日本のエンタメの課題と未来は?USJ「ハロウィン・ホラー・ナイト」を創出した津野庄一郎さんの“逆算エンタメ論”
東京ウォーカー(全国版)
「ものづくりって、頭の中でいくら考えても腕は上がらへんのです。失敗作でもええから、まず現場でつくる。人が目の前で息を呑んだり、叫んだり、泣いたりするのを生で見る。そこからしか本当のエンターテインメントは始まらないんですよね」
そう語るのは、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)で「ハロウィン・ホラー・ナイト」などを手掛け、秋の閑散期をパーク最大の繁忙期へと塗り替えたプロデューサー・津野庄一郎さんだ。現在は体験型エンターテインメント(LBE:Location Based Entertainment=特定の場所に行かなければ体験できない没入型エンターテインメント)を手掛けるNYX(ニックス)株式会社の共同創業者として、新たな体験づくりに挑んでいる。
市場での携帯即売会から始まった意外なキャリア、ダイナマイトの資格試験場でベテラン職人たちに交ざった下積み時代、体験者の「最後の一言」から逆算する独自の設計手法。さらには山崎貴監督らトップクリエイターとの刺激的な仕事、世界に誇る日本の国民的IPに対する悔しさと強いもどかしさ、そして産業としての課題を抱えるイマーシブシアター(没入型演劇)の持続可能なエコシステムづくりまで。その熱量と思想のすべてを余すところなく語ってもらった。
通信会社の営業からUSJへ。黒門市場の携帯即売会で知った「人が動く瞬間」
——開業直前のUSJに入社されるまでの歩みを教えていただけますか。最初の営業職はどういった理由で入られたのでしょうか?
【津野庄一郎】大学を中退して、なんとなく営業っていう仕事に憧れがあってKDDIに入ったんです。自分で言うのもなんなんですけど、わりと営業のセンスがあったんですよ。
当時は国際電話の営業で、企業を1軒ずつ回って「割安でかけられますよ」と他社からKDDIへの乗り換えを案内していました。ただ、他社からKDDIへの乗り換え契約は1件取っても1ポイントにしかならないのに、ちょうど出始めた携帯電話を1台売ると5ポイントもらえたんです。とはいえ、当時の携帯電話ってめちゃくちゃ高くて、コワモテのおっちゃんたちが持っているようなゴツいサイズが世間のイメージでした(笑)。オフィス街を普通に回っても全く相手にされない。それなら、地道に回るより、「携帯電話をまとめて売る仕組みをつくったほうが早いやんけ」と思ったんです。
そこで「とにかく時間を短縮したい人って誰やろ?」と考えたときに、魚市場が浮かびました。朝のセリで仕入れのやり取りをする人たちは、手元に電話があると助かるはずやと。それで大阪の黒門市場の組合事務所に行って、朝のセリが終わって落ち着いたタイミングで「真ん中の広場で携帯電話の即売会をやらせてもらえませんか」と直談判しました。そしたら「おもしろいやん、兄ちゃんやりや!」っておもしろがってくれて。
上司からも「まとまって契約が取れるなら値引きOK」という許可をもらって、セリが終わるタイミングでマイクをお借りして「今から中央の広場で携帯電話の即売会をやります!携帯電話のセリが始まりますよ!」って呼びかけました。実際にデモ機をひとりずつ持ってもらって「しゃべってみてください」と試してもらったら、「おー、聞こえる!」って大盛り上がりして、飛ぶように売れたんです。そこから「あいつも欲しいらしい」と紹介が広がっていきました。普通の営業マンはチームでオフィス街を回るんですけど、僕はひとりでそんなことばかり考えてやっていました。ビジネスの流れをつくることや、人が目の前で動く瞬間を見るのが根本的に好きだったんです。
——そこから起業を経て、アメリカへ行かれたそうですね。英語は話せたのですか?
