元プロ野球の天才投手がNYヤンキースと3球で契約できた本当の理由が壮絶だった話
関西ウォーカー
チャンネル登録48万人を超える野球ファン御用達のYoutubeチャンネル「トクサンTV」でおなじみのアニキとトクサンが、元プロ野球選手の経営するお店を訪問して本人に直撃インタビュー!現役時代に話せなかったアノ話や、自慢のおすすめメニューを徹底的にしゃぶり尽くす!
ディープな野球談義と、“野球目線”でのユニークな食レポは、ほかでは聞けない!

記念すべき第1回は東京・六本木の「焼肉ビーフマン」のオーナー、岡本直也(元横浜ベイスターズほか)さんが登場。波乱の球歴に注目だ!<前編、後編にわけてお届け!今回は前編>

■岡本直也(おかもと なおや)/1983年岡山県倉敷市生まれ。岡山理大附属を経て2002年横浜ベイスターズ入団。その後メキシコ、米マイナーリーグを経て2011年に東京ヤクルトへ。同年に現役引退。2012年に横浜時代の同僚・橋本太郎氏と「焼肉 ビーフマン」をオープン
「甲子園なんて、余裕やな」と思ってた

アニキ「岡本さん、高校は岡山理大附属(岡山理科大学附属高等学校)ですよね。進学時はほかの有名校にも誘われたんでしょ」
岡本さん(以下、岡本)「僕、わりと早熟だったんですよ。地元では小学生のころから騒がれて…。中学卒業時には30校くらい勧誘にきました。単純なガキでしたから、甲子園に5回出るためには、どの学校がいいかなぁとかアホなことを思ってました(笑)」
トクサン「1年夏からベンチ入りしたいと…意識高いっすね。じゃあ、あまり強豪過ぎても難しい」
岡本「そうなんです。で、最終的に、理大附と県外のもう1校に絞りました。実際にレギュラー相手に投げさせてもらい、県外のほうは9人中6三振。『あ、この先輩たちじゃ甲子園無理かな』って…(笑)。一方、理大附の打者には結構打たれたんで、それが決め手でした。まあ、服装とかもわりと適当だったので、自分に合う気がしたし(笑)」
アニキ「中3当時で、ストレートは何㎞くらい出てました?」
岡本「中学で140㎞くらい。まあ、四球も結構出してたけど…」
トクサン「いやあ、左腕で140㎞は相当エグい。対戦相手からすれば見たことない球って感じでしょ。入学して半年後には実際に甲子園に出てるし」
岡本さん「3年生のエースが腰を痛めてて、県大会では僕も結構投げました。でも決勝直前にエースが『オレが投げる』とか、いきなり言い出して優勝。そのままハマって甲子園の決勝戦まで行きました。まったく苦戦しなかったんでね。『甲子園、余裕やな』とか思ってました(笑)」
アニキ「初の甲子園で余裕って…(笑)。甲子園って、行ってみたら大変なところなんじゃ…」
岡本「すぐ負けると思ってたんですけど、とにかく負ける気がしなかった。相手も弱く感じたんですよね。楽勝で5回行けると思ったけど、結局その後は2年の夏に出場しただけ。その夏は初戦が西東京の東海大菅生(東海大学菅生高等学校)で僕が先発して勝ち、2回戦で広島の瀬戸内(広島県瀬戸内高等学校)に敗退。今思うと、負けるなんてまったく思わずにいつも試合してたから、追い込まれるということがいっさいなかった。それが良かったのかと…。ま、ただのバカだったのかもしれないですけど(笑)」
トクサン「でも、負ける気がしないってことは、メンタル的にはすごくいい状態ですよ。思い切ってプレーできるし。やっぱり違うよな。ドラフトにかかるのも納得ですよ」
ドラフト3位指名は正直ショックだった

