幕末ミステリーリサーチ File1 近藤勇の胴体を追え! #03 骨の決着~完結編!

東京ウォーカー

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来年の明治維新150年を間近に迎えて、漫画もゲームもテレビも雑誌もますます幕末維新モノで盛り上がる中! 詳しい人もそうじゃない人もみんな一緒に幕末を楽しみたい! という思いで結成されたのが【ボクらの維新通信社2018】。幕末好きの俳優・声優・歴ドルたちが、今日も記事や動画で幕末のおもしろを配信中です。

前回までのあらすじ 〜板橋での調査を終えて!


板橋で時間を使いすぎて、三鷹に到着してほどなく陽が暮れこんな画に……。BMR動画は隊員たちの手作りかつ最低限の経費で作っているので、どうか温かい目で見てもらえるとうれしい。


幕末を謎解きや調査、実験、実証の観点から楽しもうという通信社内のサークル「幕末ミステリーリサーチ」通称“BMR” 【動画※1】

「幕末の謎に体当たり!」を合言葉にする我らが第1回の調査テーマに選んだのは、近藤勇の胴体をめぐるミステリー。慶応4年(1868)4月25日に処刑された新選組局長・近藤勇の胴体は、その埋葬地として東京の板橋と三鷹二か所の説がある。

前回はその一つである板橋の寿徳寺境外墓地を訪ねて、隊員たちが史料に基づく調査の結果や推理を戦わせた。近藤勇が板橋付近の刑場で処刑され、現在境外墓地になっている地所に一旦埋葬されたことは間違いない。焦点は、通説でいわれるように近藤の甥・勇五郎が、おじさんの遺体を掘り返し、三鷹に持ち帰れたかどうかだ。それを調査すべく、BMR一行は三鷹の近藤家菩提寺・龍源寺に向かった! のだが、板橋でた~っぷり時間を使ってしまったために、晩秋の陽はすでに落ちかけてしまっていた。

首なし胴体! 狙撃の傷! 夜のかがり火! 衝撃ワードが飛び出す板橋編動画はこちら⇒◆File01【近藤勇の胴体を追え!】#02 https://www.youtube.com/watch?time_continue=3&v=YL1E7pTTumc

「勇五郎は処刑を最後まで見てないからね」問題


晩年の勇五郎になりきって語るマペヲ。役者の姿勢としては評価できるが、トートツに始めるのはいかがなものか? いきなりの老け役に他の隊員は戸惑い気味。


東京都三鷹市にある龍源寺は近藤家の菩提寺である。近藤家の墓前に着き、BMR隊長のロバート(この記事を書いているボクです)が「近藤勇五郎が勇の遺体を掘り返して持って帰った」説を話し始めるや否や、マペヲが衝撃の事実を発表した。

「勇五郎は処刑を最後まで見てないからね」

『新選組日誌』(文庫版、新人物往来社)を取り出して、鬼の首を獲ったように語り出す、いや演じ出すマペヲ。勇五郎はおじさんの処刑を見届けには行ったものの、その瞬間までは直視できず帰ってしまったことを論拠に、マペヲは「勇五郎は埋葬地を知らないから掘り返しに行けない」と主張した。三鷹派には若干の悪意すら感じられるマペヲの語りシーンは、動画で確認してほしい。

反証! エレクトリカル墓所!


しかし三鷹説を唱えるボクはめげない! だって処刑当日じゃないもん、勇五郎が掘り返しに行ったのは! この動画と記事を追っかけてくれてるガチの近藤勇クラスタのみなさん、お待たせしました。ここから三鷹派の盛り返しです! 新選組を史実アプローチで愛するガチ勢には周知の通り、

・近藤勇五郎が遺体を掘り返したのは、慶応4年4月28日。

そう。処刑3日後のことなんです。だから、そもそも勇五郎が処刑を見ていようがいまいが、問題はないんです。

・じゃあなおさら埋葬場所がわからないじゃん!問題も無問題。

マペヲたち板橋派の、勇五郎は処刑を見届けなかった=埋葬地がわからないというロジックには、3行分だけ頷いておくことにしましょう。動画ではカットしてますが、板橋の近藤勇処刑地と埋葬地は厳密には少し離れていて、埋葬まで見ていない勇五郎にはその場所を特定できないという論旨には、一見説得力がありそうです。が、これも問題ナシ! 板橋派みずからそれを解決してくれてます。近藤勇の処刑後、官軍の命を受けた地元の人たちが、遺体を辱められないよう寝ずの晩をしていたんでしたね? 「かがり火」を焚いて! ならば後日勇五郎が掘り返しに行った時も、かがり火は焚かれていたはず。勇五郎はそれを目印に埋葬地を知ることができた!

