『マン・イン・ザ・ミラー』連載 第24話
東京ウォーカー(全国版)

舞台袖からステージ下を覗く。いた。マイケルだ。
黒地にドットのスーツに身を包み、長くて奇麗な黒髪を垂らし、サングラスをかけて目の前に座っている。
本物だ。
時折、周りのスタッフと談笑している。普通の人間の仕草だ。
写真や映像で見るより直に会った方が人は神経信号から何倍も情報をキャッチする。僕はマイケルの何気ない所作から人間臭さを感じたことで、初めてマイケルを二次元から三次元に置き換えることができた。
あれが生きているマイケル・ジャクソンか。世界のいかなるスターもひれ伏す、キング・オブ・ポップ、キング・オブ・ロック、キング・オブ・ソウルだ。
心臓がバクバク言い出した。同時にお腹が痛くなって吐きそうになった。昔から緊張すると胃腸にきたが、今回はその比じゃない。いよいよ本人の前で本人を演じるのだ。恐ろしいことだ。果たしてうまくいくのだろうか。気に入ってもらえるだろうか。マイケルの目から見て僕らはどう映るのだろうか。
いつもならまったく気にならない細かいチェックポイントが次から次に浮かんでは消えていく。『スリラー』の振り付け、ムーンウォーク、ステップの右左の順序、歌詞と口のリップシンクのタイミング…。
普段なら考えなくてもできることが、今日に限って細部まで気になって仕方がない。考えれば考えるほど最悪の状況を想像して、うまくいく気がしない。こういうときのステージは危険だ。悪いイメージは良いときよりも現実になることが多い。
刻一刻と出番が近づいてくる。今さらどうこうできる問題じゃないのは分かっている。しかし、こんな中途半端な状態で僕は出て行くのか。
「いっくん」
オパちゃんが僕に話しかけてきた。
「座れ」
「え?」
「いいから、靴を脱いで正座して前屈みになれ」
強い口調で言われ、僕はなすがままになった。次の瞬間オパちゃんが大きく深呼吸をしながら両手を背中に当ててきた。
「な、なにやってんの!? オパちゃん」
コングくんがその異様な光景を見て驚いている。
「愉気だ」
「は? なんだ、ユキって!?」
「気の一種だ。体に内蔵されている本能的な自然治癒の力を呼び起こし、元気を呼び覚ます」
するとオパちゃんの掌から、なにやら温かいものが伝わってきた。その温かさに、覚えがあった。
思えば『所沢STREET DANCE CONTEST』のときも、この間のオーディションのときも、オパちゃんは僕の背中を優しく撫でてくれた。なぜだかわからないが、とてもホッとしたのを覚えている。もしかしたらあのときも、今も、オパちゃんはずっとこのエネルギーを送ってくれていたのかもしれない。
その優しさが今になってようやく身に沁みて、急に胸が熱くなった。この愉気が本当に効いているかどうかよりも、オパちゃんの掌から伝わるぬくもりが何よりも僕に安心感を与えてくれた。
「オパちゃん、ありがとう」
そう言うとオパちゃんは黙って掌を外し、いつも通り開脚を始めた。
「なんかよく分かんねーけど、ゾンビがマイケルの背中に手を当てている姿はなかなかシュールだったぞ」
コングくんがそう言うと、フレディーも一緒に笑った。
(よし。いつでもいける!)
