連載第7回 1995年「愛しあってるかい!名セリフ&名場面で振り返る平成ドラマ30年史」

2018年10月30日 9:00更新

関西ウォーカー 関西ウォーカー

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TV局の名にかけて!

名セリフ&名場面で振り返る平成ドラマ30年史

1995年。野茂英雄がメジャーデビューを果たし、伝説的アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が放送開始された年である。ドラマも「金田一少年の事件簿」「愛していると言ってくれ」「星の金貨」など良作が並んでいる。しかし、いつも迷いなく作品を挙げる影山貴彦氏だが、今回は「ドラマやエンタメについて語りたい作品は多くありますが、今回はこの年なにがあったか、ということから話を始めさせてください」とのこと。影山氏が「絶対忘れられない1年」とする1995年、なにがあり、メディアの動きはどうだったのか。

阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件の衝撃と「TOMMOROW」

―1995年は特別な年ということですが。

本当に壮絶な1年でした。まず、1月17日午前5時46分、マグニチュード7.3の直下型地震が起こりました。阪神・淡路大震災です。あの衝撃は、今も決して忘れることができません。私は当時ラジオのディレクターをしていて、とにかくライフラインなど、役に立つ情報を流すことで必死でした。しかしその傷がまったく癒えないうちに、3月20日、東京でオウムによる地下鉄サリン事件が発生します。東も西も時代を揺るがせる大きなできごとが起こった年だったんですね。ただ、地下鉄サリン事件によってそれまで震災のことを伝えていた東京のメディアがガラッと変わった。オウムの報道が重要なのも理解できますが、阪神はなにも落ち着いていないのに、ここまで? と驚くほど、目に見えて減りましたから。メディアにおける地域性の残酷さを感じ、怒りを覚えた時期でもありましたね。

― 大災害があった時、メディアの関わり方は本当に難しいと思います。

はい。震災からしばらくは、情報の発信を仕事にする者として、どう役に立てばいいのか、もっと何かできることはないのか…と毎日悩み、模索の繰り返しでした。本当に苦しくて、95年の1年間は、ずっとその気持ちを引きずっていましたね。当時はみんなそうだったと思います。そんな時期、出会ったのが岡本真夜さんのデビュー曲「TOMORROW」。実は、「TOMORROW」を関西で初めてラジオで流したディレクターは私なんです。震災からしばらくは必死で復興に明け暮れていたのが、やっと「そろそろ明るく」となったタイミングと重なって、より大きな楽曲になりました。涙の数だけ強くなれる、という歌詞に何度救われたことか。この曲は彼女が高校を卒業して上京した頃に作っていた曲で、特に震災を意識した詞ではないというのもいいですね。岡本真夜さん本人も、本当にいいキャラクターなんです。それから数年後、超多忙な彼女を口説き、なるみさんとコンビで、「MBSヤングタウン」のパーソナリティーになっていただいて。1998年、大阪城ホールでプロデュースした「ヤンタンフェスティバル」にも出演していただきました。本当に感謝しています。

また、震災からしばらく後に、大阪知事に当選したのが横山ノックさんでした。東京は青島幸男さんが知事で、この年は東西ともタレント知事だったんですね。本当に疲れきっていた時代だったので、世間は明るさや、これまでと違った動きを求めていたのかもしれません。私はノックさんと3度ほど仕事をしたことがありますが、芸の引き出しが素晴らしいし、若い芸人へのアドバイスも完璧な方でした。忘れられないのが、ノックさんに初めてお会いした時。若輩者の私に向かって、「お噂はかねがね」と言ってくださったんです。「そんなわけないやろ!」 と、思わず心の中でツッコミましたが(笑)、嬉しかったですよね。とにかく、返しがすべて面白いんです。オシャレですね、と言うと「あれ、知らんかった? 僕がフランス人やって」とお決まりの言葉が返ってくる。政治家としては最後いろいろありましたが、私がお仕事でご一緒した〝芸人・横山ノック″は、上岡龍太郎さんの弔辞にある「あなたは大きな太陽でした」、そのイメージなんです。とても温かな人でした。

子どもの笑顔を持つ香取慎吾の振り幅

―「TOMMOROW」はドラマ「セカンド・チャンス」の主題歌でもありました。

赤井英和さん、田中美佐子さん、そして堂本剛さんが出ていましたね。堂本剛さんは前年の1994年「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」で、目を背けたくなるようなつらい役柄をされていて。この「セカンド・チャンス」と「金田一少年の事件簿」という明るいドラマに出ているのを見て、勝手に「よかった…」と親のような気持ちで安心したのを覚えています(笑)。1995年は、全体的に男性の俳優さんが元気ですよね。「星の金貨」で大沢たかおさんと竹野内豊さん、「愛していると言ってくれ」では豊川悦司さんがブレイクしました。異色の存在感を発揮していたのは香取慎吾さん。「沙粧妙子-最後の事件-」ではサイコパスの犯人役、野島伸司さん脚本の「未成年」では心優しいデクを演じ、強烈な印象を残しました。香取さんは奇抜な役が多いんですが、実は一般的な人の役もサラッとうまい。三谷幸喜さんのドラマ「合言葉は勇気」では、本当にそこらへんにいる気のいいお兄ちゃんを自然体で演じていました。脇役の時は、あの強烈な存在感を消して、周りを食わないんです。とても振り幅の広い俳優さんだと思います。