板橋派みずから証明した「かがり火」が、三鷹派にとっても有利なエビデンスに。ぶっちゃけ収録前には、ここまできちんとした推理合戦になるとは思ってなかった。


食い下がる板橋派。命と金と人情の勘定


処刑を見ていない勇五郎が、かがり火で勇の埋葬地を知り得たとして、「官軍の命令で見張らされてるわけですよ、ってことは命に関わるんですよ?」と譲らない真衣隊員。警備する自分たちの命に関わるから、掘り返させるワケがないと言い張る。そこでロバートが持ち出したのが、江戸の人々の愛郷心っていうか東征軍への反発。もっとダイレクトにいうと、遠く西国から進駐してきた“田舎者”たちへの嫌悪感。

ロバートは当時の江戸の人々の“パトリオティズム”を信じたいと主張。


板橋がいわゆる「お江戸八百八町」に含まれたか否か、解釈次第で変わるだろうが、距離でいえば日本橋からたった2里(約8キロ)で、板橋は当時の刑法の境界であるお構い場所でもあり、内藤新宿や品川と並ぶ江戸四宿でもあった。長らく幕府の恩恵を受けてきた土地柄だったことは間違いなく、その地で「ごわごわ、ぜよぜよ」言葉も通じにくい東征軍と、幕府を守るために頑張ってきた新選組の近藤勇をめぐる揉め事があれば、地元の人はどっちに肩入れしただろう? さらに勇五郎が現ナマをチラつかせて、「おじの遺体を故郷に返させてくれ」と懇願したら、当時の板橋の人のハートも動いたのではなかろうか?

前回、“永倉新八の想い”という感情論をぶつけてきた板橋派を、同じ感情論で迎え撃つあたり、ロバート・ウォーターマンは体に似合わず小賢しい男であった。

衝撃! 2つの首なし胴体! さらに入れ替え!?


処刑当日、板橋には(都合よく)首なし死体が2体あった! その事実に、当のロバートも興奮した!


かたくなだった板橋派もロバートの主張に傾きかけたところだったが、相手を論破すれば勝ち! じゃないのがBMR。結論がどちらに落ち着こうとも、我々の目的は「幕末のミステリーを調査し、その先にあるさらなる楽しさをみなさんにお伝えする」ことだ。

そこで困っちゃうのが、板橋からも三鷹からも骨が出土しちゃってる事実。近藤勇の処刑、そして勇五郎の掘り返しから時を経た昭和年間に、どちらの埋葬地でも発掘調査が行なわれ、遺骨が出てるんだよな。ここで浮上する新たな問題が、

・首なし遺体が2体必要になる問題。

勇五郎が勇の遺体を三鷹に持ち帰ったなら、板橋の埋葬地はカラでなければならないが、前回の動画で語ったように板橋からも首なし遺体が発掘されている。つまり勇五郎が持ち帰ったのとは別に、もう一体遺体(ダジャレではない)がなくてはならない。それが、

「あるんです! むむっ!」

似せる気のない川平慈英のモノマネをしつつ、ロバートは勇五郎の別の遺談を引き合いに出した。幕府のえらい侍が処刑されると聞き、勇五郎はおじの勇に違いないと見に行ったが、それはスリだったという話だ。つまり処刑当日、板橋には勇とスリ、2つの首なし遺体があった! さあ、今回のBMRの調査もいよいよ大詰め!

断然三鷹派のロバートは、4月28日という日付にも重点を置く。動画では勇五郎を代表者として語っているが、実は勇の遺体奪還には近藤実家の宮川家も協力していて、勇五郎には親戚たちと綿密に奪還計画を練る時間があった。スリの処刑も知っていた勇五郎たちは、郷里に勇の遺体を持ち帰るため、板橋にはスリの遺体を残すという計画を思いついたんじゃないだろうか。昭和の龍源寺の発掘調査の記録に、「偉丈夫そうな骨」とあるのが根拠だ。真衣隊員は「ガタイの良いスリだった」と断定しているが……。

一方板橋派は、厳重な警備に阻まれた勇五郎は、やむなくスリの遺体を勇のものとして三鷹に運んだと主張する。でなければ、分骨してまで板橋に墓を作った永倉新八がかわいそうだ、と。それを言うなら、菩提寺にスリを埋められる近藤一族のほうがかわいそうなんだが。

すでにすっかり陽が暮れ、墓前でこれ以上水掛け論をすることを自重したBMRは、最後に近藤さんに漢詩の朗詠を捧げて、調査を終了することにした。

墓前に敬慕のRequiem


付近の調布飛行場の騒音待ちもあり、日照を失ったBMR一行。夜のお墓。怖いシチュエーションだが、我らには近藤勇がついている!