【津野庄一郎】友人と人材派遣会社を立ち上げて軌道に乗ったのですが、スムーズに動き出すとほかのことがやりたくなってしまい、会社を抜けました。20代も終わるころで、特に目的もなく単身ロサンゼルスへ行って、ふらふらしていたんです。
英語なんてビジネスで使えるようなレベルでは全然なくて、めちゃくちゃ適当な英語で乗り切っていました(笑)。そんなときに、ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドへ行ったんです。それまでテーマパークなんて興味がなくて、ディズニーランドも存在は知っていても行ったことがなかった。生まれて初めてひとりで行ったテーマパークが本場ハリウッドでした。そしたら鳥肌が立つくらい衝撃を受けて、「なんやこれ、めちゃくちゃおもしろいやん!」って2日連続で通い詰めました。
ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドには、実際に撮影で使われたロケ地や本物のセットを巡る「スタジオ・ツアー」があって、リアルな映画の現場そのものがアトラクションになっているんです。
——そこでテーマパークのおもしろさに出合ったんですね。その後帰国されるときは、具体的な仕事のイメージは持たれていたのですか?
【津野庄一郎】全くありませんでした(笑)。人生、全般的にだいたいその場の流れに任せて生きてきたところがあって。帰国したきっかけも、母親から「そろそろ日本に帰ってきたら?」と言われてフラッと戻ってきただけなんです。
日本に帰ったとき、姉が新聞を見て「大阪にユニバーサル・スタジオができるって社員募集してるよ」と教えてくれて、すぐに電話しました。「2年くらいやって、また次のおもしろいこと探そう」くらいの軽いノリでしたね。
——オープン4カ月前の現場に入ってみて、いかがでしたか?準備は順調に進んでいたのでしょうか?
【津野庄一郎】全然順調じゃなくて、バタバタの極みでした(笑)。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』やサンフランシスコ・エリアは順調に進んでいたんですが、僕が配属されたのはパーク中央のラグーンで行われるナイトショー『ハリウッド・マジック』の現場でした。これが全く進んでいなくて、トラブル続きでリハーサルすらまともにできない状態。プロデューサーも途中で代わったりして、「え、マジか」と。指示を待っていても誰も何も教えてくれないし、ぼーっとしていたら1日が終わってしまう。
でも周りを見渡すと、海外のクルーや先輩たちがものすごい勢いで走り回っていて、昨日より今日のリハーサルの完成度が確実に一段上がっている。「うわ、あっち側、めちゃくちゃ楽しそうやな」って強烈に思ったんです。役目を持ってキラキラと現場を動かしている側へ、どうしても行きたくなりました。
——その状況で、自分のやるべき仕事をどうやって探していったのですか?
【津野庄一郎】「やることありますか?」って聞きに行くのはダサいじゃないですか。だから、スタントショーで火薬を使う特殊効果チームがあるとわかったら、「火薬の資格を持っていたら頼まれる仕事が増えるやろ」とダイナマイトの資格を取りに行きました。試験会場に行ったら周りは現場経験の長そうなベテランのおじさんたちばかりで、そこに混じって試験を受けたんです(笑)。
湖でボートを操縦するから小型船舶免許を取り、荷物を運ぶためにフォークリフトの資格も取りました。僕は最初アルバイト入社だったので、現場で自分が役に立てる価値を力づくでつくりにいったんです。役目を果たしている側に行きたい一心で、手を変え品を変えやっていました。
「ゾンビならお金がかからない」予算がないなかで生まれたハロウィンと、修羅場の経験
——オープン以降、2018年に退職されるまではどのようなお仕事をされていたのですか?
【津野庄一郎】USJのエンターテインメントの制作部門で、パレードや道端でやる小さなアトモスフィア・エンターテインメント(パーク内の路上や広場で突発的に行われる小規模なショー)などをつくっていました。後半のメインになったのは秋のハロウィンイベントです。企画から制作、リハーサルまでを担当し、期間中のクオリティ管理をずっとやっていました。
——ハロウィンはUSJが日本に文化を定着させた印象があります。どのように企画をつくり上げていったのですか?