王様のレストラン

―1995年、作品として一番記憶に残っているのはなんでしょう。

面白さでいえば、「王様のレストラン」です。これは松本幸四郎さんが主演で、経営が傾いたフレンチレストラン「ベル・エキップ」を再生させる話でした。これを見て、私は昔大好きだったドラマ「ちょっとマイウェイ」を思い出したんです。鎌田敏夫さん脚本で、主役は桃井かおりさん。ひまわり亭という洋食屋を再生する物語でした。研ナオコさんが親友の役で出ていましたが、研さんは当時「カックラキン大放送」などで絶好調だったころです。私は「ちょっとマイウェイ」のDVDBOXを持っているのですが、当時の裏話をする映像で彼女が「忙し過ぎて訳が分からん状態でドラマを撮っていた」と語っていたのがとても印象的でしたね。そして、緒形拳さんが雇われコックの堀田役で出ていました。家族愛も恋愛も盛り込まれていて「これぞ鎌田節!」という感じでした。一方の「王様のレストラン」は、設定がフレンチレストランということもあって、とても洗練された雰囲気です。しかしこちらも、男勝りで腕がいいシェフの山口智子さんがいたり、謎めいた色気を放つ鈴木京香さんがいたり、様々な人間模様が緻密に交差して、脚本家三谷幸喜さんの真骨頂、最高の人情劇となっていました。

―ギャルソンなど、職業名もカッコよかったです。

お仕事ドラマとしてもすごく面白かったですよね。職業を知り興味を持つ、ということは大きなドラマの力です。たとえば、同じ年大ヒットした「愛していると言ってくれ」の影響で手話が流行しました。もちろんハンディキャップの描き方にもよりますが、こういったドラマで身近に感じ、職業として関わることになった人もいるかもしれません。フィクションはノンフィクションには勝てない、と言われる方もいますが、私はそうは思わないです。美しさと夢が盛り込まれたドラマだからこそ、現実でも広げられる可能性が、絶対にあると思っています。

フジの黄金期から日テレに「恋も2度めなら」

それからもう一作品、明石家さんまさん主演の「恋も2度目なら」。これは演出が水田伸生さんです。私が作り手として嫉妬を伴うくらいリスペクトしている方で、近年も大ヒットドラマ「Mother」「ゆとりですがなにか」と大ヒットを連発しています。今クールでは、新垣結衣さん主演の「獣になれない私たち」が水田さん演出ですね。私、初めて水田さんにお会いした時に、嬉し過ぎて訳が分からないくらい飲んでしまって、ここ10年くらいで一番激しい酔い方をしました(笑)。

俳優としての明石家さんまさんは、3枚目を残しつつ本当に男前なんですね。カメラが回るまで1秒前まで喋って、本番の声とともにすぐ役に入るそうです。直前まで一人集中し役に入り込む大竹しのぶさんや田村正和さんは、ギリギリまで話し掛けてくるさんまさんに閉口したというエピソードもあります。仕事の姿勢、選び方は、バラエティーで見るさんまさんからは想像できないほど厳しくて、こだわる方です。ギャランティではなく、やりたいかやりたくないか、とてもはっきりしている。「俺の個性が死ぬから言わんといて」と言われそうですが(笑)。そんなさんまさんが、日本テレビのドラマで初めて主演をしたのが「恋も2度目なら」。さんまさんはこの頃から、日本テレビでよく番組をするようになっています。「恋のから騒ぎ」が始まったのが1994年ですから。これは日本テレビのプロデューサー・菅賢治さんがさんまさんを口説き落としたんです。それから1997年には「踊る!さんま御殿」も始まり、日本テレビはどんどん勢いが付いていきます。1995年は日本テレビが、1982年からずっと全日・ゴールデン・プライムの視聴率3冠王を守っていたフジテレビから、その座を奪った年でもあります。その裏には、明石家さんまさんを引き抜いた影響があったのは間違いないでしょう。連載第2回で書いた久米宏さんによる「ニュースステーション」がドラマのTBSの勢いを変えた例も然りで、タレントのパワーがテレビ局の流れを大きく変えるんですよね。

―流れが変わる、といった点では、この頃はフィルム撮影からほぼデジタル撮影に切り替わった時期でもありましたね。

そうですね。今はパソコンひとつあれば見事な編集ができる時代です。技術の発達がここまで進めば、もう精度やテク二ックではなく、センスがモノをいう時代です。視聴者も「編集でどうにもなる」というのがわかっていて、それでごまかそうとすると、すぐ離れますから。だからこそ今、映画「カメラを止めるな!」のような、30分一本勝負のような長回しなど、原点に戻った作品が評価を得ています。少し前になりますが、唐沢寿明さん主演の「THE LAST COP/ラストコップ」では、最終回はドラマを生放送していました。放送事故になるリスクもあるけれど、小手先で終わらず、臨場感や疾走感を表現しようとする意気込みは伝わるもの。こういう挑戦的な試みがどんどん増えればいいと思います。

元毎日放送プロデューサーの影山教授

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【ナビゲーター】影山貴彦/同志社女子大学 学芸学部 メディア創造学科教授。元毎日放送プロデューサー(「MBSヤングタウン」など)。早稲田大学政経学部卒、関西学院大学大学院文学修士。「カンテレ通信」コメンテーター、ABCラジオ番組審議会委員長、上方漫才大賞審査員、GAORA番組審議委員、日本笑い学会理事。著書に「テレビのゆくえ」(世界思想社)など。

【インタビュアー】田中稲/ライター。昭和歌謡、都市伝説、刑事ドラマ、世代研究、懐かしのアイドルを中心に執筆。「昭和歌謡[出る単]1008語」(誠文堂新光社)。CREA WEBにて「田中稲の勝手に再ブーム」連載。

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