「左手1本でバックスクリーンに...」元横浜の投手・那須野 巧が感じたプロの壁とは
東京ウォーカー(全国版)
チャンネル登録51万人を超える野球ファン御用達のYoutubeチャンネル「トクサンTV」でおなじみのアニキとトクサンが、元プロ野球選手の経営するお店を訪問して本人に直撃インタビュー!現役時代に話せなかったアノ話や、自慢のおすすめメニューを徹底的にしゃぶり尽くす!
ディープな野球談義と、“野球目線”でのユニークな食レポは、ほかでは聞けない!

第3回は、東京・板橋の「ひだまり」のオーナー、那須野 巧(元横浜ー千葉ロッテ)さんが登場。自慢のメニューをアニキとトクサンが初体験!<前編、後編にわけてお届け!今回は前編>

■那須野 巧(なすの たくみ)/1982年東京都生まれ。駒場学園高から日本大学を経て2004年に自由獲得枠で横浜ベイスターズ入団。即戦力左腕と期待を集めたが、勝ち星に恵まれず、09年11月に千葉ロッテマリーンズに移籍。11年限りで現役を引退し、14年に東京・板橋に「ひだまり」をオープン。
高1の時は、干されて草むしりばかりやらされた

アニキ「今日はよろしくお願いします。あの、那須野さん、取材はあまり受けないと聞きましたけど…」
那須野「そうなんです。メディアにあまりいいことを書いてもらえないから(笑)。普段は断ることも多いけど、トクサンとは面識があったので、今回はお引き受けしました」
トクサン「ああ、それはありがとうございます! 僕の高校の先輩が那須野さんの後輩で、このお店に連れてきてくれたんです。でも、高校時代も駒場学園の那須野さんと言えば、有名でしたよ」
那須野「僕は中学でサッカー部に入っていたくらいだから、異端の球児でしたけどね」
アニキ「サッカー部? 野球は高校からですか?」
那須野「いや、小学生から少年団で野球をやっていて、中学ではサッカーと少年団の野球を並行してやってました」
トクサン「平日はサッカーで、土日は野球ですか? 二刀流だったんですね」
那須野「試合が重なったらサッカー優先でしたね。当時はJリーグがブームで、サッカーでプロを目指せると言われたこともあります。中学で185㎝あったから、この体格は有利なんですよ。だけど、僕よりサッカーがうまい選手は部内にもいたけど、野球では突出してた感じはありました。学校でソフトボール投げをやると、誰も50m越せないのに、僕だけプールにドボンで、測定不能でしたから(笑)」
アニキ「相対的に、野球選手としての実力のほうがサッカーより勝っていることを自覚されたんですね」
那須野「それに、野球は契約金とか契約更改が必ずニュースになるけど、サッカーだとあまり報道されないから。職業として考えれば、サッカーより野球のほうが現実的だと思ってましたね。サッカーは選手生命も短いとか」
トクサン「中学時代に、そんなに冷静に考えてたんですか?」
アニキ「…確かに異色の球児だったかもしれないですね。それで、高校は野球で選んだ形ですか?」
那須野「いや、普通に学力で入りました。スポーツ推薦でも何でもなく。勉強はまあまあできたんです。でも野球部に入るのは躊躇しました。坊主頭にも抵抗あったし…。迷った末に覚悟を決めて野球部に入ったんです」
アニキ「それから、野球に打ち込んだのですか?」
那須野「それが全然で…。部員の多くはスポーツクラスなのに僕は一般クラス。推薦組は入学前から練習に参加してたのに、僕は4月になってから入部。しかも、監督の家に電話して『GWの休みはいつですか?』って聞いたくらいですから、ちょっとした伝説になって(笑)」