散々墓前で激論を繰り広げ、真衣隊員に至っては独断でスリが眠っていることにする始末。こんな我々の所業を地下の近藤局長はどう思っていることやら……。後難を恐れ、いやこれではあまりに失礼だと、BMRは最後に近藤さん辞世の漢詩を朗詠し、動画で配信することでせめてもの香華とすることにした。

「孤軍援絶えて俘囚となる 顧みて君恩を念えば涙更に流る 一片の丹衷能く節に殉ず 睢陽千古是れ吾が儔 他に靡き今日また何をか言わんや 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所 快く受けん電光三尺の剣 只一死を将って君恩に報いん」

孤立無援で捕虜となった身の上だが、徳川の恩を思えば涙が止まらない。故事にある睢陽の戦いの忠臣のような心境だ。義を重んじて命を捨てることはもとより覚悟の上。斬首も快く受け入れよう。我が死をもって君恩に報いたい……局長アンタやっぱカッコいいよ!

さすが新選組局長にふさわしいヒロイックな辞世だ!


墓所にこだまする一行の声。我々の思いは近藤さんにきっと届いただろう。カメラを回す通信社の犬さんだけが、それに異論をはさんだ。

調査まとめ~居酒屋感想トーク~


その後BMR一行は、板橋と三鷹で展開した調査や推理を整理すべく、地元の居酒屋でデブリーフィングを行なった。坂本龍馬を軸に幕末を捉えていたマペヲ隊員は、かたき役だと思っていた近藤勇の魅力を改めて知り、真衣隊員は本やWebでは知り得ない、史跡現場を実地に訪ねたことによる発見に喜び、そしてボク、ロバートは幕末維新という大きなうねりの中で、あえて一つの事象を深掘りすることで見えてくるおもしろさを再確認した。

今回のリサーチで、BMRがつかめたことは以下の通り。

・板橋と三鷹両方から、近藤勇とおぼしき遺骨が出ている。

・どちらかは、近藤勇と同日に処刑されたスリである可能性がある。

・しかし両方お参りすれば、必ず近藤局長に会える。

口々に調査の成果を語り、なんとか第1回にふさわしい内容になったんじゃないかと自画自賛モードに浸ろうとした頃、犬さんの恐ろしい言葉が降り注いだ。「首も探してみる?」。

近藤さんの首は、古参幹部として共に生きた新選組隊士・島田魁や明治の遺族の調査でも明らかになっていないのに、それを我らに探せと? よっしゃ、いつかやりましょう! でも今夜はここで一献、近藤さんを想って呑ませてちょうだい!

次回予告! NHK大河を先取り!? 西郷どんのタマのアレ!


西郷隆盛が主役のNHK大河ドラマが始まる半月前の今、大河で描かれるかもしれないし描かれないかもしれないアレを先取りすべく、BMRが迫る次なるミステリーとは!? 次回File02は、西郷どんのタマにまつわるアノ話。近日公開、乞うご期待♪

動画の※印解説!


【動画※1】 BMRとは?

毎度毎度の※1である。幕末が大好きな俳優や声優、歴ドルたちで構成される我らがBMR。今回新たに、カメラ担当でディレクターっぽい立場の隊員が「犬さん」と呼ばれていることが明らかになった。次回からも続々、新隊員が登場するぞ!

【動画※2】 近藤勇五郎

ここまでの動画と記事では近藤勇の甥と言っているが、のちに勇五郎は勇の一人娘たまと結婚し、婿養子となるため、義理の息子でもある。ややこしくなるので、我々は甥で統一した。

【動画※3】 江戸から2里

近藤勇が処刑されたのは、正確には板橋宿にほど近い平尾の刑場。板橋宿には江戸から2番目の一里塚がある。一里塚とは日本橋を起点に1里(約4km)ごとに建てられた目印である。つまり日本橋から8キロほど歩けば板橋宿なのだ。

【動画※4】つねさん

松井つねさんは近藤勇の正妻。近藤の死後、娘のたまと勇五郎とともに現在の東京中野区にある成願寺に身を隠した。ファンには有名な、試衛館時代の稽古着にドクロの刺繍を入れたのもつねさんだ。

【動画※5】首は散らばっている

散らばっているのは局長の首そのものではなく、その碑や塚。会津若松や愛知県岡崎市、山形の米沢にも近藤勇の首塚や墓と称するものがある。BMR的には首は京の三条河原に晒された後、同地の東山あたりに埋葬されたと考えている。

【ボクらの維新通信社2018/ロバート・ウォーターマン(KUROFUNE-United)】

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