そのスイッチを押せば…【いきものがかり山下穂尊の『いつでも心は放牧中』Vol.3】
東京ウォーカー(全国版)

武道館をはじめ、全国のアリーナや野外会場で、何万人ものお客さんが僕たちのライブを観てくれる。ありがたいことだ。
でも僕は、もともと人見知りだった。
基本的に人前に出て何かをやるといったことは本当に苦手だった。
小さい頃のこと。たぶん4歳とか5歳。家に両親のお客さんが来ることがよくあった。そんな時、僕はあまり喋れなかった。それをよく両親にも指摘され、いつの間にか、人前に出ることが苦手というのがコンプレックスになっていた。ただ幼いながらに、そういう自分の性格を何とかしなければいけないという意識はあって、よし、今度自宅にお客さんが来たら、きちんと挨拶して会話しようと僕なりに決意していた。
お客さんがやって来た。挨拶に出た両親の後をついていく。さあ、ちゃんとするぞ。こんに——。
「ごめんなさい。この子人見知りで…」
両親が申し訳なさそうに言った。その瞬間僕は口ごもって何も言えなくなってしまった。せっかくちゃんとしようと思ったのに! それからも僕の人見知りはつづいた。
小学校の頃はピアノを習っていた。ピアノには発表会というものがつきものだ。けれど僕には、その発表会の意味がさっぱりわからなかった。もちろん、日々の練習の成果を披露する場だということはわかる。しかし、ちょっと習っただけの小学生の演奏なんてたかが知れている。それよりも、ずっと後のほうになって出てくる大きなお兄さんやお姉さんの演奏が素晴らしいに決まっているのだ。それなのに、どうして僕なんかの演奏ごときに拍手が起こるのか? それがまったくわからなかった。その拍手の意味は? そんなふうに思うと、また余計に人前に出ることの理由が、僕の中でひとつ消えていくのだ。まるで咬ませ犬じゃないか、とか思ったりして。
クラスでも学級委員どころか班長になるのも嫌だった。
小学生の頃、僕のことを目にかけてくれた担任の先生がいた。学年の修了式に通信簿を先生から受け取るクラス代表に僕を選んでくれた。もちろん、僕にとってみたら、選ばれてしまった、というくらい迷惑なものだったけど。嫌だなあという気持ちでずっといたのが功を奏したのか(?)、当日風邪を引いてしまって行けなくなった。布団の中でガッツポーズしたのは言うまでもない。
しかしある時から、こんなふうに思うようになったのだ。
「そろそろ人見知りやめようかな」
中学の終わりか、高校に入る頃だ。やめようと思ってやめられるわけではないのだが、自分が人見知りだと思うことをやめるのはできる。実際にスイッチを押してみると、人前に出ることがそれほど苦にならなかった。きっと、人見知りだからという壁を勝手に作っていたんだと思う。自分を変える、とか思うと無理が生じるが、自分で作った壁なら自分で取っ払うしかしょうがないじゃないか、そんな感じ。それでふと気づいたのは、そもそも人見知りじゃない人っているのだろうか? ということ。誰だって他人とコミュニケーションをとるのにはそれなりに緊張もするし、楽しいことばかりではない。みんな人見知りなんじゃないか、そう思うと、人見知りの自分と人見知りじゃない自分がひとつに繋がったような感じがした。
今でも基本的には人前に出るのは苦手だ。でも、人前で音楽をやることはもちろん大好きだ。どっちも僕なのだ。無理に変わろうと思う必要はない。ほんの少しの勇気を持って、スイッチを押してみたらいい。ゆっくり何かが動き出すはずだ。
路上ライブをやりだした時、さすがに両親はびっくりしていたけど…。
編集部
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