【その1】大成功のNY公演直後に浪曲師・春野恵子を直撃!「浪曲と出会ってから自分の本当の人生が始まった!」
関西ウォーカー
浪曲師・春野恵子さんがニューヨーク公演を終えたばかりで帰国。その直後に彼女を直撃した!
_浪曲としては初のニューヨーク公演を終えられたばかり。お疲れさまでした!やはり昨年、山本能楽堂で披露された全編英語による「番町皿屋敷」が今回への大きなきっかけとなったのでしょうか?
「やはりそうですね。山本能楽堂さんには留学生や観光客など、外国の方が多くいらっしゃるのですが、実際にそこで英語浪曲を披露した時にも外国のお客様が多くいらっしゃっていて、すごく良い反応をいただいたんです。実はそれまでは、私自身も海外旅行の趣味もありませんし(笑)、浪曲という日本の伝統芸能をやっていくうえで海外に進出していくということは考えていなかったんです。それが、昨年の英語浪曲を海外の方に聴いていただいたことで、浪曲という“語り芸”の面白さをもっと世界中の方に聴いて頂きたいなと思ったんです」
_浪曲師になられる前はテレビの世界で人気を博していらっしゃって、経歴だけでもかなり異色ですよね。
「そうですよね(笑)。浪曲師になる以前というのは、私自身も思いもよらない形で芸能界という世界に出るようになって。世間に知られる大きなきっかけとなった番組『進ぬ!電波少年』に関してはすごく充実した8ヶ月でしたし、本当に悔いのないように一生懸命やってきました。一生懸命が過ぎてたまに脱走したりもしましたけど…(笑)。まあそれは置いておいて、元々、私はタレントとしてテレビに出たいという気持ちは持ち合わせていなかったということもあって、その世界にいることがどんどんしんどくなってきたんですよね。それで精神的にすごく悩んで、本当に引き隠りのようになってしまって。ちょうどその頃に姉がニューヨークに住んでいたのですが『姉のところにでも行ってらっしゃい!』という母の勧めで、かなりダウナーな精神ながらもニューヨークへ行ってみたんです。替えのパンツすら持たずに。向こうに着いてから、ヴィクトリアズ・シークレットのパンツを購入しましたけど(笑)」
_笑!ニューヨークではどのように過ごされていたのですか?
「その当時、日本ではテレビの影響でどこを歩いていても“恵子先生”って声をかけられることも多くあったのですが、ニューヨークではそんな自分の事を知っている人は誰もいなくて。それが何かほっとしたというか、日本の社会の雰囲気とは違っていて『私は私のままでいいんだ』ってすごくパワーをもらえたんです。最初は向こうでも姉のアパートに引き蘢って寝たきり状態だったんですが、少しずつニューヨークという街からパワーをもらうことが出来て。そしてこのニューヨークという街を本当に楽しみたかったら、自分自身にしっかりとした『コレ!』っていう“何か”を掴まないといけない、という強い意志のようなものが芽生えたんです。それで、自分にとっての“何か”を見つけるために日本に帰ってきたのですが、それからほどなくして落語と出会い、落語から講談に出会い、浪曲と出会うことになりました。ですから、私が浪曲師になってから10年目に再びニューヨークへ訪れることが出来たことは、自分のなかでは凱旋的な意味もあって。それと同時に『浪曲を世界へ広げるための第一歩はどこだ』と考えた時に、そういった個人的な思い入れもありつつ、やはりニューヨークという街はエンタテインメントの本場ですし、浪曲はよく『一人ミュージカル』と形容されることも多いのですが、日本が誇る伝統的なエンターテイメントをもってニューヨークの舞台を踏むということはすごく大きな意味があると思いましたね。
_全編英語で浪曲をやろうという、そもそものきっかけは何だったんでしょうか?
「私は4歳から6歳までアメリカに住んでいたのですが、一番最初に操れるようになった言語が英語だったんです。ですから『英語で表現する』ということにはもともと興味があって。根底には、浪曲という芸能の特色である“語り芸”の手法を広げたいという想いが強くあって、世界中にはいろいろなエンタテインメントがありますし、様々なスタイルの“語り芸”があると思うのですが、浪曲のように一人の人間が声色を使い分けて人物を演じ分け、語りもあり、三味線と一緒にメロディアスに伝える“節”もあるという、あらゆる手法を使って物語を形成していくという演出は世界的に見ても非常に珍しいものだと思うんです。そういった手法自体が世界に広まって、いろんな語り芸やエンタテインメントに携わっている方が『こういうやり方面白いね』『やってみようか』という気持ちになってもらえたら面白いなと思いますね。例えば、スペイン人がスペインの物語をスペインの楽器と一緒に演じていく、みたいなことになったらすごく楽しいと思うんですよ(笑)。そんなことが現実に起こってほしいなと思うので、自分のなかで浪曲を世界に広げたい!という想いがすごく高まっているんです」
_日本語という言語から離れることでのご苦労はどういった部分だったのでしょうか?
「ニューヨーク公演は『浪曲を英語でやっていきたい』ということではなくて、浪曲が世界に広がっていくための最初のテストケースの意味でもありました。浪曲は“節”も自分で作っていくのですが、それまで英語で節をつけるという経験がありませんでしたから、そこがとても難しかったですね。基本的に私は浪曲師としてはまだ10年しか経っていない、まだまだ経験の浅い身分なんです。ですから、技術的にも節を自由に操れるところまでは到達していませんし、さらにそれを英語にするというのは自分の経験値ではすごく苦労を強いられる作業ではありましたね。英語浪曲では『番町皿屋敷〜お菊と播磨〜』という日本ではお馴染みの演目を披露したのですが、『日本語をただ英語に置き換えてみました』『こんなの作ってみました』で終わらせてはいけない、とう部分に強いこだわりがありました。英語になったとしても、登場人物の心情だったり節だったり、ちゃんと物語が持っている世界観を伝えないといけないと思っていましたので、そこにはとても時間をかけて取り組みました。慣れている日本語でやるほど巧くあやつれない部分はあったかも知れませんが、実際に公演を聴いてくださったお客様からの反応も良かったことが今後の力になりましたね」
※【その2】に続く
【取材・文=三好千夏】
この記事の画像一覧(全1枚)
キーワード
テーマWalker
テーマ別特集をチェック
季節特集
季節を感じる人気のスポットやイベントを紹介
全国約900件の花火大会を掲載。2025年の開催日、中止・延期情報や人気ランキングなどをお届け!
ゴールデンウィーク期間中に開催する全国のイベントを大紹介!エリアや日付、カテゴリ別で探せる!
おでかけ特集
今注目のスポットや話題のアクティビティ情報をお届け
キャンプ場、グランピングからBBQ、アスレチックまで!非日常体験を存分に堪能できるアウトドアスポットを紹介