コーヒーで旅する日本/四国編|長い雌伏を乗り越えてカムバック。松山にカフェブームを起こした立役者の新章。「FUJIYAMA COFFEE naturel Roster」
東京ウォーカー(全国版)
全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。瀬戸内海を挟んで、4つの県が独自のカラーを競う四国は、県ごとの喫茶文化にも個性を発揮。気鋭のロースターやバリスタが、各地で新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな四国で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが推す店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

四国編の第23回は、愛媛県東温市の「FUJIYAMA COFFEE naturel Roster」。店主の藤山さんは、カフェブームが全国を席巻していた20年ほど前に、松山市内にカフェ ナテュレを開業。前職時代、オーストラリア駐在時に体験した現地のカフェカルチャーを、いち早く愛媛にもたらした、半ば伝説として語られる存在だ。ただ、10年目に自身が突然の危篤に陥ったことで幕を閉じたが、奇跡的に生還。10年以上に及ぶ雌伏の時を過ごし、2022年に再びカフェの舞台に戻ってきた。自家焙煎のコーヒー店として、ナテュレ時代にはなかった新しい楽しみを加え、帰ってきたパイオニアの復活のストーリーをたどった。

Profile|藤山健(ふじやま・たけし)
1964(昭和39)年、愛媛県松山市生まれ。大学卒業後、大阪毎日新聞社広告局に入社。1990年に退職した後、フリーカメラマン&ジャーナリストとして、オーストラリアに渡り、約10年の取材活動を通して現地のカフェ文化への関心を深める。帰国後、無農薬有機栽培青汁の製造会社を経て、2001年、松山市に自然派カフェ「ナテュレ」を創業。2010年に2号店「ブルーマーブル」を開業し、松山でいち早くカフェカルチャーを発信。2015年に不慮の病に見舞われ、「ナテュレ」を閉じた後、調理専門学校の講師、コンサルタントなどを務めながらカフェ業界に関わり、2023年、東温市に「FUJIYAMA COFFEE naturel Roster」をオープン。カフェの開業支援や四国・愛媛の観光案内を通して、ローカルの魅力を伝える活動にも取り組む。
松山に海外のカフェカルチャーを広めたパイオニア

「気が付いたら、肩書がいっぱいつきました(笑)」という、店主の藤山さん。フリーカメラマン、ジャーナリスト、専門学校講師、インバウンドツアードライバー、etc。そして、もちろん、バリスタ、ロースターでもある。それゆえ、「今はインバウンドの観光客が増えて、忙しいシーズンはカフェを空ける日が少なくなって」と苦笑しつつも、藤山さんが拠って立つ原点はカフェにある。
そもそもの始まりは、新聞社に勤めたのちに、10年を過ごしたオーストラリアにある。フリーカメラマン&ジャーナリストとして観光向け雑誌の取材に携わり、現地で暮らすなかで、最も衝撃を受けたのが、日本とはまったく異なるカフェカルチャーだった。「日本だとたまに行くくらいですが、オーストラリアでは誰もが必ず、日に1、2回はカフェを訪れる。自分も現地に住み始めると、自然と毎日行くようになっていました。方々のカフェに取材で訪れたり、日常で立ち寄ったりして、多くのバリスタと知り合い、いろいろ吸収していくなかで、自分でも将来、カフェができるかもと思えるほどになっていました」という藤山さん。当時、デジタルカメラの登場で、カメラマンとしての仕事が少なくなったことも、その気持ちを強めた。

とはいえ、帰国後に始めようにも、飲食店の仕事は未経験。そんな時に縁を得たのが、無農薬有機栽培青汁の製造会社、遠赤青汁の社長。そこで、原料の栽培から製品作りまで携わるなかで食の世界を知るとともに、これからの時代は『健康志向』へと進むはずだという予感を抱いた。ここでの2年の経験をベースに、2001年、松山市内にカフェ ナテュレをオープンする。当時は全国的にカフェブームが席巻していたころ、松山でいち早くカフェカルチャーをもたらしたパイオニアとして、その名を知られる存在となった。店名の通りヘルシー志向を打ち出し、メニューには青汁、発芽玄米、稲若葉といったオーガニック食材を取り入れ、今でこそ当たり前になった地産地消とオーガニックを柱にしたカフェは、時代を大きく先取りしていた。