【津野庄一郎】当時、秋は屋外テーマパークにとって完全な閑散期でした。でも、秋は夜が長くて気候的にも一番過ごしやすい。「こんな最高の季節を遊ばせておくのはもったいない」というのが最初のきっかけです。
まず、「仮装の聖地」として昼の集客を図りました。当時はまだコスプレが今ほど世の中に受け入れられていなくて、街中で着替える場所もなかったので、パーク内に更衣室を用意して「仮装して来ていいですよ」と広く受け止めたんです。すると行き場を探していた人たちが大勢来てくれた。でも、昼と同じファミリー層や仮装客を待っているだけではビジネスの限界が見えていました。パークの敷地も限られているなかでビジネスを伸ばすには、夕方以降の時間帯に全く違う客層を取り込み、昼と夜の二回転をさせる必要があったんです。
そこで、若い女性をターゲットにしようと考えました。学校や職場、人間関係でストレスを抱えている彼女たちを思いっきり絶叫させて、発散してもらおう。じゃあ、ホラーやなと。
ただ当時、2014年の『ハリー・ポッター』エリアの建設が決まっていて、予算的な余裕はなかった。新アトラクションに多くの予算をかけられないなかで、「ゾンビなら金がかからんやん」と思いついたんです。ボロボロの服を着せてメイクを施したゾンビを300人パークに放ち、照明とBGMを変えるだけで、普段のテーマパークが一瞬でサバイバル空間に激変する。それが受け入れられて、ハロウィンの形ができ上がっていきました。
——ゾンビ役はエキストラ募集だったのですか?
【津野庄一郎】社内に加え、一般からも募集しました。主婦の方や学生さんなど、意外と世の中にゾンビファンって多いんだなと実感しましたね。セリフを覚える必要はないけれど、本気でお客さんを驚かせる。演者側に回れる体験そのものが新しかったんだと思います。
——USJ時代、ほかに印象に残っているお仕事はありますか?
【津野庄一郎】2014年の『ハリー・ポッター』のオープン発表イベントですね。450億円規模のプロジェクトで、当初の春オープンが7月にずれ込むことになり、年度の話題づくりのために急きょ3月に大規模な発表イベントをやることになったんです。テーマパークの単なる新エリア発表ではなく、国家規模のプロジェクトとして世の中の認知度を90パーセント以上に引き上げるという、何としてもやり遂げなければならない大きな目標でした。
国内外の要人や世界的著名人、国際的な著名建築家、映画の製作陣、トップアイドルまで一堂に会する現場でした。プレッシャーで腕は湿疹だらけになり、夜寝ると「ホグワーツ城が火事になってイベントが中止になる」という夢を毎晩見ていたくらい追い詰められていました(苦笑)。
社長からも「もし前日に何かが起きて要人が来られなくなったらどうするんだ?別の案を考えろ」と詰め寄られ、必死に対応しました。でも、「あいつ失敗したな」と言われるのだけは絶対に嫌だった。「津野に任せたらすごいものができる」と言わせたい。その意地とプライドだけで走り抜きました。あの修羅場を経験したことで、根性がつきましたね。
つくる前に「架空のツイート」を書く。つくり手の自己満足をなくす逆算の体験設計
——USJを卒業しようと考えたきっかけは何だったのでしょうか?
【津野庄一郎】USJは本当に恵まれた環境でした。つくる場所も予算もあって、集客やPRの心配をせず、つくることに専念できた。年間で5、6本はつくっていたので、経験もどんどん積めました。でも、ハリー・ポッターがオープンして落ち着いたころ、「この力をほかの場所でも試してみたい」という思いが湧いてきたんです。
毎年ハロウィンをやっていて、下の世代にもやりたい人がたくさんいるなかで、自分がずっとここに居座っていていいのかという思いもありました。そんな折に刀の森岡(毅)さんから声をかけていただき、次のステージへ行こうと決めました。
——USJと刀、それぞれで得たものの違いはありますか?
【津野庄一郎】USJでは、数カ月おきにショーをつくって出し、体験しているお客さんの反応を毎日のように現場で見ることができました。「ここを直そう」と思ったら翌日には修正できる。現場でつくりながら感覚と制作手法を学ばせてもらった場所です。
刀では、西武園ゆうえんちやハウステンボス、ネスタリゾートなどいろいろな現場に行かせていただき、クライアント(顧客企業)と一緒にエンターテインメントを考えていくコンサルティングの仕事をイチから叩き込んでもらいました。自社のパークで自由につくる経験と、外部のクライアントと併走してつくる経験。その両方を経験できたことは、今の自分にとって大きな財産になっています。
——エンタメをつくるうえで、一貫して大事にしている考え方はありますか?
【津野庄一郎】「一番最後から考えていく」という逆算の手法です。
——逆算?