岡本「当時は、オレがプロに行けないわけがないと思ってましたね。ドラフトでは3位指名で正直ショックでした。オレの評価ってこんなもんかと…。同期の1位で横浜に指名されたのが智辯学園(智辯学園高等学校)の秦 裕二。コイツより下なのかと、オレは左だぞって(笑)」
アニキ「じゃ、入団した時は、『オレの力、見とれよ』という感じでしたか?」
岡本「ファームで3年下積みして、ローテ投手になってくれ」とか言われたけど、『ハァ、誰が3年も下積みすんの?』って感じでしたね。ところがプロに入ったら、まあ驚きましたね。『こいつら何者? どこに生息してたの?』って連中ばっかりなんですよ」
トクサン「…“生息”って(笑)。でも岡本さんでも、プロ野球の世界はバケモノだらけに見えたと。でも、野球中継とかは見てなかったんですか?」
岡本「高校では寮生活でテレビ禁止だったんです。ずっと缶詰状態で、世の中の情報が全然なくて…。甲子園で対戦した“東海大菅生”だって、誰も読み方わからなかったくらいで(笑)」
アニキ「…それは、情報とはまた別の問題かもしれませんが(笑)。でも、情報が閉ざされ、プロ野球の世界を知らなかったことがアダになったかもしれませんね」
岡本「それだけじゃなく、高校の時に僕らあまりハードな練習してなかったから。智辯学園出身の秦に聞いたら、100mダッシュ100本とかやったって言うんですよ。僕らは年に1回、200m10本をやるだけでした。普段は50mを10本程度で、あとはずっとバッティングと守備。むしろ、理大附は自主練を奨励していて、自分で考えて自主練しろというのが監督の方針でした。自由度は高いけど、サボったヤツは置いて行かれるんです」
トクサン「へえ。でも、それは先進的というか、監督さんはすごいですね」
アニキ「ホント。選手を信じているのが素晴らしい。普通は信じ切れず、どうしても監督がやらせちゃうんです」
岡本「まあ、そんなんでしたから、プロの世界でやっていくのは大変でした。球種も直球とカーブだけだったんで、コーチに1個増やせと言われて、ナックルボールの練習を始めたんです」

トクサン「え? いきなりナックルですか? なんでまた、そんな難しい球を?」
岡本「19歳ですからね。とにかく、バカだったんです(笑)。で、練習してもまったく使いモノにならず、結局ナックルは封印となり、相変わらず直球とカーブだけをひたすら投げてた…」
アニキ「しかし、それだけではプロでは難しかったでしょうね…」
岡本「高校よりストライクゾーンが全然狭いんです。2周りくらい狭い感じでしたね。あと、プロの打者は、とにかく空振りをしない。二軍で投げてもアウトを取るのに一苦労なんですから。同世代くらいの若手でギリギリ抑えられる感じ。ほかの選手は『コイツ、サイン盗んでんのか!?』ってくらいにボカスカ打たれて…。二軍での成績自体は悪くなかったんですが、感覚的にはそんな感じでしたね」
トクサン「それほど厳しい世界で、一軍で活躍する選手って何が違うんですか?」
岡本「実は紙一重かと思うんです。今、バリバリのスター選手だって、タイミングよく一軍の試合で結果を出し、それでノリノリになって、自信をつかんでいった感じかなと。二軍で燻ってる中にもいい選手は大勢います。大魔神こと佐々木(主浩)さんがメジャーから戻ってきた時『バットを持っている限り、どんな相手でも絶対に舐めてかかるな』と助言されたんです。あのクラスの人でもそう思ってたんだと。つまり、プロでは実力は紙一重で、一流になるかどうかはタイミングと運も必要なんです。だから僕は、舐めてかかったことはまったくない。誰に対しても常に全力でした」
アニキ「それでわかりましたよ。だって岡本さん。オレらと試合する時でも魂こめて投げてきますもん(笑)」
トクサン「そうね。マジかよ、すげえ球きてるぞって…(笑)。ホントに全力ですよね」
アニキ「威力があり過ぎて、もう球がバレーボールくらいに見えた(笑)。しかし、そんな岡本さんですが、2009年に日本球界を去ってメキシコでプレイしてるんですよね!?」
新天地を求めたメキシコは、すべてがヤバかった