何より、ナテュレの存在を知らしめたのが、当時はまだ珍しかったエスプレッソを主体としたコーヒーだ。「コーヒーは子どものころに“大人の飲み物”として興味を持って以来、ずっと好きだったんですが、オーストラリアでエスプレッソやカプチーノに初めて出合って、なんておしゃれな飲み物があるんだと感動して。1990年代の日本にはなかったスタイルに取りつかれて、さらにカフェの魅力にハマっていったんです」と振り返る。開店当初からナテュレでは、セミオートのエスプレッソマシンを導入し、コーヒーはアメリカ・シアトルの名店、エスプレッソ・ビバーチェから仕入れた豆を使用。まだ、海外のカフェ事情などほとんど知られていない時代、いち早くオセアニアスタイルを取り入れた、いわば本場直輸入のカフェが松山に現れたのだから、当時のお客にとって、インパクトは想像以上に大きかったに違いない。
人生最大の危機を経ても失わなかった情熱

開店以来、ナテュレは大きな話題を呼んだが、藤山さんの思い描いた形とは違っていたようだ。「店を続けていくうちに、日本では、オーストラリアのように頻繁にカフェに通うお客が少ないと気付きました。今思えば、店だけでなくお客さんも一緒に文化を共有していかないと、カフェという場は育たないんだと。当時、カフェブームと言われていましたが、コーヒーに手をかけている店はお世辞にも多くなかった。エスプレッソの基準も店によりまちまちで、そばとラーメンくらい違うのに誰も文句を言わない(笑)。ナテュレでも最初のころはエスプレッソを出すと、半分のお客さんに“え?”という顔をされましたし、“こんなもの飲めない”という反応も多かった。特に喫茶店になじんだ世代の目は冷ややかなもので、認知度を高めるのに苦心しました」
それでも、界隈の外国語学校の先生たちから支持を得たことで、ナテュレのスタイルは、感度の高い地元客にも徐々に知られるようになった。2010年には、2号店となるブルーマーブルをオープン。ここではドリップ、フレンチプレスのコーヒーを主体にし、2店それぞれで新たなコーヒーの楽しみ方を提案した。半ば伝説的な存在となったナテュレは、残念ながら13年で幕を閉じたが、この店の影響を受けた後進の同業は少なくない。ここでエスプレッソやバリスタの仕事を初体験したという、今治のBarrel Coffee&Roastersの高橋さん、前回登場した高松のLUSH LIFE COFFEEの川染さんら、現在の四国のコーヒーシーンを牽引する店主を輩出していることも、ナテュレの存在の大きさを物語っている。

それほどの人気店だったナテュレが店を閉じた理由は、藤山さんが脳出血に倒れたため。「次は死ぬよ、と言われてドクターストップがかかって。その時は、自分のカフェ人生は終わったなと思いました」。閉店後は、調理専門学校の講師を務めながら、道後のベーカリーで間借り的にコーヒーを淹れるなど、細々と活動していたが、カフェ再開への思いは止みがたかった。「カフェをやるからには自分が店に立たないと意味がない。でも、強く止められた。ただ、店の器具は半分ほど残っていたし、元気になると、一人で小規模に営業すればできるかなと思って、ずっと構想は考えていました」という藤山さん。
この間、ジャーナリストとして、スターバックスやブルーボトルコーヒーの創業者への取材も経験し、2017年にはシドニーで開催された、人気番組「料理の鉄人」のイベント「アイアンシェフオールスターズ」にもコーヒーの鉄人・アイアンバリスタとして参加。オペラハウスでドリップコーヒーを提供するなど、得難い経験を積んだ。「日本と海外のコーヒー文化の違いを肌で感じた経験を買われて、大役を任されました。90年代までは、ドリップコーヒーは日本独特のもので、海外では抽出方法自体が知られてなかった。今でこそ、海外のサードウェーブ系のお店がドリップしているけど、かつては日本と海外では温度差があった。そうした流れを知る人が少ないから、日本のコーヒー文化を伝えるために参加したんです」

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