梅の実を投げてカップル成立⁉梅鑑賞をさらに楽しむ由来とハウツー

2019年3月26日 14:02更新

東京ウォーカー(全国版) 遠藤摩利江

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桜と並び、“春の花”として人気を誇る梅。今回、その見どころ、楽しみ方について、マミフラワーデザインスクール校長で花文化コメンテーターの川崎景介さんに話をうかがいました。梅鑑賞をさらに楽しむために、ぜひ、ご一読ください!

梅は3月から4月にかけて見頃を迎える地域の多い花。桜の花見に先がけて、満開の梅の花を愛でるのはなんとも気分のいいもの。梅という花木の背景を知ることで、ひとあし早い花見がいっそう楽しくなるはずです。

春にひと足早く咲く梅の花

春にひと足早く咲く梅の花

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種類は300以上!優雅な名前も楽しみの一つ

一説に梅の種類は300以上もあると言われ、そのすべてをおぼえるのは至難の業。そこで分かりやすくポイントを整理すると、梅には花を観賞するための花梅(はなうめ)と実を得るための実梅(みうめ)の2種類があり、私たちが見て楽しむのは主に花梅、ということになります。

花梅には原種のたたずまいを残す野梅系(やばいけい)、鮮やかな紅や桃色の花が自慢の緋梅系(ひばいけい)、梅と同族の杏を掛け合わせた大きくて丸い葉が特徴の豊後系(ぶんごけい)などがあり、観賞場所によっては品種名や系統を表記しているので、名前とあわせて観賞してみるのも面白いでしょう。

ところで、紅い花と白い花とでは観る者に全く異なる印象を与えます。前者はどこか情熱的で、後者は落ち着いた感じがして、2つの花のコントラストが絶妙な美しさを生み出します。梅はその最たるもので、紅梅と白梅の両方を愛でることでより感動が深まるのではないでしょうか。ちなみに紅梅には「緋の司(ひのつかさ)」や「御所紅(ごしょべに)」、白梅には「白加賀(しろかが)」あるいは「白牡丹(はくぼたん)」などの優雅な品種名がつけられたものもあり、こうした品種名と実際の花とを照らし合わせてみるのも醍醐味の一つと言えます。

【写真を見る】紅梅には「緋の司」や「御所紅」といった優雅な名前のものも 

【写真を見る】紅梅には「緋の司」や「御所紅」といった優雅な名前のものも 撮影:川崎景介

梅の歴史と風物詩

梅の故郷は河北省、陝西省(せんせいしょう)、四川省、雲南省など中国の中部から西南部にかけての広い地域とされています。初春に咲くこの花は古来暖かい季節の訪れを人々に知らせてくれ、それに加えて花から漂う香りも好ましいことから四貴四徳、すなわち四つの高貴さと四つの徳を兼ね備えた花として讃えられてきました。

また、古くから同じ寒い時季に存在をアピールする他の植物と一緒に絵に描かれたのです。例えば、松・竹・梅を一緒に描いた絵画は「歳寒三友図(さいかんさんゆうず)」と呼ばれ、縁起物として大切にされました。これが我が国における「松竹梅」の原型と言われています。

梅の実でカップル成立…⁉

梅の実でカップル成立…⁉

中国人は梅の花だけではなく、果実にも特別な思いを抱きました。中国最古の詩集「詩経」(しきょう)には梅の実に因んだある風習が記されています。むかし、若者たちが郊外の梅林に集ったときのこと。そこで女子が意中の男子に梅の実を投げつけたとあります。その男子が女子に梅の実を投げ返せば、めでたくカップルが成立したというのです。梅は中国語で「メイ」と発音され、媒酌人(結婚の立会人)の媒という字も同じく「メイ」と発音されたことから、梅の実は若き男女の仲をとりもつ護符の役割を担いました。意中の人に向かって梅の実を投げるこの風習は擲果(てきか)と呼ばれ、幸多き春の訪れを知らせる大切な風物詩でした。

日本の歴史と文化に密接に関わってきた梅

大陸生まれの梅が我が国にもたらされたのは奈良時代初めの8世紀初頭頃で、遣唐使によって中国ゆかりの他の風習や文物とともに紹介されたようです。貴族や歌人らは、この舶来の花木に憧れを抱き、和歌の題材として好みました。8世紀末に成立した「万葉集」は花を題材とした歌の宝庫ですが、梅を詠んだ歌は萩の142首に次いで118首あり、その多さでは堂々の2位にランクインしています。ちなみに桜を題材にした歌は40首あまりで、いかにこの頃の梅が絶大な人気を誇っていたかがわかります。

