『マン・イン・ザ・ミラー』連載 第12話

東京ウォーカー(全国版)

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HOME MADE 家族のKUROがサミュエル・サトシ名義で発表した小説『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された


「あーーーーーー、ダメだぁ!!」

西新宿の四十二階建ての損保ジャパンビルの裾野で僕の小さな声が珍しく鳴り響いた。ここは関東のストリートダンサーたちが聖地にしている練習場所、旧安田火災ビル、通称、安田ビルだ。西新宿の高層ビル群の一つで上から下に向かって建物の裾がスカートのように広がっていることから、スカートビル、パンタロンビルとも呼ばれている。

ショートフィルムの撮影をしてから、この場所を知って親しむようになり、バックダンサーの人たちと落ち合う場所としても都合が良く、ここが僕の新たな練習場所となった。

辺りが薄暗くなると、どこからともなく色んな種類のダンサーたちが現れてビルの下がにわかに活気づいていく。ヒップホップ、ハウス、ロック、ブレイクダンス、でもマイケルのダンスをやっているのは僕らだけだ。たまに興味深そうにジロジロ見て拍手を送ってくるダンサーたちもいる。

ここの歴史は古い。休憩中に重鎮のダンサーたちと何回か話す機会があったが、本来ならここは私有地のため使用できず、昔の偉いダンサーが警備員の方と直談判して営業時間外だけ使えるようになったらしい。

それ以来、噂を聞きつけたダンサーたちがビルの周囲をグルッと囲むようになり、いつからか上手いダンサーほど良い場所で踊れるという不文律ができあがった。今思えばその先輩は歴史を伝えることで僕らにもきちんとルールを守るようにと暗に伝えたかったのだろう。

ゴミは必ず持ち帰る、楽器は使用しない、地面の大理石が割れるからタップはしない等々。ローカルルールに混ざって自分もダンスの練習ができるようになるなんて、なんだかいっぱしの気分だ。ちょっと前まで視聴覚室で一人黙々と踊っていた日々を思い出すと、僕なりに成長できているようで嬉しい。ただ、家に帰るのが最近はめっぽう遅くなってきて姉にはよく怒られるが…。

そんなことよりも、アンチ・グラヴィティだ。どれだけ頑張ったところでせいぜい10度が限界。それ以上は物理的に無理である。僕は地面に両足を投げ出してペタンと座った。夜気で冷えた大理石がひんやりとお尻から伝ってくる。西新宿特有のビル風が体の熱を瞬時に奪っていく。

「なくていいんじゃねーか?」

フレディーが突然そう言うと、僕と同じように両足を投げ出して隣に座った。

「でも、アンチ・グラヴィティのないスムクリなんてスムクリじゃないですよ」

「気持ちは分かるけどさ、あれはマイケルのステージだからできることであって、ダンスコンテストでやるもんじゃないって」

そうやって冷静に言われると、確かに何をそこまで自分もこだわっているのかと思うのだが、タチアナにカッコつけた手前、アンチ・グラヴィティを成功させたいという気持ちはまだ強く残っていた。

ふと見ると、今回フレディーと共に一緒に参加してくれることになったオパールことオパさんが、離れたところで一人開脚をしていた。

「変な奴」

フレディーが聞こえそうな声で言うので、ちょっと焦る。

「オパちゃん! 三人で出場するんだから、もっと話そうぜ! こっちおいでよ!」

フレディーの呼びかけに、オパさんは一瞥するも興味なさそうに開脚を続ける。

「んだよ、あいつ! 無視しやがって。俺、オパちゃんダメかもしんねーわ」

「い、いやー、多分、聞こえてないだけですよ! 僕は、好きですよ!」

それは本当だった。正直あまり話したことはないが、というよりもほとんどないに等しいのだが、なぜかオパさんのことが嫌いになれなかった。

あの独特な雰囲気と無表情でいつも何を考えているかわからない言動。誰にも迎合せず、独自の世界を持って自分のペースで生きている感じが、主体性のない僕には羨ましく見えた。