岡本「トライアウトで台湾から2チーム、国内でも独立リーグと社会人からオファーがありました。ただ、僕はMLBかぶれなので、やっぱりアメリカに行きたくて…。で、アメリカのチームが契約してくれることになり、台湾とかのオファーは全部断ったんですよ。ところが、ある日本人選手がそのチームとモメて、日本人との契約は凍結だと…、僕は完全なとばっちりで入団できなくなったんです。『うわ、野球できなくなった』と焦ったけど、エージェントがメキシコ入りの話を持ってきた。で、慌てて向こうに行って、テストを受けて合格したんです」
アニキ「メキシコのプロ野球って、どのくらいのレベルなんですか?」
岡本「テストの時は投手15人中13人がメジャー経験者でした。メキシコは給料がわりといいので、中南米の選手が結構集まる。治安が悪いからアメリカ人はこないけど。メジャー予備軍の中南米の選手が集結するから、レベルは低くない。僕も無理かなと思ったんですが、投げてみると投内連携とけん制球は僕が段違いにうまかった。クイックモーションも、普通にやっただけで『お前、すげえな』ってなる(笑)。それで、入団決定です。もう、毎日のように投げてました。ただ、メキシコは短期契約を少しずつ延長していく形式で、長期でやるのが難しい。かなり活躍してたんですけど、いきなり契約を切られて…。ただ、通訳がいなくてスペイン語がわからず、自分がクビになったかどうかもはっきりしなくて…。時間と場所が書かれた紙切れを渡されて、『ここに行け』と。それで行くと、知らないオッサンに連れて行かれて次のチームでという…」
トクサン「めちゃめちゃヤバそうですね。メキシコは治安も悪いらしいし…」
岡本「僕がいたころはもう最悪で、スタンドに女の子がいたら絶対に見るなと言われてました。マフィアが女連れで観戦するので、見ただけで因縁をつけられてしまうと…。店に入る時も10人以上で行けとか通達されて、球場からの移動も警官の警護付きで…。もう、町中をゾンビが歩いてるような感じなんです(笑)。実際に、チームメートと飲んでいて襲撃されたんです。よくわからないままに因縁をつけられ、気づいたら仲間が血まみれになってて…」
アニキ「…襲撃とか考えられない。とにかく、すごい経験をされたんですね」
岡本「メキシコでは1年間で4チームを渡り歩きましたが、バスで18時間移動とか、ホントにハードでしたね。当時、球速が94マイル(約151㎞)出てたので、エージェントを通じてアメリカに売り込んだら、ヤンキースのスカウトがきてくれたんです。あそこはとにかく速球派投手好きなので…。でも、スカウトの前で94マイルを3球投げた時点で、球場が停電しちゃって(笑)。『3球見れば十分だ』ってことで、それでヤンキースと契約が決まりました」
アニキ「そのタイミングで停電とは、なんとも不思議な巡り合わせというか…」
岡本「ヤンキースとはいえマイナー契約なんで、40人枠に入ってないとメジャーには絶対上がれない。ヤンキースはメジャーでも別格で、マイナー枠の選手を上げるなんてことはしないんです。メキシコで続けるほうが給料もよかったけど、もともとはアメリカでやるのが目標だったし、そこはブレちゃダメだなと思ったので。すぐに契約を切られたけど、幸い日本球界からのオファーもありましたから」

トクサン「ヤクルトでNPBに復帰したんですよね」
岡本「横浜時代にお世話になった相川(亮二)さんが、宮本慎也さんに話をしてくれたんですよ。148㎞くらいは投げられると言ったら興味を持ってくれて。パ・リーグのチームからもオファーがあったんですが、迷った末にヤクルトのテストを受けたんです。パのチームのほうが高く評価してくれてたんだけど、引退後のことを考えたら、ヤクルトで終わったほうがいいかなと…。やっぱり人付き合いって大事じゃないですか」
アニキ「選手生活より、人との関係を大事にしたわけですね」
岡本「7月に入団して10月にクビでしたけど(笑)、宮本さんには今もお世話になっているし、選択は間違ってなかったと思います」
トクサン「ようやく、お店の話になりそう。ここまでの経緯が波瀾万丈過ぎちゃって…なかなかたどり着きませんでしたが(笑)。あ、その話は次回(パート2)に続くんですね」

■焼肉 ビーフマン 六本木本店/住所:東京都港区六本木7-16-5 戸田ビル 1F 電話:03-5785-2082 営業時間:18:00~23:00(LOフード22:15、 ドリンク22:30) 休み:日曜 席数:50席<喫煙可> アクセス:都営大江戸線六本木駅7番出口徒歩1分
■トクサンTV/チャンネル登録者数48万人、再生回数3億回超を誇る驚異的人気のYouTubeの野球チャンネル。トクサン、ライパチ、アニキの3人が、野球がうまくなる練習法をはじめ、元プロ野球選手との対戦や野球グッズレビュー、自身が所属する草野球チームの試合などを配信。https://www.youtube.com/channel/UCfkM3u-0uSKADDitZLpXcfA
■トクサン(徳田正憲)/1985年東京都出身。帝京高校で甲子園に出場。創価大学では主将を務め、ドラフト候補にもなる。2016年に始めたYouTube「トクサンTV」が大ヒット
■アニキ(平山勝雄)/1978年大阪府出身。神戸大のエースとして活躍。テレビマンとして数多くの番組を手がける傍ら、トクサンTVを立ち上げ。トクサンも所属する草野球チーム「天晴」のエースを務める
渡辺敏樹