コーヒーで旅する日本/四国編|活字を供に芳醇な一杯を。「珈琲と本と音楽 半空」に集う、本好きの語らいが醸し出す濃密な時間

東京ウォーカー(全国版)

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地元の伝統工芸・保多織が生む芳醇な一杯

フィルターは豆の状態に合わせて、保多織とフランネルを使い分ける

夜の営業ゆえお酒も豊富にそろうが、看板メニューはネルドリップのコーヒー。創業時から、“舐めるように飲めるコーヒー”を謳う、濃密な味わいが、この店の代名詞だ。香川では珍しいネルの一杯立てのスタイルは、岡田さんが通っていた東京・神保町のコーヒー専門店から想を得たもの。オリジナルのブレンドは、岡田さんの古巣でもあるハマヤから。するっと滑らかな口当たり、丸みのある芳醇な芳醇なコクがじんわりと染み渡る。

独特の畝の凹凸が入った保多織の生地が、芳醇な味わいを生む秘訣の一つ


「本を読んでいる人が、知らない間に飲みほして、“旨かったな”と思ってもらえるのが理想。味の個性も大事ですが、さりげないことも大事。旨いお酒を例えて“水みたい”といいますが、その感覚に近い」と佐藤さん。濃密なボディ感と柔らかな飲み心地に、後味の軽やかさを生む秘訣は、香川の伝統工芸の織物・保多織の生地で作るフィルターにあり。通常のフランネルと比べると、凹凸のあるワッフル状の質感が保多織の特徴。「このフィルターは、保多織で洋服を作っているお客さんと一緒に作ったオリジナル。フランネルより若干目が粗いぶん目詰まりが少ないのか、湯の抜けがよく、失敗が少ない。研究するうちに、コーヒーの濃度と抽出の安定感のいいとこ取りができるとわかったんです」

店には常時、手回し焙煎機とネルが置いてあり、今もよく練習をしているという佐藤さん。「画家の猪熊弦一郎は、“バランスの中に美しさが潜んでいる”という言葉を残していますが、コーヒーも味の調和が取れていると、まろやかな味わいになる。それも実践を重ねる中でわかってきたことですね」というこの一杯は、日頃の積み重ねの賜物でもある。

珈琲とクリームが層をなす、人気のアイリッシュコーヒー1100円


一方で、バーとしての顔を持つだけに、カクテルのメニューも多彩。お馴染みのアイリッシュコーヒーをはじめ、コーヒーを使ったものだけでも6種を数える。さらに、この店ならではのユニークなメニューが、作家の名を冠したカクテルの数々。例えば、“ヘミングウェイの愛したモヒート”、“開高健の愛したドライマティーニ”、“伊丹十三が愛したギムレット”といった具合。しかも、それらすべてが文豪たちが愛飲し、著作にも登場する縁の一杯なのだ。さらに、注文時にはその本と共に提供するという趣向は、岡田さんの豊富な読書量と蔵書があってこそだ。

さらに、佐藤さんは新たな提案として、月替わりのストレートコーヒーでも同様の趣向に試行錯誤を凝らしている。「例えば、ガラパゴス産の豆なら進化論とか生物学に関わる本、ペルー産ならインカ帝国に関わる本と、産地に縁ある本を読みつつ、コーヒーを飲めたら気が利いてるかなと考えて。テーマに基づいて、世界観が深まっていくような提案をしたい」と意欲的だ。

作家の名を冠したカクテルは、実際に登場した作品と共に提供


“読む人”と“書く人”が交わる、小さな文学賞

半空文学賞の入賞作品集は店内で配布。これまでのテーマは、珈琲・音楽・ことでん・家族・丸亀城・ラジオ・おへんろさん

「半空」に通う前は、「読書は苦手な方」だった佐藤さんだが、古本屋でネタ探ししたりするまでに。今では読書量も増え、以前はピンとこなかった作家の言葉を吸収できるようになってきたという。ここに集う多くのお客は“読む”ことを愛好する人が多いが、実は“書く”人も少なくない。本好きのお客が、カウンターで一体、何を書いているのか。せっかくなら、その文章を読んでみたいとの思いから、2015年に始まったのが半空文学賞だ。