トクサン「確かに、そんなヤバい1年生はいないですね(笑)」
那須野「ある日、土曜の練習をサボって友だちとカラオケに行き、監督から『お前はもうやめろ』と言われたんです。でも、そこで『やめません。これからしっかりやります』と。以降はずっと無遅刻・無欠勤でした」
トクサン「あ、そこで辞めなかったんですね」
那須野「意地があったんです。僕が野球部なんて続くわけないって、みんな言ってたし。『やっぱり辞めた』って言われるのが嫌で、ホントに意地でした。でも、1年時はずっと干されて、草むしりと水撒きばかり。冬場は水が冷たくてきつかったな。河川敷のグラウンドなんで、水を撒かないと砂が舞っちゃうんですよ」
アニキ「ずっとボールにも触れない状態ですよね。それは結構辛かったと思います。ただ、監督はちゃんと見てたはずですよ」
那須野「このまま干されるはずないという思いもありましたけど、そんな時期を経て投手の練習も始めました。中学では外野かファーストでしたから。地肩が強かったから、そこそこ速い球を投げてましたね。コントロールはめちゃめちゃでしたけど(笑)。変化球もどうにかカーブを投げられたくらいで」
トクサン「確か、同級生に伊藤(秀範)さんがいたんですよね」
那須野「彼がエースで、僕はずっと10番。伊藤は後に四国アイランドリーグを経てヤクルトに入団してね。彼は打撃もよくて4番を打ってました」
アニキ「じゃあ、伊藤投手と左右の両輪という形ですね」
トクサン「でも、当時の駒場学園はやはり、那須野さんの印象が強い。伊藤さんも好投手でしたが、長身のサウスポーで球も速くて、ボールの角度がすごかった。マウンドでも風格がありましたよ」
那須野「伊藤は1年から投げてて、結構酷使されてたから。3年の時は故障してたんです。そこで僕が勢いよく出て行った感じでしたね。2年秋のブロック大会は全試合に僕が投げて、修徳とか強豪も破って初めて注目されたんです。『駒場に左のデカイ投手がいるぞ』って。球種は相変わらずまっすぐとカーブだけでしたけど。3年の春は東京都でベスト4に入り、準決勝で帝京にボコボコにされました(笑)」
トクサン「その試合は、スタンドで先輩の応援をしてました!」
那須野「まあ、当時の帝京は強かった…。僕も3年時は140㎞出してたんだけど。帝京の打者はパワフルでね。でも、その夏は帝京も甲子園に届かなかった。僕らも4回戦で都立城東にボロ負けでした」
トクサン「当時の城東も強かったです。しかし、那須野さんの高校時代は起伏に富んだ波乱の3年間でしたね」
アニキ「草むしりからの投手デビューで、強豪をなぎ倒すまで成長したんですから。卒業後は日本大学に進まれたんですね」
入れ替え戦で3日連続完投の伝説をつくった

那須野「高校にも日大からコーチが派遣されてきたし、日大とパイプがあったんです。コーチからマンツーマンでスパルタ指導されました。死ぬほど厳しかったけど…。そんな経緯もあり、日大に行くのは既定路線だったんです。でも、日大のセレクションも茶髪で行ってコーチに怒られて黒く染められ…。ちなみにその美斉津さんというコーチは、高校時代に僕を指導してくれた人で、僕が入学すると同時に日大に戻ったんですよ。ああ、また地獄のスパルタ指導をされるなぁと…」
トクサン「それは恐怖ですね。でも、大学でもやっぱり異端だったんですね(笑)」
那須野「美斉津コーチのチェックが異常に厳しいなか、なんとか練習をサボってました(笑)。寮生活のストレスも初体験で、ハケ口が必要だったんですよ。あと、透明ピアスをしてて村田(修一)さんにこっぴどく怒られたっけ。あ、ピアスってダメなんだって…(笑)」
アニキ「…まあ、『ピアスをするな』とはどこにも書いてないですからね(笑)。ただ、大学時代の成績を見る限り、素晴らしい活躍をされていますね」
那須野「1年秋のリーグから少しずつ投げ出して、2年になった時に当時の4年だった館山(昌平)さんが故障して、出番が回ってきたんです。3年になったら、僕がエースでフル回転。ただ、村田さんたちが卒業して打線が弱く、あまり勝てず…。専大との入れ替え戦に回り、僕が3連投3完投で426球を投げ、一部残留を勝ち取りました。3連投した投手は多いけど、3日連続完投は東都リーグの長い歴史で初めてで、これも伝説と言われています」
トクサン「3日連続完投って、信じられない…。3日目とか、どんな感じなんですか?」
那須野「いや、それが結構生き生きしてて、全然大丈夫でした。それまであまり投げてないから、目減りしてなかったんです(笑)。ただ、あの入れ替え戦の重圧はハンパじゃないから、負けたら降格という試合で下級生に投げさせるのは酷だった」
アニキ「まあ、結果勝ったわけですし、3連続完投した甲斐があったということですね」
トクサン「野球雑誌で那須野さんの記事をしばしば読んだことを覚えてます。当時は東都のレベルがすごくて、六大学よりずっと強かった時代だし…。その東都で通算22勝、防御率1.39でしょ。やっぱりすごいですよ」
那須野「確かに投げていて、楽しかったですね。でも、僕は背負ってるものが何もなかったでしょ。野球エリートとは程遠い、こんな自分なんか、打ちのめされても当然だと思ってたんです…」
アニキ「しかし、打ちのめされることがなかったんですね(笑)」
那須野「そうなんです。プロに入って初めて打ちのめされるんだけど、乗り越え方がわからなかった。そういう経験がなかったから…。プロ入りした時は故障を抱えてて、リハビリ明けで投げられるようになり、ファームの日ハム戦で金子誠さんにホームランを打たれたんです。今までポテンヒットしか打たれたことのない、低めのチェンジアップを泳ぎながら左手1本ですくい上げ、そのままバックスクリーンですよ。『なんだよこれ』って…。プロって、こんな人がいる世界なのかと。その時に、オレなんかが通用する世界じゃないって痛感しました」
アニキ「アマとプロとの違いを認識させられたんですね」
那須野「大学時代のようには空振りも取れないし、ストライクゾーンも狭い。甘く入ったら痛打されるし…。ただ、そこをかいくぐっていくのがプロの投手だから。自分はそのレベルに達してないなと実感してましたね」
トクサン「そこがプロ野球の真実なんですね。やっぱり、すごい世界なんだな…」
那須野「一方で、大学時代に対戦している打者は、プロで対戦しても精神的に優位に立てた。巨人の亀井(義行)やソフトバンクの松田(宣浩)は、今でこそ一流だけど、大学では打たれてないから抑えられましたね。松田の場合は、大学時代のイメージ通りに、高めのまっすぐが通用したんです」

