可もなく不可もない街に生まれて【いきものがかり山下穂尊の『いつでも心は放牧中』Vol.2】

東京ウォーカー(全国版)

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いきものがかり山下穂尊の『いつでも心は放牧中』


神奈川県海老名市と言われて、いったいどれくらいの人が具体的な何かを思い浮かべられるだろうか。たとえば横浜なら中華街とか山下公園、川崎なら工場地帯とか、横須賀なら軍港とか。海老名、海老名・・・これといって特徴のない街だ。

僕は海老名で生まれ育った。

東京の渋谷から約40km。ちょうどフルマラソンくらいの距離にある。小田急線で新宿まで1本で行ける。ドーナツ化現象が顕著になった高度成長期に僕たちの親世代が結婚を機にこぞって郊外にマイホームを建てた。そのちょうどいい距離感の郊外のひとつが海老名だった。だから僕らの世代はドーナツ化現象が産んだ子供たち、ということが言えるかもしれない。

僕たちの親からすればなんの愛着もない土地のようだが、僕らからすれば、そこは故郷であり、大切な場所だ。そして、とくにこれといって何もない、というところに何よりの安心を感じるのである。

何もない、と言って、たとえば本当にお店も何もない田舎かと言ったらそんなことはない。本当に何もないのはむしろ大きな特徴だ。僕が言う、何もない、というのは、逆にそれなりに何でもあるということなのだ。ただ、自慢できるほどのものはない、ということ。そんへんの感じがじつにちょうどいい。

渋谷からの距離が40kmというのもそうだし、表参道までは電車で50分で行ける。横浜までは相鉄で1本だし、近くには町田という大きな街もある。そうかと思えば、海老名駅からしばらく歩けば、大きな川もあるし、牛舎も田んぼもある。北海道から沖縄までの日本をギュッとひとまとめにしたような感じ、と言うのだろうか。何せ絶妙なのだ。

だからたとえば地方から東京や横浜に出て来た人が、自分の生まれ育った田舎が嫌で、絶対に東京の大学に出るんだって決めていた、みたいな話を聞くと、ああなるほどね、と理解はできるのだが、僕にはまったくない感情だなと思い知らされる。むしろ昔は海老名から出たくない、というのが基本だったから。大学は八王子だったが、実家から車で通った。そのほうが、電車を使うよりも速くて安かったのだ。いきものがかりの活動が本格化し、所属事務所が決まり、いよいよ都内に移らなければいけなくなった時、まずは、やだなー、と思った。安い給料で借りられるアパートなんて知れてるし、それだったら海老名にいたほうがいいな、というのが正直な気持ちだった。僕の上京した時の気持ちは、やってやるぜ、とか、寂しい、とかではなく、渋々、だった。

歌のテーマで「上京」というのはひとつの王道でもある。それは、そこに多くの人が感情移入できるからだ。でも、東京に出る、という感覚も薄いまま、いつでも小田急線に乗って帰れる距離に実家がある僕らにとって、上京物語はじつは成立しづらいテーマなのだ。そういう意味で、地方から出て来た人が羨ましくもあった。いくら僕らが上京物語を書いたところで、本当に一か八かの決意をして上京した人の歌の説得力には敵わないと思っていたから。

面白いことに、僕たちの最初にリリースしたシングル「SAKURA」は、上京物語だ。しかし、ちょっとした歌詞に出てくる「小田急線」がすべてだ。それでも人の気持ちは距離では計れないから。僕らの「上京物語」をそれぞれの物語として多くの人が受け入れてくれたのは音楽をやっていく自信になった。

もし僕らが海老名や厚木で生まれ育っていなかったら、いきものがかりは今のようにはなっていなかったかもしれない。都心からちょうどよい距離にあって、田舎でもないほどよい街。だからこそ、ワンマンをやって300人集めたという情報がすぐに東京に伝わり関係者に足を運んでもらえた。下北沢のライブハウスで300人集めるよりも、厚木のライブハウスで300人集めているほうが驚きは大きい。そしてそもそも街の規模として300人集まるだけのものがあった。まるで太陽と地球のような絶妙すぎる距離感だ。少しでも東京に近くても遠くても奇跡は起こり得なかった。そんな気がする。

可もなく不可もないあの街に、僕はこれからも帰るだろう。

編集部

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