体験し終えたお客さんが、ゲートを出てスマホを開いたときに何と言っているか。その「最後の一言」の想像からスタートします。「感動した」「めちゃくちゃ泣けた」「腰を抜かすほど怖かった」など、その一言を言わせるためにエンディングはどうあるべきか。大熱狂で終わるのか、謎と含みを持たせて静かに終わるのか。そこが固まれば、あとは逆算してスタートの設計に入ります。
USJ時代は、制作が始まる前にお客さんが投稿するであろう「架空のツイート」を何本も書いてチームに配っていました。「お客さんはこう言うねん。だからこの演出が必要なんや」と共有するんです。
世界観や脚本を考えるのは一番楽しい作業なので、真っ先に飛びつきたくなるんですが、そこをいったん我慢する。もし途中で、自分が気に入っていた演出がお客さんの感情の流れとズレるとわかったら、潔く捨てます。つくり手の自己満足、マスターベーションになった瞬間、エンタメは死にますから。
——そうしたつくり方は、外部の一流クリエイターと仕事をするなかでも違いを感じましたか?
【津野庄一郎】全く違いましたね。外に出て痛感したのが、クリエイターごとのつくり方の多様さです。たとえば西武園ゆうえんちの『ゴジラ・ザ・ライド』でご一緒した山崎貴監督は、僕とは全く違ってものすごいスピード感のスタイルでした。台本を自分でパパッと書かれて、デザインも驚くほどの速さで描き上げてこられる。「頭の中に最初から完成された映像の設計図があるんやな」と感じて、ついていくのに必死でした。
僕は「最後のお客さんの感情」から逆算して泥臭く筋道を積み上げていくタイプなので、頭の中のビジョンを即座に形にしていく山崎監督の圧倒的なスピードと才能を目の当たりにしたときは強烈な刺激を受けましたね。「世の中にはこんなつくり方をする天才がいるんや」と、外の世界の広さを実感しました。
——人気IPを扱う際の、原作の世界観の守り方と期待の超え方のバランスはどう考えていますか?
【津野庄一郎】IPホルダー(アニメや漫画など、知的財産の権利を保有する企業や版元)の方々は、ビジネス以上にその作品を大切にされています。だからこそ、まずは自分がその作品を誰よりも好きになり、なぜこれほど愛されているのかを徹底的に分析します。
『ゴジラ・ザ・ライド』のときも、ゴジラは歴史が長いので「俺が見たかったゴジラはこれじゃない」とファンの正解が分かれやすい。そこで原点をたどると、1作目は間違いなく「ホラー映画」だったんです。カッコよさ以前に圧倒的な恐怖を描いた作品だった。「これなら自分の得意分野や」と、徹底的に怖がらせる体験に振り切りました。
『東京リベンジャーズ』のイマーシブをつくったときも、タイムリープ(時間移動)の設定とリアル体験の整合性をとるため、作品の本質を突き詰めたオリジナルのストーリーを版元(出版元)にお持ちしました。すると担当編集の方が「おもしろい、これでいきましょう!」と背中を押してくださった。作品の本質を深く理解していれば、IPホルダーの方々とも必ず通じ合えると思っています。
「本当にやりたいことをやれているか?」すべてを背負って挑戦するNYXの立ち上げ
——新たな挑戦としてNYXを共同創業されましたが、そもそもどういった理由からだったのでしょうか?
【津野庄一郎】USJも刀も本当に素晴らしい環境でしたが、組織にいる以上、会社の方針が最優先になるのは当然です。でも仕事をしていく中で、「自分が心の底から信じる体験を、すべてのリスクを背負ってゼロからつくってみたい」という思いが強くなっていきました。テーマパークとマーケティング会社の両方を知った自分が、最後に徹底的につくりたいものをつくる場所として、会社を立ち上げるのは自然な流れでした。
共同創業者の早田(裕樹さん)は新卒でUSJに入り、刀でもマーケティングを担当していた男です。僕より一回り以上若い新世代で、最初は「AIとしゃべってるんかな?」と思うくらい冷静沈着な印象でした(笑)。でもあるニューヨーク出張の夜にエンタメについて語り合ったら、ものすごい情熱を内に秘めていた。見ている角度は正反対なのに、目指しているエンタメの景色が完全に一致していたんです。
早田は、判断がとにかく合理的で的確なんです。前の職場でも、早田のいるプロジェクトは成功が多くて、ひときわ輝いていました。あの冷静さは、その判断のためのものだったんです。僕はお客さんの「最後の一言」から逆算するタイプですが、早田はその体験が事業として何年続くかから逆算する。続かなければ、つくり手は次の打席に立てませんから。
——会社名を「NYX」へ変更された思いについても教えていただけますか?
