『マン・イン・ザ・ミラー』連載 第39話

東京ウォーカー(全国版)

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HOME MADE 家族のKUROがサミュエル・サトシ名義で発表した小説『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された


#Invincible

しばらく僕は糸の切れた風船のようになった。当てもなくフラフラしているというよりも精神的に自由になったような気分だ。

相変わらずオファーがあれば、週末はどこかに出かけてパフォーマンスをする。よほど劣悪な環境でなければ、断らずにマイケルを伝えに行く。例えば、老人ホームなんかでムーンウォークをやると、普段は反応の薄い認知症のお爺ちゃんやお婆ちゃんたちでも手を叩いて喜んでくれる。

この幸せは、僕が作り出している。

最近はインパーソネーターの定義が自分の中で少しずつ変わってきた。ずっと純度100%のマイケルを目指すことが唯一の正解だと思っていたが、今は70%がマイケルで30%ぐらいは自分でも良いのではないかと思い始めている。

その30%とは具体的に何かと言えば、オリジナルであるということよりも、自分がもう一度ファンに戻るということだ。僕はマイケルが好きでインパーソネーターを始めたのであって、その景色がどんなものか自分でも見たくてずっと追いかけてきた。決して同化して苦しむことではない。

僕は尾藤一斗として、マイケルを追いかけているときが一番楽しいのだ。

実を言うと、それまで僕は海外のインパーソネーターたちをあまり認めていなかった。どれも個性が強すぎて原型をあまり留めていなかったからだ。ただ、今ではそれでも良いと思っている。色んなスタイルがあっていい。それぞれがマイケルを好きな気持ちを伝えていければそれでいいのだ。大事なことはマイケルが世の中から忘れられないこと。それは似ているということよりも大切なことだ。

そう思うと途端に踊るのがまた楽しくなってきた。もっと多くの人たちにマイケルの素晴らしさを知ってもらいたい。尾藤一斗のダンスを見てもらいたい。

それが僕の表現する、マイケルのダンスだ。

ちょうどそんなころにコングくんから連絡があった。

「今度、木場に自分のスタジオをオープンするんだ」

「え、コンくん、スタジオ作ったの?」

「そう。ま、スタジオっていうか。レンタルスペース? 会議室に使ってもいいし、歌のレッスンに使ってもいいし。そんな感じのとこ。でさ、イーくん。今度そこでワークショップやらない?」

「ワークショップ?」

「うん。子供や大人にマイケルのダンスを教えるの」

インパーソネーターがダンスを教えるなど僕の発想にはなかった。それもマイケルのだ。相変わらず、面白いことを考える人だと思った。

「マイケルのダンスはもうヒップホップやバレエと同じ一つのアートフォームだと思うんだ。きっと世の中にはマイケルのステップを学びたいって人がたくさんいると思う。イーくん、どうかな?」

僕はやってみようと思った。また何か新しい風が吹くような予感がした。

僕の風船が、それを敏感に感じていた。

* * * * * * * *

東西線木場駅。三番出口を出て徒歩2分のところにレンタルスペース『HONG-KONG SPOT』がある。

コングくんが、マイケルと同じぐらい好きなジャッキー・チェンの出身地にあやかって名づけたらしい。ちなみに、ジャッキーの本名を英語にするとJackie Chan Kong Sangだそうだ。

スタジオに入る前の駐車場は潰されて、ちょっとした憩いのスペースになっている。誰でもくつろげるように洒落た木製のテーブルと椅子が置いてあり、僕が行くとヨガを終えたばかりのおばさんたちが自販機で買ったジュースを飲んで井戸端会議をしていた。

建物は二階建てで、上はコングくんの住居になっている。茅ヶ崎の家は引き払って、オープンと同時にこっちに居を構えたそうだ。そしてここの一階部分が、すべてレンタルスペースになっている。

「お、よく来たね〜。いらっしゃい」

コングくんが笑顔で玄関から出てきた。中に入ると、入り口に来客用のソファーとレジ。それとディスプレイ用のコレクションケースがスタジオとの間仕切りに置いてある。昔よく泊まったコングくんの茅ヶ崎の部屋を思い出した。

コレクションケースの中には、ダースベイダーのお面やいつものフィギュアの他にマイケルのフェドラ帽とスパンコールをあしらった白の手袋。そして、オパちゃんから貰ったゴールドのマイクスタンドの足元の部分が飾ってあった。

