コーヒーで旅する日本/四国編|コーヒーは大人の世界の入口。子どもの頃に抱いた憧れが、いまだ尽きない情熱の原点。「珈琲倶楽部」
東京ウォーカー(全国版)
全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。4つの県が独自のカラーを競う四国は、県ごとの喫茶文化にも個性を発揮。気鋭のロースターやバリスタが、各地で新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな四国で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが推す店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

四国編の第37回は、香川県丸亀市の「珈琲倶楽部」。店主の大西一暢さんが、初めてコーヒーに関心を抱いたのは中学生の頃。当時ファンだった名優・高倉健への憧れから。高校時代に自宅でサイフォンを使い、大学時代に仙台の自家焙煎の名店に感銘を受け、自店を開業してからは自称“煎り人”として、今もコーヒーへの尽きぬ探求心を発揮。「ある意味で、店は実験室みたいなもの」と、自店のスタイルにこだわらず幅広いコーヒーの醍醐味を提案するのは、コーヒーを入口にいろいろな人が交流する喫茶文化を残したいとの思いから。近年、増えつつある若手ロースターと老舗を取り持つキーマンとして、香川のコーヒーシーンを盛り上げている。

Profile|大西一暢(おおにし・かずのぶ)
1961年(昭和36年)、岡山県生まれ。中学生の頃、ファンだった俳優・高倉健がサイフォンコーヒーを愛飲していることを知って興味を抱き、高校時代にサイフォンを購入し、自宅でコーヒーを淹れ始める。仙台の大学に進学し、当地の名店、デ・スティルコーフィーとの出会いから、本格的にコーヒーに傾倒。卒業後、会社員を経て、1994年に「珈琲倶楽部」を創業、1998年に焙煎機を導入し、自家焙煎店としてリニューアル。自ら“煎り人”と称し、焙煎の腕を磨く傍ら、産地の視察やイタリアのバリスタ資格取得など、幅広くコーヒーの魅力を追求。店の内外で多数のイベントにも携わり、香川のコーヒーシーンの盛り上げに力を入れる。
昭和の名優に憧れて、初めて淹れたサイフォンコーヒー

日本を代表する名優・高倉健。銀幕のスターに憧れて、役者の道を志した人は多いかもしれないが、店主の大西さんが志したのはコーヒーの道だった。「中学2年の時、映画雑誌の記事で、健さんが普段、サイフォンでコーヒーを淹れていることを知って。コーヒーって大人の入口だなと感じて、すごく憧れたんです。周りの人に聞くと、サイフォンなら喫茶店にあると言われて、初めて入った時は子供心にドキドキしたのを覚えています。これがコーヒーか! という高揚感がありました。中学生にしたら喫茶店はまさに大人の空間。自分もいずれは彼女と喫茶店に来て、コーヒーを頼んで、“お砂糖は何個?”と聞かれてみたい、と思ってました(笑)」と、当時を懐かしむ。
長じて、高校になってからアルバイトを始め、貯めたお金で最初に買ったのは、憧れのサイフォンだった。「家で使う時はたびたび友達を呼んで抽出を披露していました。ちょっとした儀式みたいな感じで、コーヒーが下に流れ切って、ポンと音を立てた時の、友達の驚いた顔は今も思い出せます。だから、コーヒーは大人のまねをして入っていった感覚でした」。当時の熱は冷めることなく、その後、教員を目指して仙台の大学に進学。当地で指折りの名店として知られるデ・スティルコーフィーとの出会いで、コーヒーとの縁はより決定的なものになる。

「大学1年の時に店主の阿部さんを紹介してもらって、初めて訪ねた時は、まだ店を持つ前で、自宅で豆を焙煎されていた頃。年はそんなに変わらなかったけど、仙台の老舗、カフェプロコプで焙煎を任されて、後に独立したところでした。豆の販売店だったので、ここで飲めますかと伝えたら、ストーブに乗ったやかんのお湯で淹れてくれたんですが、ほろ苦く香ばしい、キレのいい風味に衝撃を受けました」と振り返る。現在、「珈琲倶楽部」の定番となっている、みちのくブレンドは、自身の原点の味が由来になっている。
学生時代、大西さんは同級生とシェアしていた下宿にもサイフォンを持ち込んでいて、阿部さんの豆を使って皆にコーヒーをふるまい、デ・スティルコーフィーに足繁く通った。「その間に、阿部さんが立ち飲みのコーヒーショップを開店されて、ネルドリップで飲めるようになりました。その時に、水出しコーヒーの器具を初めて知って、カクテルグラスで提供してくれたから、最初はお酒かと思いました(笑)」と大西さん。およそ半世紀たった今、コーヒーを生業としているのは、学生時代の大人への憧れの延長線上にあるという。
卒業後、香川に戻ってからは、一度は会社勤めも経験するも、商売を手掛けていた叔父の後押しもあり、94年に「珈琲倶楽部」を開業。当初は、地元の焙煎卸とデ・スティルコーフィーから豆を仕入れ、喫茶店としてスタートした。当時の界隈には、6時から開店する喫茶店が3、4軒あり、モーニングのお客が引きも切らなかったという。

