『マン・イン・ザ・ミラー』連載 第36話

東京ウォーカー(全国版)

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HOME MADE 家族のKUROがサミュエル・サトシ名義で発表した小説『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された


「潰瘍性大腸炎ですね」

医師の口調と表情から深刻なことがすぐに見てとれた。僕は体の不調を訴えて近くの総合病院に来ていた。

「かいようせいだいちょうえん? あの、それって、治るもんなんでしょうか」

僕がおそるおそる尋ねると、医師は困った表情を浮かべて一言「難しいですね」と言ってから内視鏡で撮った写真を見せてこう説明した。

「大腸の粘膜に慢性の炎症または潰瘍ができる原因不明の病気なんです」

「原因不明?」

「ええ。おそらく過度なストレスからくるものだと思うのですが、主に血便、下痢、発熱や腹痛などの症状が出て、炎症が起きる場所は、直腸を中心として始まり、大腸全体にまで広がることがあります」

医師は淡々とした口調で言う。

「先生、これって、一生付き合っていかなければいけないものなんでしょうか?」

「うーん。なんとも言えないですが、長期にわたって良くなったり、悪くなったりを繰り返すことになると思います。ですから、寛解することはあっても治ることは難しいかもしれません」

「そうですか…」

「一応、国の指定難病とされているんです。今すぐどうこうなるという問題ではないのですが、まだ具体的な治療法も見つかってないので、食事療法や生活習慣を改善することで免疫力を上げ、日々のストレスを少しでも軽減させることをお勧めします」

医師はそれだけ告げると、困った表情を浮かべたのは最初だけで、僕のショックを労ることもなく「お大事に」と言って退室を促した。

昔から胃腸が弱いのは自分でも自覚していた。母が作る料理よりも姉が作る素朴な味の方が好きだった。緊張するとお腹に痛みが走ることもある。マイケルの前で踊ったときは、下腹部がキリキリと痛み出し、吐き気を催すほどだった。ただそれは体質的な問題で、誰だってそのような状況になればそうなるだろうと、そこまで重要視はしていなかった。

だが、あのSHIBUYA-AX公演に向けての日々は、本番を迎えるまで相当自分を追い込んだ記憶はある。あの辺りから徐々に日常生活にも支障をきたすようになって、体が時々硬直し、思うように動かせなくなっていった。

特にソロになってからは、自分が主催するワンマンの後は追い込みをかけ過ぎた反動で、それが顕著になってあらわれた。

きっと長年に渡る表現への追求が疲労となって、ここにきて一気に爆発したのかもしれない。自分が抱えるストレスと言われれば、それ以外に考えようがなかった。

僕は医師から処方された直腸付近の整腸剤を服用することになり、それ以来一日3回、計15錠の薬を飲むことになった。

そして僕は先日オーガナイザーから言われたことを一人ずっと考えていた。

「君のファンじゃないよ、マイケルのファンだよ」

この言葉は僕の根源的な部分を粉々に打ち砕いた。マイケルのインパーソネーターを続けてきて十数年、いつの間にか何か取り返しのつかない勘違いをしていたのかもしれない。

言われてみれば僕が歴史的な作品を生み出したわけではない。マイケルが作ったものをただ忠実に模写しているだけだ。所詮はただのモノマネであって、それ以上でもそれ以下でもない。マイケルがいなければ、今の僕は存在しないに等しい。

『THIS IS IT』公演を勝手に実現して、挙げ句の果てには未発表曲にまで手を出して、マイケルですら見たことのない景色を見たところで、僕は何者でもなかった。

どこまでいっても影でしかないのだ。

いつの間にか芸術であることにこだわって、勝手にアーティストに憧れて、インパーソネーターを何か高尚なものにしようとしていただけだった。僕は偽物なのだ。

インパーソネーターとは偽物だ。

自分を殺して殺して、どれだけ時間と労力をかけようが、評価の対象は本人にある。僕が近づこうとすればするほど、凄いのは僕ではなく、マイケルだということに誰もが気づく。見たくなるのは僕ではなくて、マイケルのステージ。