「素敵なスタジオだね」

僕は壁に引き延ばされて飾ってあった、MJ-Soulがマイケルと一緒に撮った記念写真を見ながら言った。『スリラー』を踊ったあとに楽屋に呼ばれて撮ったときの一枚だ。

「ありがとう。懐かしいでしょ、それ」

「うん。みんないい顔してる」

「ゾンビメイクだけどな」

二人で目を合わせて笑った。

「そういえば、イーくん、今日、メイクしてないんだね」

「うん。なんとなく。このまま来てみた」

来るときに一瞬、マイケルの衣装でもいいかなと思ったのだが思い直した。別にマイケルが教えるわけではない。

『MJステップ講座』と題されたワークショップは、マイケルの基本的なステップを教える講座だ。基本と言ってもマイケルと言えばムーンウォークだから、今日は誰でも楽しくムーンウォークが踊れたらと思っている。

「人、来るかな…」僕が不安そうに言うと、コングくんはなんの迷いもなく「来るよ」と言った。

「すみませーん。『MJステップ講座』ってここですか?」

入り口の方を見たら小学生ぐらいの女の子を連れたお母さんが顔を覗かせた。

「はい! ここですー」コングくんが、大きな声で出迎える。

するとその後ろにも親子連れや高校生が何人かでゾロゾロと入ってくるのが見えた。

「受付は3時15分からになりまーす! どうぞどうぞ、入っちゃって下さい! マイケル・ジャクソン好きなら誰でもウェルカムでーす!」

コングくんはさっそく持ち前の明るさとバイタリティーでお客さんたちをてきぱきと奥へと誘導する。

思ったよりも人がいる。開始時刻になるころには、スタジオの鏡の前はマイケルのステップを習う受講生たちで一杯になった。

「ええ、それでは本日の先生を紹介します! なんとあの生前のマイケルがそのパフォーマンスをエクセレントと言って絶賛した、世界一のマイケル・ジャクソンのインパーソネーターこと、尾藤一斗先生です!!」

コングくんが、かなり大げさに僕のことを紹介した。

拍手のなか、照れながら前に出て生徒たちを見渡すと、子供から大人までキラキラした目で僕を見ていた。年齢も性別もバラバラだ。

「えっと、あの。普段は踊っているだけなので、あまりこういう大勢の前で喋るのは得意じゃないんですけど…、今日は皆さん、よろしくお願いします!」

そう言って僕が頭を下げるとまた拍手が起きた。

「では、みんなでムーンウォークをやってみましょう!」

片方の足が上がって、その間に片方を滑らせ、また片方を上げて反対側を滑らせる。滑らせる方の足は、なるべく地面にベタっとくっつけて滑らせるとより奇麗に見える。

「尾藤先生! こうですか?」

「お、いいねー。滑るとき、もうちょっと腕を楽にしてみようか。手がなんか変な形に固まっているよ」

「本当だ!」

それを見て、みんなで笑う。

「先生! これはどうですか?」

「お! 上手いねー。そこまでできるならもうちょっと首も使ってよりグルーヴィーにやってみるのはどう!?」

「先生! グルーヴィーってなんですか?」

「グルーヴィーかー。なんだろ。先生も分かんないや!」

また教室で笑いが起きる。

小学生が自分流にムーンウォークを覚えて、ところ構わず滑っている。それを友達がまた真似して競い合っている。お母さんは、お母さん同士でキャッキャッ言いながら照れて、高校生は真剣な顔つきで何度も鏡の前で自分のフォームを確認しながら黙々と練習している。

みんなとても楽しそうだった。僕も時間を忘れて一緒に踊った。気がつけば2時間の『MJステップ講座』は、あっという間に終わり、それぞれの形のムーンウォークがスタジオで出来上がって、みんなが滑れるようになった。

「尾藤先生! ありがとうございました!」

生徒たちが声を揃えて言う。僕もそれに対して深々とお辞儀をする。するとコングくんが突然「それじゃ、最後に尾藤先生から何か一言もらいましょうか!」と言った。

「え、ちょっ…待って、コンくん! いや、そんな別に一言なんて何も…」

「いいから、イーくん! いっとこ!」

コングくんがもう引くに引けない空気を作ったので僕は仕方なく、みんなの方を向いて素直に今感じたことを口にした。

「えっと、ダンスはやっぱり楽しむためにあるんだなと僕は思いました。そんなことを今さらながら感じています…」と、そこまで言ってチラッとコングくんの方を見ると、コングくんの目が、僕の言葉を待っていた。

「えっと…、僕もここにいるみなさんと同じように、マイケルと出会って人生がとても豊かになった一人です。嬉しいことも悲しいことも色々とありました。でも、いつもそんなとき、そばにはマイケルの音楽とマイケルを通して出会った素敵な仲間たちがいました。みなさんも、自分が好きなものを愛し続けて下さい。きっとその好きな気持ちが、同じ気持ちを持った人たちを引き寄せて、人生をさらに素敵にさせると僕は信じていますから。今日はみなさん、ご参加いただき本当にありがとうございました!」

そう言って僕がもう一度頭を下げると、生徒たちから温かい拍手をもらった。

それはマイケルじゃなくて、僕にくれた拍手だった。

(第40話へ続く)

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