「だけどよ、同じコンテストで闘う仲間だろ。一斗が悩んでいるなら、みんなで知恵を出し合うべきだろ」

フレディーがなんとなく発した、仲間という言葉がやけに嬉しく響いた。

これまで自分には仲間と呼べる人なんていなかった。学校でもずっと一人だった。

一人で家に帰り、一人で映画を観て、外出もせずに自分の部屋に閉じこもって、一人で妄想にふけっていた。それでいいと思っていた。

今思えば、心の奥底では誰かと好きなことについてとことん語りあってみたいと思っていた。だけど、どうしたらそんな人たちと出会えるのか、どんな風に友達を作ればいいのか分からなかった。

そんな僕が、今やマイケルという共通点だけで自分のことをこんな風に思ってくれる仲間と出会うことができた。なんて素敵なことだろう。

「仲間。仲間っていい言葉ですね…。なんか友達って言うより、仲間って響きがいいですね」

つい嬉しくなって大声で「ありがとうございます!」と満面の笑みで振り向いた。するとフレディーがビックサイズのカップ麺を口に頬張っていた。

「あれ…コンビニ行ってました?」

「うん。すぐそこの。なんか考え事している風だったから。腹減ったし」

「いや、考え事って言うか…」

「うめーぞ。一斗も買ってきたら?」

ビックサイズのカップ麺は、安田ビルのダンサーたちの休憩中の定番メニューだ。なぜ人が食べているカップ麺ってこんなにも破壊力があるのだろう。確かに、美味そうだ。

「黒子をいれるかー」

フレディーが麺の具材を箸で摘んでおもむろにそう言った。

「黒子って、そのときだけ支えてくれる人を探すってことですか?」

「そう」

「いやー! 急にステージに人が出てきたら変ですよ!」

「まあね。じゃ、スキー靴とか」

「え、スキー靴ってうまくいきますかね?」

「どうだろ。わかんね。スキージャンプしている人の姿ってアンチ・グラヴィティっぽくね? なんかいけそうな気がしてさ」

確かにあの前傾姿勢を想像すると限りなく格好はそれと近い。しかし、あれは空を飛んでいるときの状態だ。

「でも、もし仮にできたとしても、そこだけスキー靴に履き替えるのは変だし、そのあとすぐに次のステップに入るから、そのまま最後までスキー靴で踊ることになりますよ」

「だよな〜」

強いビル風が僕らの間を吹き抜けていく。遠くの方で踊る別のダンサーたちの練習音とフレディーの汁を啜る音が混ざって耳に聴こえてくる。

「あー美味かった! どうしてこういうときのカップ麺って汁を最後まで飲んじまうんだろうな!」

フレディーがそう言いながら立ち上がって大きく伸びをすると、そのままカップ麺を空にかざして「わし、好きだもーん」と言ってポーズを取った。僕は思わず吹き出した。

「やっぱりつま先に力を入れて、自力でいける限りの前傾姿勢でアンチ・グラヴィティを表現するのが一番リスクなくてスマートなんですかね」

僕は当初のパフォーマンスアイデアに戻った。やはり物理的に無理なものは無理なのだ。ただ、タチアナはそれを見ても、きっと何も驚かないだろう。それだけが心残りだ。

「いいんじゃない? それで。てか、さみーな! やっぱ夜は冷えるわ」

フレディーが自分の二の腕をさすった。

「ダメだ」

突然そう言ったのは、開脚を終えていつの間にか近くに来ていたオパさんだった。こうして見ると意外と身長が高くてがっしりしている。

「なんだいきなり…。は? じゃ、何、オパちゃんは何か名案でもあるわけ?」

フレディーの言う通り、これ以上はもう考えにくい。何か策があるなら教えて欲しい。

「作ればいい」

「へ?」僕らは同時に同じ言葉を発していた。

「作るって、アンチ・グラヴィティを?」

オパさんは黙ってさっさと身支度を整えている。その荷物がやけに多い。

「作るって、オパさんが作るんですか?」

オパさんは何も言わない。

「お前、いい加減なこと言うなよ! 作るって素人がそう簡単に作れるわけねーだろ!」

オパさんはメガネをかけてギョロッと睨んで「今日は新宿中央公園」と言った。

「は?」またしても僕とフレディーがハモった。

「この気候なら外で寝ても死なない日だ」

オパさんはそれだけ言うと、大きな荷物を抱えて新宿の闇へと消えて行った。

(第13話へ続く)

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