【津野庄一郎】会社をつくってしばらく経ったころ、早田と「俺ら、せっかく全部のリスクを背負って好き勝手できる場所をつくったのに、やってることが前と変わらんクライアントワーク(受託業務)になってへんか?これじゃ意味がないやろ」と話したんです。自分たちが本当に仕掛けたい体験設計、LBEの未来を切り拓くために、心機一転、看板を変えました。掲げているのは『まだ見たことのない体験を、つくる。』という言葉です。そこに、世界へ挑戦する覚悟を込めています。
——NYXは、どんなチームで、何をする会社なのでしょうか?
【津野庄一郎】NYXは体験設計の専門会社です。エンターテインメントは、先人たちが積み上げてきたものとの競争やと思っています。テレビ局、場所をお借りする不動産会社、広告代理店、メーカー、プレイガイド、IPを持つ会社さんと組んで、総合力で戦って初めて事業として成り立つ。それだけ多くの力を取りまとめてつくる総合芸術なんです。
だからNYXは、演出や脚本、空間、技術のつくり手と、事業を組み立てるプロデューサーを同じチームに置きました。映画やアニメの製作委員会のように各社が力を持ち寄る仕組みを、リアルのエンターテインメントで新しい形にしたい。その場を僕らが先陣を切って増やし、漫画やアニメ、映像のクリエイターが加わってくれたら、日本発の文化やIPと組んだリアルエンターテインメントが次々に生まれます。その未来を信じて組んでくださる会社さんと、今、一緒に走っています。
チケット代だけに頼らない仕組みをつくる。「イマーシブ・マーケティング」の可能性
——現状の日本のエンターテインメントの課題はどこにあると感じていますか?
【津野庄一郎】圧倒的に「つくる場所と機会」が足りないことです。中国や韓国は国が予算をつけて、若いクリエイターに打席を用意しているから進化スピードが凄まじい。日本には世界がうらやむ原作やカルチャーがあるのに、若手が腕を磨ける現場が少なすぎるんです。
特に今のイマーシブシアターは、構造的な矛盾を抱えています。ビジネスを成り立たせるためにハイキャパシティ(大人数収容)にすると体験の濃さが薄まり、濃密な体験をつくろうとローキャパシティ(少人数制)にするとチケット代が2万、3万円と高くなってしまう。
日本のエンタメの相場って海外に比べると安すぎるんですが、だからといってつくり手側がいきなり「適正価格はこれだ」と3万、5万円で売り出しても、お客さんからしたら「知らんがな」って話ですよね。無理に値段を跳ね上げるのではなく、一歩ずつ段階を踏んで市場を広げていく必要があります。
——その矛盾を解くために構想されているのが「イマーシブ・マーケティング」ですね。具体的にはどのようなものでしょうか?
【津野庄一郎】チケット代だけに頼らず、物語の中に企業の製品や、大切にしている想い・企業理念を自然に溶け込ませる手法です。
たとえば、新しい香水の発売に合わせて、その香りが謎解きの鍵になる物語を体験してもらう。従来の広告は商品名を覚えてもらうのが目的でしたが、五感と感情の記憶として刻まれた体験は、一生ものの愛着になります。
これは一般のお客さん向けの商品だけでなく、社内の仲間たちに向けた理念の共有にも大きな効果があります。たとえばホンダ(本田技研工業)の創立記念日に、本田宗一郎さんが苦楽を乗り越えて最初の製品(自転車用の補助エンジン)をつくり上げた創業ドラマを、社員向けにイマーシブシアターで追体験してもらう。会議室で2時間理念を語られる何百倍も、「俺たちの会社ってこうやってできたんや」という誇りが身体に刻まれます。
あるいはスターバックスのロゴに描かれているセイレーンの壮大な物語を、五感で味わう体験に変えてもいい。企業と組むことでチケット代を無理のない価格に保ち、クリエイターが妥協のない濃密な空間をつくり続けられる、持続可能なエコシステムを目指しています。
さらに、都市部で再開発を待つ「解体前の空きビル」などを活用し、若手クリエイターが腕を競い合って、それを企業や投資家が直接体験して買い付けられるような見本市のような構想も進めています。
生身の熱狂と、世界へ挑む日本のエンターテインメント
——デジタルやAIが発達するなかで、生身の人間が体験する「ライブエンターテインメント」の価値はどう変わっていくでしょうか?
