復活したYASUDAが日本代表を支える日、夢をかなえた元サッカー少年の壮大な野望

東京ウォーカー(全国版)

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1932年に誕生したサッカースパイクメーカーのYASUDA(創業当時は株式会社安田。その後社名変更して株式会社クリックスヤスダ)が姿を消したのは、2002年の日韓ワールドカップ直前のことだった。

あれから16年。YASUDAの愛用者だったひとりの元サッカー少年がプロジェクトオーナーとなり、「クラウドファンディング」を利用してYASUDAのサッカースパイクを復刻させた。

なぜ、YASUDAのサッカースパイクを復刻させようと思ったのか。そして復刻にあたって「クラウドファンディング」を利用しようと考えたわけは、さらに今、抱く次なる野望は……。夢をかなえた佐藤和博さんに会って話を聞いてみた。

復刻したYASUDAのスパイクを手に語ってくれた佐藤和博さん


ーーまずは、YASUDAのスパイクを復刻させようと考えた佐藤さんご自身について教えてください。

佐藤「生まれは大阪で、小学4年生のときに東京に引っ越してきて、小学校卒業と同時に埼玉に引っ越し。小学4年生のときにサッカーを始めて、そこからずっと、今もサッカー、フットサルをやっています。8歳からはじめて、今年で43歳なので、35年間ずっとサッカーをやっていますね。もちろん毎日ではないですが。

小学4年生の息子もサッカーをやっていて、私はサッカー審判の資格も持っているので、土日は大抵息子のサッカーの試合。大会では審判もして、自分のサッカーもやっています」

ーー佐藤さんは純国産サッカースパイクメーカーの「YASUDA」(創業当時は株式会社安田が、その後、株式会社クリックスヤスダが運営に携わっていた)の社員だったというわけではないんですよね?

佐藤「はい、よく聞かれますが、社員でもなんでもなくて、私のYASUDAとの出会いは中学2年生のときですね。当時はみんな、アディダスとかプーマを履いていたんですけど、足幅が広い私は幅がなかなか合わなくて、ボールを蹴るときにつま先が残ってしまい、「地球を蹴る」みたいなことが多くて(笑)。埼玉の某有名サッカー専門店の店員さんにYASUDAを勧められたんです。履きやすくて、そこからずっとYASUDAを履いていました」

ーー過去に消滅したブランドが復活する事例はいくつかあるかと思いますが、今回、なぜYASUDAだったのでしょうか?

佐藤「去年の夏、仲間とサッカーを楽しんだ後に、『オールカンガルーレザーのYASUDAって蹴りやすかったけど今でも買えるっけ?』みたいな話をメンバーでしていたことがあって、『YASUDAってもう買えないし、ブランドとして無くなったよ。』という話になり、そこで話は終わらず、ないなら自分が履き易かったYASUDAをまた履きたいと思ったことがきっかけですね。権利や商標を調べたら、元YASUDA社員の齋藤(圭太)さんという方が所有していることがわかって、すぐに名刺をつけて手紙をお送りしました。『クラウドファンディングで一緒にスパイクを作りましょう』って。二日後に電話をいただいて、去年の10月末にお会いして、『YASUDAのスパイクを作りたいんです』という思いをぶつけました。そこからスタートしたのがYASUDAプロジェクトです。昨年度、ROUTEF(ルートエフ)という、スポーツと健康に特化したクラウドファンディング事業会社を立ち上げたのですが、そのクラウドファンディングポータルサービスを利用してプロジェクトを進めました。

奇跡的に当時の木型・金型がひとつの工場に残っていたので、『これは作れる!』となって、そこから一気に走り始めたという感じです」

ーー銀行からの融資など資金調達の手段は他にもあったと思いますが、なぜクラウドファンディングを利用しようと考えたのですか?

佐藤「クラウドファンディングとしては後発ですし、自分の会社で作ったプロジェクトの第一弾は『大きな打ち上げ花火を』と考えていて、それでYASUDAを選んだのと、銀行の方ともつながりがあって、融資を勧めてくれる方もいらっしゃいましたが、それだと“自分でやった感”もないですし、クラウドファンディングでYASUDAというブランドをファンの方々と共に皆んなで復刻させる為にクラウドファンディングを選びました」

ーーそして、見事に「YASUDA復刻プロジェクト」を達成しました。今振り返ってみて、あらためていかがですか?

佐藤「おもしろいなと思ったのが、『昔、YASUDAを履いていました』という方が想像以上に多かったのと、元社員の方からの支援や、『バイトしてました!』とか『取り引きしてました!』といった方、『高校のときにYASUDAを履いていました!』など、懐かしがってくれる方が多かったですね。融資では、こういうみんなの『復刻させたい』という想いは得られなかったと思います」

ーー今後、YASUDAをどうしていきたいと考えていますか?佐藤さんの目標、野望を教えてください。

佐藤「5月に株式会社YASUDAを立ち上げました。以前の株式会社安田は漢字表記でしたが、今回は英語表記で『YASUDA』としています。日本はもちろん、海外でもジャパンブランドYASUDAを広めて行きたいと考えているからです」

佐藤「目標は明確にあります。今、日本のサッカー、フットサル用品の市場は約625億円の規模なのですが、まずは5年以内にその10%くらいのシェアを取りたい。さらに大きな目標としては、世界です。YASUDAってワールドカップごとにいろいろある会社なのですが、たとえば、2002年日韓ワールドカップの直前に倒産して、今年のロシア・ワールドカップで復刻。次はカタールのワールドカップなので、出場選手の5、6人くらいの選手にYASUDAを履いていてほしいなと考えています。もちろん、2020年の東京では、日本人選手に履いていてほしいですし、さらにその先の夢としては、サッカー日本代表のオフィシャルサプライヤーを日本のメーカーとして担いたいですね。海外のメーカーではなく、日本のメーカーYASUDAが。もちろん、莫大なスポンサー料が必要になるので、どれだけ稼がなきゃいけないんだってなりますけど。YASUDAを世界の舞台に、と本気で考えていますし、やれなくはないと思っています」

ーー淡々と壮大な夢を語りますね(笑)。

YASUDAを復刻させた佐藤和博さん(株式会社マイト代表取締役)


佐藤「世界の舞台、ということは真剣に考えています。昔、ドゥンガとかも日本でプレーするときは履いていたことがあるんですけど、契約上の問題や、YASUDAが海外展開をしていなかったため海外では別のスパイクを履いていました。そういう過去も知っているので、海外で勝負したいと思っています。実際、サウジアラビアとか、海外からも注文がありますし、サウジアラビアの方は『中東で売りたい』とオフィスにも来ていただきました。現役のJリーガーの方も何人か購入してくれていて、代理人の方からも軽量化など具体的なアドバイスをもらっています。色々な人脈で実は、一足、ロシアW杯にも行っていたんですよ」

佐藤「でも、本当にたくさんの偶然が重なり合って実現したと思っています。齋藤さんとの出会い、木型、金型が奇跡的に残っていたこと、工場も普通は小ロットだと受けてもらえないのですが、300足でオーケーして頂いたこと、クラウドファンディングも成功して、偶然続きで、それもYASUDAらしいのかなと思っています。いつか、ワールドカップの決勝でYASUDAを履いている選手を見たいですね」

浅野祐介/ウォーカープラス編集長

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