例えば日テレ系の「外科医有森冴子」はとてもクオリティが高いドラマでした。NHK大河ドラマ「いのち」に続く、三田佳子さんの代表作といってもいいでしょう。ドラマの専門家の人の中には、医療ドラマの最高峰として名を挙げる人もいるくらいです。TBS系では、「渡る世間は鬼ばかり」の第一期も1990年ですが、もう一つ、石ノ森章太郎さん原作で、東京プラトンとそのホテルマンの成長を描いた「HOTEL」も長寿番組となりました。私はこの年に放送された第一期の、白鳥英美子さんの歌声に乗り、東京プラトンの外観がドーンと映る、あのオープニングが大好きでした。「姉さん事件です」という決めゼリフで物語が始まる、という構成も印象的でしたよね。

フジテレビは「世にも奇妙な物語」が放送を開始しました。オムニバススタイルも斬新でしたが、こちらもオープニングの大切さを思い知らされたドラマです。ストーリー・テラーのタモリさんの存在、そして不気味なテーマソング「ガラモン・ソング」(作曲:蓜島邦明)との融合は衝撃でした。「世にも奇妙」でもう一つ忘れてならないのは、新人発掘の場として非常に効果的に使われたことです。スタッフや脚本家など、才能ある若手にチャンスを与えたんですね。これはフジテレビが昇り調子で、余裕があったからこそできた「世代交代への新しい種まき」だったといえます。

朝のNHK連続テレビ小説「半分、青い。」の脚本家、北川悦吏子さんも「世にも奇妙な」で注目された1人です(1991年/主演草刈正雄「ズンドコベロンチョ」)。最近では、バカリズムさんの「来世不動産」(2012年秋の特別編/主演 高橋克実)が面白かったですね。彼も、順調に脚本家として才能を開花させています。これからがとても楽しみです。

中山美穂の「純愛力」、緒形直人の「実直さ」、田原俊彦の「しがみ」

―この時期のドラマで印象的だった女優・俳優さんについて教えてください。

「すてきな片想い」の中山美穂さんです。フジテレビはこのドラマと翌年の「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」とあわせて「純愛3部作」と名付けています。とにかくかわいかった! 男も女もキュンとさせる、純愛の似合う女優さんでしたね。デビュー作「毎度おさわがせします」から上手に脱皮し、「ミポリンは絶対こうであってほしい」という、ファンが絶対的なイメージをつけてしまうような、真っ白な魅力がありました。今年の10月から始まる「黄昏流星群」は久々の連ドラ、しかもフジテレビでの主演ということで、昔とは違った「大人の純愛」を見せてくれるといいですね。

男性では、緒形直人さん。彼が「予備校ブギ」などでアイドル的人気を博していた時です。当時から朴訥で誠実なイメージですが、それは今も変わらず。映画「64(ロクヨン)」(2016年/東宝)も「万引き家族」(2018年/ギャガ)も彼が物語をグッと引き締めていました。抑えた演技はお父上の緒形拳さんと通じるものがありますが、拳さんのように「ギラギラ」とはまた違った渋い演技。今は映画を中心に活動されているようですが、テレビにもどんどん出てほしいです。

もう一作、「日本一のカッ飛び男」の田原俊彦さん。トシちゃんブームが落ち着いた頃なので正直「教師びんびん物語」のような爆発力はありません。ただ私は、テレビドラマに限っては「しがむ(かみしめる)」ことはすごく大事だと思います。似た設定、同じ俳優を起用する安定感といいますか、しがんでこそ出てくる味わいがある。少なくとも、私はそれが大好きなんですね。

平成元年よりも強い「昭和の終わり」感

―バラエティやドキュメンタリー番組で特徴的なことはありましたか。

とても印象に残っているのは、当時数々の番組で司会を務めていた大橋巨泉さんがセミリタイア宣言をしたことです。50歳で、完全に業界と縁を切るわけではないが、好きな事だけ選んで別の生き方も考える…。私は単純な人間なので「おおー、かっこいい!」と憧れました(笑)。「巨泉 人生の選択」(2000年/講談社)という本はベストセラーにもなっています。

大橋巨泉さんも黒柳徹子さんも、録画番組でも進行は「生」なんですよね。編集をさせず、30分ピタッと終わるように仕切る。「テレビは生が一番」。これからは原点回帰で、もっと生にこだわる番組が増えるかもしれませんね。私はそうなることを期待している1人です。

また、90年は長寿番組が一気に終わった年でもあるんです。深夜テレビの草分け的存在「11PM」は24年間続きましたが終了。ドキュメンタリー系は特に多くて、「日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行」「野生の王国」「兼高かおる世界の旅」と、20年、30年と続いてきた番組の多くがこの年に長い歴史の幕を降ろしています。

「平成」という年号になった1989年は確かに大きな区切りだったですが、1990年は世の中がより「昭和の終わり」を意識した年だといえます。これら長寿番組の終了は、それを物語っていると思います。

【ナビゲーター】影山貴彦/同志社女子大学 学芸学部 メディア創造学科教授。元毎日放送プロデューサー(「MBSヤングタウン」など)。早稲田大学政経学部卒、関西学院大学大学院文学修士。「カンテレ通信」コメンテーター、ABCラジオ番組審議会委員長、上方漫才大賞審査員、GAORA番組審議委員、日本笑い学会理事。著書に「テレビのゆくえ」(世界思想社)など。

【インタビュアー】田中稲/ライター。昭和歌謡、都市伝説、刑事ドラマ、世代研究、懐かしのアイドルを中心に執筆。「昭和歌謡[出る単]1008語」(誠文堂新光社)。CREA WEBにて「田中稲の勝手に再ブーム」連載。

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