【津野庄一郎】テクノロジーが進化すればするほど、生身のライブ体験の価値は跳ね上がっていくと思います。
実はうちの会社(NYX)は、他社に比べても業務でかなりAIを取り入れているほうなんです。それでも痛感するのは、デジタルではどうしても超えられない壁があるということ。コロナ禍で家の中での引きこもり用エンタメが極限まで充実したからこそ、その反動として、同じ空間で同じ空気を吸い、目の前で感情が激しく揺さぶられるリアルの熱狂の価値が跳ね上がっています。
VR(仮想現実)も素晴らしいですが、装置を頭につけた瞬間に物語が始まるので、「今装着している」という意識がどこかに残ってしまう。生身の人間同士が交錯する熱量こそが、最終的にお客さんの心に一番深く響くはずです。
——日本のコンテンツが世界へ打って出るうえで、何が必要だと考えていますか?
【津野庄一郎】日本には世界中がうらやむような素晴らしいIPやカルチャーが無数にあります。でも、クリエイターとして悔しい思いや、もどかしさがあるんです。
海外で日本の国民的IPの巨大テーマパーク建設が決まったとき、「あんなに素晴らしい宝物のような作品を、なぜ日本国内で立体的な体験として形にせず、二次元の『見るだけ』にとどめてしまったんやろう」と猛烈に悔しかった。つくり手が「映画の中だけで完結させたい」と作品の世界観を大切に守ろうとする姿勢も深く理解できますが、それでも世界中を魅了する圧倒的な名作の世界こそ、「一歩足を踏み入れればそれだけで極上の体験になるのに」ともどかしく思ってしまう。
アメリカは映画を公開すると2年後には施設ができ、パート2・3・4とお金が生み出せなくなるまで徹底的にコンテンツを使い倒します。一方で日本の作家は、世界観を自分の手元で守りたがる職人気質がある。どちらがよい・悪いではなく、その「真ん中の道」が必ずあるはずなんです。世界観を大切に守りながら、何十年も愛される体験の場へと昇華させていく。それが僕たちの世代の役目だと思っています。
リアルな体験を専門につくる人は、日本ではまだ多くありません。でも、あらゆる表現を使える総合芸術なので、つくり手にとってこんなにおもしろいものはない。漫画やアニメ、映像でとんでもない想像力を見せてきた人たちの頭の中の世界が、実際に歩ける空間になったらどうなるか。日本のつくり手がつくるからこそ、世界のどこにもない体験になるはずです。それを一緒に形にしていきたい。漫画もアニメも、日本が育ててきた誇れる文化ですから。
そして世界で勝つためには、K-POPに学ぶべき点が多いと感じています。K-POPが世界を席巻したのは、「K-POP」というジャンルそのものを確立し、どのグループでも歌・ダンス・ビジュアルの品質がしっかり保証されているからです。日本の体験型エンタメも同様に、「日本から次はなにが来るんだ?」と世界中が期待するような高い品質基準とブランドを確立していきたいですね。
——最後に、津野さんが引退するまでに成し遂げたい「最大の野望」を教えてください。
【津野庄一郎】スコットランドの「エディンバラ・フェスティバル・フリンジ(演劇に加えてコメディや音楽なども集まる、世界最大規模の芸術祭)」のようなフェスを、東京につくることです。
毎年ある季節になると、世界中から才能ある無名の劇団やクリエイター、役者が集まり、街中の劇場や空きビル、路上で新しいエンタメが同時多発的に爆発している。そして世界中から観客が集まってくる。そんな「世界一おもしろい祝祭」を東京で開催したいんです。
それも演劇に限らず、イマーシブシアターも、アトラクションも、ライブも、体験型の展示も集めて、観客とつくり手が選んで表彰する。その年の日本一の体験が決まる場にもしたいんです。そうなればつくり手は「次はあそこで獲る」と目標にできるし、企業はそこで次に組む才能を見つけられます。
ものづくりって、頭の中でいくら考えても腕は上がらへんのです。失敗作でもええから、まず現場でつくる。日本のクリエイターが腕を磨き、世界へ飛び出していける「打席」をつくるために、僕はこれからも現場で泥臭く汗をかき続けます。
取材=浅野祐介、取材・文=北村康行、撮影=阿部昌也
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