アニキ「微妙だよなぁ…。気持ちで優位に立てれば、ほかの選手も抑えられたかもしれないのに」
那須野「『打たれたくない』…って怖々と投げる球と、『打たれるわけない』と上からねじ伏せるように投げる球じゃ、やっぱり違う。プロで燻ってる頃に、『もったいない』って、よく言われたんです。僕はそう言われるのが嫌だったんだけど、今思えば、ありがたい言葉なんですよ。僕の能力を評価してくれているからこそ、出てくる言葉だから…」
トクサン「そうですね。才能がないヤツに「もったいない」とは言わないから…。でも、もし那須野さんがあの頃に戻れたなら、自分のどこを変えますか?」
那須野「…それは、考え方かな。昔のコーチからも『考え方がプロになりきれなかったからダメだったんだよ』って言われますね。だから、そういうプロらしい考え方ができるような環境で野球をやってなかったんですよ。貪欲に他人を蹴落として、自分が生き残るためにどうするかっていうギリギリのところで野球をやったことがなかったから…」
(後編に続く)
■ひだまり
東武東上線大山駅にあり、鉄板焼き・お好み焼き・もんじゃ焼きを提供する。お好み焼きの「ひだまりスペシャル」をはじめ、アグー豚の鉄板焼きなど独創的なメニューが充実。親しみ安い店として幅広い層に人気を誇る。

■ひだまり/住所:東京都板橋区大山町24ー16 大矢ビル 1F 電話:03-3959-1640 営業時間:17:00~翌1:00 (LO24:00)、日祝:17:00〜24:00(LO23:00) 休み:不定 席数:28席<喫煙可> アクセス:東急東上線大山駅徒歩10分
■トクサンTV/チャンネル登録者数51万人、再生回数3億回超を誇る驚異的人気のYouTubeの野球チャンネル。トクサン、ライパチ、アニキの3人が、野球がうまくなる練習法をはじめ、元プロ野球選手との対戦や野球グッズレビュー、自身が所属する草野球チームの試合などを配信。https://www.youtube.com/channel/UCfkM3u-0uSKADDitZLpXcfA
■トクサン(徳田正憲)/1985年東京都出身。帝京高校で甲子園に出場。創価大学では主将を務め、ドラフト候補にもなる。2016年に始めたYouTube「トクサンTV」が大ヒット
■アニキ(平山勝雄)/1978年大阪府出身。神戸大のエースとして活躍。テレビマンとして数多くの番組を手がける傍ら、トクサンTVを立ち上げ。トクサンも所属する草野球チーム「天晴」のエースを務める
渡辺敏樹
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