『マン・イン・ザ・ミラー』連載 第30話

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HOME MADE 家族のKUROがサミュエル・サトシ名義で発表した小説『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された


「おい!! みんな!! なんと、チケットが15分で売り切れたぞ!!」

コングくんの吉報に誰もが沸き立った。

「すごーーーい!!」

「Incredible!」

ユーコとジュディスがハグし合って喜んでいる。スタジオ内の熱がさっきよりも一段高くなり、スタッフと出演者の士気が目に見えて上がった。

「やったな! イーくん! 1500枚だぞ!! 即完だぞ!!!」

コングくんが嬉しくなって僕の肩に手を回して揺らす。

「う、うん」

チケットが完売したことは確かに嬉しかったが、僕は先日オパちゃんと会って以来、今はそういうことに関心を持つことよりも自分のパフォーマンスにもう一度フォーカスすることに集中していた。

より深く、美しく、どこまで自分を追い込むことができるか。

日本中のマイケルファンの期待に応えるためには、今までのように、ただ忠実なだけではもうダメだと気づいた。僕が本当のマイケル・ジャクソンになるところまで意識を高く持っていかなければ、幻の『THIS IS IT』公演は絶対に実現できない。

コングくんは僕のぼんやりとした反応に少し不満そうだったが、ステージで実際にやるのは僕であって、もうそこに一切の邪念を入れたくなかった。表現に対して、真っ白でいたかった。

公演日が近づくに連れ、TwitterやFacebookなどのSNSが活気づいた。ファンからのコメントも増え、どれもマイケルが存命だったころと比べて好意的なものが多くなり、メディアもインパーソネーターによるこの前代未聞の『THIS IS IT』公演に注目し始めた。コングくんは日夜その対応に追われ、同時に映像、美術、衣装を始めとする各部門の進行チェックと予算管理に東奔西走した。

「イーくん、ダメだ! SLASH役がどうしてもいない! 誰かいないかな?」

コングくんが突然リハーサル中に電話をかけてきた。練習を中断されるのが嫌いな僕は「そんなの、いないよ」と少しぶっきらぼうに言った。だが、そんなことなど意に介さない様子で、コングくんが「あのさ、イーくんのお姉ちゃんはどうかな?」と提案してきた。

「え、お姉ちゃん!?」

そのあまりにも突拍子もないアイデアに僕が戸惑っていると、コングくんが「もう本番まで時間がないんだ! 予算もないし、まったく縁がない人に頼むより、一番身近な人に頼んだ方が早くて確実だと思う。な、イーくん、頼むよ!」そう言って慌ただしく電話を切った。仕方なく僕は忙しい合間を縫って、久しぶりに実家に顔出すことにした。

* * * * * * * 

家の匂いはなぜこうも変わらないのだろう。

ずっと洗剤やシャンプーなどの蓄積された染みがその家の匂いだと思っていた。だが、どうやらそれは間違いのようだ。きっとこれが尾藤家の体臭なのだ。

帰ってくると懐かしさと同時にほろ苦さが蘇るが、ここにずっと居たらダメだという思いも同じだけ沸き上がる。ちなみに姉はまだ貰い手が見つからず、今も実家暮らしだ。もしも今みたいなことを本人に言ったらおそらく僕は三途の河を渡ることになるだろう。

夕飯時に行くと、久しぶりに息子が実家に帰ってくるということで豪勢な食事が用意されていた。と言っても、尾藤家の豪勢は手巻寿司だが。

「あら、一斗、駅に着いた時点で一回電話してって言ったじゃない。いつの間に帰ってきたのよ」

母が台所から顔を出した。少し老けたようにも感じられたが、張りのある口調は相変わらずだ。

「本当、昔から物音立てずに入ってくるよね」

母の横で手伝う姉が呆れた顔をしてこちらを見る。いつもの高くてよく通る声だ。

「ま、うちのお父さんには負けると思うけど」

姉がそう言うのでソファーの方を見ると、テレビの前で新聞を広げている父がいた。久しぶりに僕が帰ってきたというのに「おかえり」の一言もない。この風景もあのころと変わらない。

