「万博のシンボルに込められた思いとは!?」“太陽の塔”のナゾに迫る展覧会が開催中!川崎で岡本太郎の頭の中をのぞいてみよう
東京ウォーカー(全国版)
1970年の大阪万博で登場した『太陽の塔』。「なんであんなかたち?」と驚いた人も多いはず。その奇抜な姿と強烈な存在感は、今なお語り継がれている。「芸術は爆発だ。」という名言で知られる岡本太郎さんがこの塔に込めたのは、目を引くだけではない深い問いかけだった。川崎市岡本太郎美術館で開催中の企画展「岡本太郎と太陽の塔―万国博に賭けたもの」では、その謎に5章構成でじっくり迫る。塔に詰まった思いを、一つひとつ読み解いていく展覧会だ。

学芸員の喜多春月さんによると、大阪万博のテーマが“人類の進歩と調和”だったことに対し、岡本太郎さんは正面から異議を唱えていたという。ただし、頭ごなしに否定するのではなく、「太郎さんなりに“人類の進歩と調和”を見つめ直し、テーマ展示という形に落とし込んでいった」とのこと。展示は、岡本太郎さんが20代のときに出合った“ある出来事”から始まる。


パリでの出合いが、『太陽の塔』の原点だった?
1929年、岡本太郎さんは東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学。しかし、父・岡本一平の取材旅行に同行してヨーロッパへ渡り、そのまま美術学校は退学。単身パリに残った岡本太郎さんは、現地の芸術家と関わりながら、自分の“道”を探し始める。

最初はパリ大学で哲学や社会学を学んでいたが、1937年のパリ万博の跡地にできた「人類博物館」で、民族資料と出合う。岡本太郎さんは、その資料に強く惹かれていく。机上の学問よりも、人の暮らしや文化に直結したものに心を動かされたようだ。展示には、当時の写真や書籍、帰国後に再制作された絵画が並ぶ。焼失してしまった作品も、書籍に掲載されたモノクロの写真によってその一端を知ることができる。
喜多さんは「抽象的な学問ではなく、もっと人間の本質に近いものがここにあると感じたんだと思います」と話す。
日本の“原点”を探しに、各地へふらり
戦後、日本に戻った岡本太郎さんが次に注目したのは、自分の足元。縄文時代、沖縄、東北など日本の各地に残る風習や信仰、祭りを自分の目で確かめに日本全国を行脚したそう。岡本太郎さんは実際に現地へ足を運び、自らの目で見て、写真に収め、文章で記録していった。そうして雑誌に連載された記事が、書籍へとまとまっていくケースが多かったという。今では評価の高い“縄文の美”にいち早く気づいていたのも岡本太郎さんだ。当時はまだあまり注目されていなかった時代だけに、岡本太郎さんの審美眼の鋭さが際立つ。


会場には、彼が撮影した写真や、それに触発された作品が並ぶ。梵字を思わせる線や模様、土地の記憶や空気が、作品の中に宿っている。特に沖縄への関心は深く、二度にわたる取材が1冊の本にまとめられている。作品ににじむのは、文化や風土に向き合おうとする探究心。岡本太郎さんの視線が、日本人としての根本に向かっていたことが伝わってくる。
いよいよ『太陽の塔』へ。1967年の岡本太郎に密着!
1967年、岡本太郎さんは大阪万博のテーマ展示プロデューサーに就任。ここから『太陽の塔』の構想が本格的に動き出す。


「実は太郎さんは、就任前から万博に対して積極的に意見を発信しており、1966年の冊子にもコメントが残っています」と喜多さん。

この年はメキシコに渡り、ホテルのために描いていた壁画「明日の神話」の制作も並行して進めていた。この作品はその後行方不明になっていたが、岡本太郎さんの死後に発見され、現在は渋谷駅に設置されている。スケッチや資料、現地でのやりとりなどから、岡本太郎さんがどのようにアイデアをふくらませていったのかが見えてくる。
塔の内部まで体感できる展示空間。VR映像も登場!
『太陽の塔』は、地下・地上・空中という3層構造で作られていた。それぞれが“過去”“現在”“未来”を象徴しており、「その3つを、太陽の塔が突き抜けているんです」と喜多さん。この構成をわかりやすく伝えるため、今回は“地下空間”をイメージした展示を行っている。仮面や神像などが並び、岡本太郎さんが“人間の根源”を象徴すると考えた資料がずらりと並ぶ。あわせて当時の彫刻『ノン』『樹霊Ⅰ』も再現展示。空間全体に不思議な緊張感が漂う。


さらに、注目は日本工業大学の学生たちが制作したVR映像。通常はゴーグルを装着して体験するが、本展ではスクリーン上映版が楽しめる。

「地下に入って太陽の塔の生命の樹を登っていって、空中の未来の展示を見て、地上に降りてくる流れを映像で紹介しています」と内容を紹介してくれた喜多さん。このVR制作は約7年にわたって続けられており、毎年1回の体験会も行ってきた。クオリティは年々向上しており、今回もギリギリまで改良を重ねたという。過去に体験した人にも、もう一度見てもらいたい内容だ。1970年当時の展示空間を、映像でリアルに体験できる貴重な機会だ。
常識を覆した造形美、太陽の塔の衝撃
1970年、『太陽の塔』が万博で公開されたとき、そのインパクトは相当だった。ガイドブックやマップ、チケットなど、当時の空気を今に伝える資料も充実している。

喜多さんは「太陽の塔のインパクトが強すぎて、本当は別にシンボルタワーがあったんですが、それを押しのけるくらい存在感があったんだと思います」と話す。

「万博会場は近未来的でスタイリッシュな建物が多かったんですが、その中にあって太陽の塔はどこか原始的で異質な存在でした。モダニズムをぶっ壊せという意志を感じますし、だからこそ人々の記憶に強く残って、今も愛されているのかなと。自慢にもなる存在ですよね」とも語っていた。



『太陽の塔』は、ただ目立つだけのオブジェではない。岡本太郎さんが「人間とは何か」を問い続けた情熱とエネルギーが、その中に宿っている。展示を見終えるころには、太陽の塔の印象がきっと変わっているはず。見上げたことがある人も、これから初めて出合う人も、ぜひこの機会に塔の“内側”にふれてみてほしい。


そして今、大阪・関西万博の熱が高まるなか、もう一度1970年の太陽の塔が発したメッセージを思い出してみよう。未来へ向かう前に、あの時代の熱量を体感する。そんな時間になるはずだ。
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取材・文・撮影=北村康行
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