オーガナイザーの言う通り、僕のファンはマイケルのファンだ。マイケルがいなければ、僕など見向きもされなかっただろう。現にこうして僕はまた一人になった。自分で選んだこととはいえ、マイケルという衣を一枚剥がせば、何も作ってこなかった自分の惨めな歴史と醜態だけが晒される。

いつからかそれが嫌で、自分もきちんと評価されたくて、未発表曲に振りを付けたり、ソロ公演までやったりしたが、どこまでいっても結局はマイケルの手のひらの上のことでしかなかった。その自覚がないから自己満足だと言われ、観客と自分の間に開きが出てくるのだ。

そんなものをマイケルのファンは望んでいない。僕が自意識過剰だと言われても仕方のないことだった。

これからもマイケルは音楽史に残るだろう。でも僕は、歴史の闇に葬られて忘れ去られる運命にある。

何度も襲ってくる強い腹痛に堪えながら、僕は自室のベッドの上で笑った。

涙など出なかった。

ただただ自分がバカらしくて、笑いが止まらなかった。

部屋の窓に丁寧にぶら下げられているいくつもの変身用のマイケルのカツラが滑稽に見える。辺りを見ればキッチンも寝室の収納も、すべてマイケルの衣装で埋め尽くされている。自分の荷物などほとんどない。ご飯を食べる場所もない。

奥の居間にはパソコンが一台置いてあり、映像や音を編集する作業部屋となっている。人生の大半をマイケルに捧げ、気がつけばいつの間にか侵蝕され、最後は自分の体まで食べられるみたいだ。

再び強烈な激痛が僕を襲う。

そしてそのまま気絶するように、僕は深い眠りへと落ちていった。

* * * * * * * *

神戸からの帰りの新幹線は最終にも関わらず乗客で一杯だった。木曜日の春分の日から飛び石連休でみんな有給を使ってどこかに出かけたのかもしれない。

基本的に連休は営業が集中するので、僕はあまり休むことができず、この日は神戸まで足を運んでイベントに参加してきた。あのオーガナイザーとの一件以来、最近はショッピングモールだろうが、どこだろうが呼ばれるところは有り難く行くようにしている。色々と考えた結果、僕を通してみんながマイケルを忘れないでいてくれるのなら、それが一番いいと思ったからだ。

薬の量は変わらない。ただ、少しでも改善できるように脂分の多いものやアルコール、大好きなペプシなどの炭酸飲料、食物繊維の多い食べ物は極力減らすようにした。知り合いの人から漢方が良いとも聞かされたので、今度試すだけ試してみようとも思っている。

体重がいきなりガクンと落ちて周りから心配されたが、この病気のおかげで幸か不幸かさらにマイケルの体型に近づけたので、活動する上では良かったのかもしれない。

思えばマイケルも後年はプロポフォールなどの麻酔薬や大量の睡眠薬をよく服用していたが、まさか自分も同じように薬漬けになるとは思いもよらなかった。

新幹線が小田原を過ぎた。

車内放送が時刻通りに小田原を通過したことを報せる。いつもなぜこんな中途半端な場所でアナウンスをするのだろうとボーッと考えていた。そのとき、僕の携帯電話が鳴った。

見たことのない番号だった。一瞬またデンジャラス・じゅんかと思って躊躇したが、出てみると、オパちゃんが働く金属加工会社の社長からだった。

ちょうど新幹線がトンネルの中に入り、轟音で告げられた言葉がよく聞き取れなかった。

「ちょっ、ちょっと待って下さい、移動するので!」と言って携帯を持って車両から出た。

そこで、社長から聞かされた言葉に耳を疑った。

「いっくん…、タケが、亡くなった」

(第37話へ続く)

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