持ち前の探求心と行動力で “煎り人”の道を邁進

順調なスタートを切ったように見えたが、ほどなく「喫茶だけでは経営的に厳しいと感じて、焙煎して豆を売ろうと考えたんです」という大西さん。「阿部さんに生豆を分けてもらって手網焙煎を始めました。それがビギナーズラックでうまく焼けて(笑)。本格的に自家焙煎にしようと思ったんです。忙しい時は手網を両手で持って豆を焼いて、好評なのはうれしかったですが、しんどかったですね。焙煎機もいろいろ調べたものの、あまりに高価でびっくりして」と苦笑する。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま1年ほど過ぎた頃、高松で閉業する店の焙煎機を譲ってもらえるチャンスが訪れる。その条件が、常連客をちゃんと引き継ぐこと、そして、コーヒーに情熱があることと聞いた大西さん。「これは自分しかいない!」と、応募して譲ってもらったのが、現在の愛機だ。とはいえ、当時は、「元の店の味を再現するために、通って教えてもらったが、自分が焼きたい豆とは味が違った。理由は焙煎度の違いだったんですが、その時は理由がわからなくて。その程度の知識だったので、今思えば、勢いだけでやってたようなものでしたね」

それでも、持ち前の探求心と行動力で方々の店で教えを請い、関西の自家焙煎コーヒー店の懇親会にも参加。関西でもスペシャルティコーヒーをいち早く扱い始めた、大阪・瓢箪山の元井珈琲、神戸のマツモトコーヒーなど、当時の先端を行く先達とのつながりを広げた。「この時、懇親会に参加して、多くの方と知り合いになれたのが大きかった。本当に何もわからなかったから、直接聞いたほうがいいと、どんどん積極的に近づいていったのが奏功したと思います。顔を覚えてもらうには、名刺交換したらすぐに会いに行くのが秘訣です(笑)」。こうして1998年、「珈琲倶楽部」は自家焙煎の店として心機一転、モーニング以外のフードを廃し、メニューもリニューアルした。以来、ブラジルやインドネシアなど産地にも足を運び、自ら“煎り人”と称して、コーヒーの醍醐味を追求している。

現在、中煎りの「まいるど」、中深煎りの「ほろにが」、深煎りの「にがにが」の3タイプの焙煎度を提案。4種のブレンドを中心に、シングルオリジンも7、8種をそろえる。ここではコーヒーではなく“コーフィ”と表記しているのは、原点であるデ・スティルコーフィーへのリスペクトから。「“ヒー”では何となく響きが安っぽい感じがして(笑)。音のイメージから差別化したかった」というコーフィのメニューは、定番のブレンドやシングルオリジンだけに止まらない。メニューには「めずらしいコーフィ」として、インドネシアのコピ・ルアクやオーガニックのロブスタ種、さらには熊本の老舗・珈琲アローの名物、超浅煎りの琥珀コーフィなんて一品まである。抽出も、基本はペーパードリップだが、「裏メニューでサイフォンやネルもあるし、他店の豆をスポットで出すこともある。ある意味で、店は実験室みたいなもの」という大西さん。
さらに、2005年にエスプレッソマシンを導入したのも、大西さんの好奇心によるところが大きい。「ちょうど、グルメコーヒーからスペシャルティに移行するタイミングで、スターバックスが上陸して、バリスタへの注目が高まった時期。丸亀ではあまり需要はなかったけど、自分の豆がエスプレッソに合うか確かめたくて、車一台分をつぎ込んだ(笑)」。のみならず、イタリアまで行ってIIAC(イタリア国際カフェテイスティング協会)の資格も取得したというから恐れ入る。

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