僕らは何年かぶりに家族四人で食卓を囲んだ。色々とお互いの近況を交えつつ、父は時折「ふーん、そうか」と言う程度で、マイケルの前でパフォーマンスをしたときのことを興奮まじりで話しても、母の食いつきに比べて父はまるで興味を示さない。きっと父にとってのマイケルは、年齢も下で、世代的にそれほど関心のある対象ではないのだろう。

食後に姉が洗いものを始めたので、僕は手伝うふりをして自分の食べ終わった食器を近くまで持って行った。

「あら、珍しいじゃない。久しぶりに実家に帰ってきたからって別に無理しなくてもいいのよ」

「これでも元回転寿司屋のバイトリーダーの弟ですから」

「あー、流刑地ね」姉がそう言ったので、二人で笑った。

「あのさ、お姉ちゃん。ちょっと頼みがあるんだけどさ」

「何よ、気持ち悪い」

「今度の舞台でどうしても出演者が一人足りなくてさ」

「ええ、何? なにか私にやれって言うの? やだよ、そんな大きな舞台で」

「大丈夫、全身メイクして完全に別人になれるし、ただギター持って弾いているふりをすればいいからさ」

「何よそれ、エアーギターってこと?」

「うん、ホント簡単だから! 頼むよ! もう日にちがないんだ」

「うーん…」

「だって、SLASHだよ! ガンズだよ!」

「え、ワンズ!?」

「それは日本のロックバンド! ガンズ&ローゼズのギターのSLASH! アメリカの伝説的なロックバンドだよ!」

渋る姉をどうにか説得しようと僕が躍起になっていると、母が突然「やってみたら?」と割り込んできた。

「いいじゃない舞子、なかなかない体験なんだから。その方がお父さんも誘いやすいし」母がチラッとソファーにいる父に目をむけてから僕に目配せする。

さすがに今回ばかりは声をかけようと思っていたが、果たしてあの父が本当に来るかどうか。おそらく今まで僕の公演に一度も来たことがないはずだ。

「そうか…、じゃ、いっちょ可愛い弟のために一肌脱いでやるか!」

姉はそう言うと「もちろんギャラは奮発してくれるんでしょうね?」といきなり痛いところを付いてきたので、僕は「この洗いものを代わるので帳消しにして下さい」と頭を下げた。姉はそれを見て「安っ!」と言って笑った。

* * * * * * * 

SHIBUYA-AXがいよいよ実体を持って迫って来た。それと比例してプレッシャーからなのか、この頃、僕の体に妙な変化が起き始めた。以前からお腹が痛くなることはあったが、ふとした瞬間、体が思うように動かなくなった。

今回の『THIS IS IT』公演は、前例がない分だけ事前調査と綿密な分析を基に空白の部分を自分たちの想像力で膨らませなくてはいけない。それは僕にとって初めての体験であり、これはデンジャラス・じゅんにも指摘された通り、インパーソネーターとしての領分を越えたところにあった。まるで影が本人を追い越すような不自然さでもある。

マイケルならどうするだろう。

こう動くだろうか。

だが、これは僕の勝手な思い込みではないだろうか…。

尾藤一斗から出てくるものでは、マイケルにならない。

何度も想像しては壊し、試して、ふるいにかける。

常に自分を否定し、追い込み、マイケルを一番に考えて決断を下していく。

今まで正解は一つだったものが、それが取り払われたことでマイケルと自分の間にあった境界線が曖昧になり、迷いが生じて体が固まってしまう。

ただ一つ解っていることは、僕がきちんとマイケルにならなければこのSHIBUYA-AXの『THIS IS IT』は絶対に成功しないということだ。

だがしかし、マイケルも成し遂げなかったことを僕が達成したとき、そのとき、僕は一体何者になるのだろう。

僕は誰になるのだ。

尾藤一斗なのか。マイケルなのか。

“マイケル本人さえも見たことのない景色を体験する”というのは多くの矛盾をはらんでいて、自己が崩壊しそうになる。

思えば思うほど、僕は暗闇のなかで硬直する。

僕はもしかしたら、マイケルに殺されるのかもしれない。

(第31話へ続く)

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