梅が日本にもたらされたのは奈良時代初めの八世紀初頭頃

梅が日本にもたらされたのは奈良時代初めの八世紀初頭頃

梅と関わり合いの深い歴史上の人物に菅原道真(845年~903年)がいます。優れた学者であり政治家でもあった道真はやがて周囲の反感を買い、京から大宰府に左遷されてしまいます。失意のうちに都を離れる折に詠んだ歌が「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花主無しとて春な忘れそ」、つまり「春の風が吹いたら香っておくれよ梅の花よ、主である私がいなくても春を忘れないでおくれ」という意味のものです。この切なくも印象深い歌は、道真が自宅の庭で愛でていた梅の木が一晩にして主のいる大宰府まで飛んで行ったという飛梅(とびうめ)伝説まで生みました。今でも道真を祀る太宰府天満宮の境内では飛梅と名付けられた老木が毎年美しい花を咲かせています。

平安時代中期以降からは桜に人々の注目が集まり、梅は桜人気の陰に隠れたかに見えます。しかし、鎌倉時代から安土桃山時代にかけて梅はそれまでにも増して多くの工芸品の絵柄として取り上げられ人気を博しました。紅白の梅が野鳥とともに襖や屏風に描きこまれ、また同じような意匠が数多くの焼き物や蒔絵箱を飾りました。その中でも特に象徴的なのは江戸時代初期の絵師、尾形光琳(1658年~1716年)による「紅白梅図」(こうはくばいず)です。光琳は紅梅と白梅とを向き合わせて描き、この花の魅力を最大限引き出そうと試みています。やはり、紅い花と白い花との対比を楽しみながら観賞することが梅の花を愛でるうえで不可欠だったのです。

鎌倉時代から安土桃山時代にかけて工芸品には梅と野鳥モチーフが好まれた

鎌倉時代から安土桃山時代にかけて工芸品には梅と野鳥モチーフが好まれた

江戸時代、武家は梅を好んで領地や屋敷の庭に植えました。その理由は第一に梅干しが緊急用食料に適していたことが挙げられます。また、梅の木は松に次いで燃えやすいため燃料に適していたのです。こうした実用面だけでなく、寒い時分に花を咲かせる梅は辛抱強く志の高い花とされ、侍気質を表すものとして尊ばれました。特に幕末の水戸藩主だった徳川斉昭(とくがわなりあき・1800年~1860年)の梅好きは有名で、自慢の回遊式庭園(広い庭を歩きながら空間を楽しむ形式の庭)だった偕楽園(かいらくえん)は今でも梅の名所として花の季節には大変な賑わいを見せます。

江戸時代、寒い時期に咲くことから侍気質を表すものとして尊ばれた 

江戸時代、寒い時期に咲くことから侍気質を表すものとして尊ばれた 撮影:Naoko.K

梅の楽しみ方

桜の花見はじっくりと腰を据えてするものですが、梅の花見は梅林をそぞろ歩きしながらすることが多いようです。これにはいろいろな理由があると思われますが、一つには梅の花の時季はまだ肌寒いことが挙げられます。また、中国における花見は歩きながら行うのが常だったことが由来しているのかもしれません。そして、先ほどもお話ししたとおり、紅梅から白梅へと風景が移り変わっていく様子を楽しむには、やはり歩くのが一番だったのでしょう。また、歩を進めながら次から次へと花の香りが漂ってくるという感覚は梅の花見ならではのもの。せっかくですから目を喜ばせるだけではなく、鼻も喜ばせたいものです。

梅鑑賞は歩きながら色の移り変わりと香りを楽しむのがおすすめ

梅鑑賞は歩きながら色の移り変わりと香りを楽しむのがおすすめ

おすすめの梅鑑賞スポット

先に挙げた偕楽園はもちろん、梅の名所は首都圏に数多くあり、個性的な見どころが目白押しです。おごそかな雰囲気の中で花が堪能できる湯島天神、広大な敷地内で花を満喫できる新宿御苑、日本庭園を巡りながら梅を愛でられる小石川後楽園、コンパクトな庭で紅白の花を身近に観賞できる向島百花園(むこうじまひゃっかえん)、大自然の中で梅林を楽しめる高尾梅郷(たかおばいごう)、太宰府天満宮の由緒ある梅を譲り受けたという生越梅林(おごせばいりん)、梅とともに雄大な景色を見渡せる宝登山(ほどさん)・梅百花園、毎年観梅会が催される三溪園、花見と併せて様々なレジャーが楽しめるこどもの国など、梅の花を愛でられる場所にはまこと事欠きません。

文:川崎景介

マミフラワーデザインスクール校長、花文化コメンテーター。花にまつわる世界各地の文化を、独自の視点から調査研究する「考花学」(こうかがく)を提唱。講演活動や執筆を通して、花文化の啓蒙に尽力している。環境芸術学園日本フラワーデザイン専門学校講師。日本民族藝術学会員。著書に「花と人のダンス-読むと幸せになる花文化50話-」(講談社エディトリアル)など。

川崎景介氏

川崎景介氏

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