「最近、スタッフも増えたので、折に触れてコーヒーのことを学ぶ機会を作っています」という佐藤さん


毎回、募集テーマは異なるが、ジャンル・文字数は問わず、A4用紙片面に収まればOKという、独自のルールが話題となり、第1回では68作品が応募。当初は集まった作品を綴じて、店内で自由に閲覧したお客が投票し、入賞作を決定する、手作りの小さな文学賞としてスタートした。回を重ねるごとに賛同するお客が実行委員会に協力し、ここまで7回を開催。3回目に、ことでん(高松琴平電気鉄道)をテーマにした際に、入賞作を冊子にして駅で配布したのが好評を博し、今では県外からも多数応募が寄せられるようになった。現在は、入賞作のデジタル化や英訳にも取り組んでいて、小さな文学賞を発端に、本を“読む人”と“書く人”が交わる場としても、新たな存在感を発揮している。

フルーツサンド900円。甘さ控えめのクリームがフレッシュな果実の風味を引き立てる


創業から20年を経て、店も変化すると共に、客層も変わってきた。「以前は女性が入りにくい雰囲気がありましたが、SNSで中の様子がわかるようになって、若いお客さんも増えてきました」という佐藤さん。お客の世代がかわり、「半空」の役割も少しずつ変化してきたことを受けて、2022年に2号店の「茶論 半空」をオープン。こちらも街外れの知る人ぞ知る隠れ家ではあるが、店内は対照的に、白壁にゆったりと席を配した、文字通りのサロン的な空間に。「半空は岡田さん目当てに来る人が多かったですが、若い人が増えてきたので、従来、果たしてきた対話と語らいを楽しめる場を2号店に移して、住み分けをした感じです」

ブレンドコーヒーの豆や保多織のフィルターのほか、コースターや手ぬぐいなどのオリジナルグッズも販売


とはいっても、原点である「半空」の稀有な空気感は、いささかも失われていない。「本や音楽のセレクトは昭和の時代のものが中心ですが、逆に若い人には新鮮に感じられるかもしれない。自分の歳くらいが、ちょうど間の世代なので、つなぎ役になれれば。かつてのイメージと今は違いますが、走りながらちょっとずつ変えていくのが、半空のスタイルですね」

カウンターで弾む会話のやりとり、芳しいコーヒーの香りとページをめくるときの紙の手ざわり。訪れるたび、五感を通して得る刺激こそ、この店の醍醐味。せめて、ここにいるときくらいは、スマホは横に置いといて、コーヒーを飲んで、人間らしく楽しみたい。そんな風に思う人々が集うビルの一室は、今宵も濃密な時間が満ちている。

「喫茶でありバーでもあるので、お酒を飲む人と飲まない人が一緒に来られるのもいいところ」と佐藤さん


佐藤さんレコメンドのコーヒーショップは「Landscape Coffee37」

次回、紹介するのは、香川県坂出市の「Landscape Coffee37」。
「喫茶店を改装して、昨年できた新しい店ですが、店主の石田さんは半空のお客さんでもあり、以前、東京のカフェにいた頃からの知り合い。僕がコーヒーを淹れる練習をしていた時に、同世代の石田さんが淹れるコーヒーが旨いという評判を聞いて、自分も発奮して頑張った思い出があります。コーヒーはもちろんですが、石田さんの家庭の味をベースにした名物ランチ、“おかんの唐揚げプレート”が絶品です!」(佐藤さん)

【珈琲と本と音楽 半空のコーヒーデータ】
●焙煎機/なし
●抽出/ネルドリップ(フランネル・保多織)
●焙煎度合い/中深煎り
●テイクアウト/ なし
●豆の販売/ブレンド1種、シングルオリジン1種、250グラム1800円~

取材・文/田中慶一
撮影/直江泰治

※新型コロナウイルス感染対策の実施については個人・事業者の判断が基本となります。
※記事内の価格は特に記載がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。

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