マイケルのためじゃなく、みんなのためにやろう。やってきたことを信じるんだ。僕は一人で踊るわけじゃない。
こんなにも素敵な仲間がいる。
いつも通り周波数をカチッと合わせる。今日は目の前にいるから感度はバツグンだ。マイケルに、MJ-Soulの素晴らしさを伝えるんだ。
この気持ちなら、僕がキング・オブ・ポップだ。
「それでは続いて、MJ-Soulの皆さんです! お願いします!!」
あれほど緊張していたのが嘘みたいに、そこからのパフォーマンスはすべてがうまくいった。いつになく穏やかでとても滑らかなステージだった。
人の心はきっかけ一つでこんなにも変わるのだ。
いつも通り『スリラー』と得意の『ビリー・ジーン』がパーフェクトに決まり、マイケルも喜んでいる様子だった。
何よりも二階席や三階席から、応援に駆けつけてくれた全国のマイケルファンたちの声援が届いて、それがさらに僕を奮い立たせた。MJ-Soulだけじゃなく、あの人たちのためにも踊ろうと思ったら、込み上げてくるものを抑えようがなかった。
NHKのたった15秒のデンジャラスツアーのCMで心を鷲掴みにされ、それまで何の取り柄もなかった僕にマイケルは生きる喜びを与えてくれた。
視聴覚室で一人踊り狂った十代、その後MJダンスパーティーでたくさんの仲間と知り合い、恋人もできた。悲しい別れも経験したが、安田ビルで毎晩のようにみんなと語り合って踊った日々は一生の宝物だ。そんな僕が、こうしてあなたの前で踊れる日が訪れるなんて。
マイケル、これがMJ-Soulだ。
あなたが僕にくれたものだ。
ありがとう。
お馴染みのナレーション、ヴィンセント・プライスの高笑いが会場にこだまするころ、僕らのスリラーパフォーマンスは無事に幕を閉じた。
大喝采だった。その拍手のなかにマイケルがいるのが不思議だった。
すると、突然コングくんが鼻歌を歌いながら白い画用紙を持ってステージに登場してきた。そういえば何かするとは言っていたが、忘れていた。
「へ〜い! マイコー!」
会場中が一瞬きょとんしたのを僕は見逃さなかった。
「ドゥーユーノーミー?」
マイケルが首を傾げている。
ヤバい。これは止めないといけないパターンのやつだ。
「あ〜いむ、スティーヴィー・ワンダー!!」
自分で言っちゃった。
するとジュディスが英語で説明し始めた。コングくんは気にせず、画用紙を捲りながら「日本に来てくれてありがとう」のようなメッセージをマイケルに見せている。
よく見るとフリップを捲るごとに右端に描いてある小さなマイケルがムーンウォークしながらパラパラ漫画のように左に動いている。
なんて芸が細かい…。しかし、まったくウケていない。
極めつけは「オフィシャルで認めてくれ!」と懇願し始めた。僕らは、これ以上はマズいと思って、フレディーと強制的にコングくんを連行した。
マイケルは最後の方で親指を上げて笑った、ように見えた。
「おい! 見たか! 今の!!! マイケル、認めてくれたぞ!!」
「何をよ!?」
「スティーヴィーだよ!」
「そっちかよ!!!」
こうして、僕らの一日目のパフォーマンスは終わった。
二日目。
マイケルはファンのアート作品の選考会でライブには現れなかった。だが、僕らも楽屋でマイケルと一緒に写真を撮る機会を得た。
忙しい合間を縫った、ほんの数分間だけのミート&グリート。僕は緊張でふわふわしていて、ただの純粋なファンと化していた。そのときマイケルから耳元で色々と質問されたが、英語が分からず、ジュディスもそのときちょうど離れた場所にいたので何も答えられなかった。ポール先生のところでもっと英語を学んでおけば良かったとこのときほど後悔したことはない。
強面のスタッフから早々に退出を促され、仕方なくメンバーよりも一足早く出入口付近に戻ってメンバーを待っていると、最後にマイケルがわざわざ僕のところまで歩み寄ってきてこう言ってくれた。
「You are excellent」
あまりにも急な一言に僕は慌てふためいてしまい、上手い返しが思いつかず、ただひたすら「サンキュー、サンキュー! マイケル!」と言って頭を下げた。
「おい! イーくん! すげーな! マイケルが今エクセレントって言ったぞ! さすがに俺でもエクセレントぐらいは分かるぞ!」
コングくんが興奮して僕の肩をバンバン叩いてきた。
「う、うん、ありがとう」
また今度会えたときのために、英語を学ぼうと強く心に誓った。しかしそれは叶わなかった。なぜならこれが、僕がマイケルと会う最後の日となったからだ。
いや、僕だけじゃない。まさかこのファン感謝デーが、日本のファンにとって、マイケル最後の来日になるとはそのときは露ほども思わなかった。
(第25話へ続く)
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