銭湯は男女混浴だった! 奥深い銭湯トリビア5選
東京ウォーカー(全国版)

お風呂上がりに夕涼みをすると気持ちのいい季節。家でのんびりお風呂を楽しむのもいいけれど、たまには銭湯に行って、大きな湯船にゆったり浸かるのもリフレッシュできるからお勧めだ。地元の銭湯を探してみると、意外と歴史のあるところが多い。今回は、日本特有の文化でもある銭湯をもっと身近に楽しめるように、実はあまり知られていない銭湯の歴史について、温泉研究の第一人者の杉森賢司さんに話を伺った。
「地元民に古くから愛されている銭湯ですが、経営者層の高齢化によって、閉店を余儀なくされる店舗が年々増えています。そんな中、若手経営者が中心となって、銭湯で音楽イベントやピラティスやヨガなどのレッスンを開催するなど、新たな動きもあるそうです」(杉森賢司さん)
トリビア① 東京初の銭湯は、蒸風呂だった
『そぞろ物語』によると、1591年の安土桃山時代に初めて江戸に銭湯が誕生したという。当時、「湯屋」と呼ばれる店は行水式で、「風呂屋」は蒸風呂式の浴場だった。その後、蒸風呂から温湯を入れた浴槽と蒸し風呂を併用したタイプの「板風呂」や「棚風呂」に変化し、さらには、洗い場と浴槽を高さ90cmほどの低い入り口(ざくろ口)で仕切り、浴槽の湯が冷めないようにした造りの「ざくろ風呂」へと変化していった。
トリビア② 江戸時代の銭湯は男女混浴だった

もう一つ、江戸時代の銭湯が今と大きく異なる点は、男女混浴だったことだ。銭湯は一般庶民から武士まで、老若男女が分け隔てなく通う場であった。しかし、江戸時代といえば階級社会。日頃から最上階級者として偉そうに振る舞っている武士たちが、銭湯の中では刀を外して丸裸になることに、少なからず恐れを抱いていたようだ。銭湯で武士の喧嘩が絶えなかったことなどもあって、江戸初期には幕府が武士の銭湯通いを禁じたとか。
トリビア③ 男性の裸体を見たいから女性も銭湯に通っていた
狭い浴場内で男女が群居する様は、当時の人にとっては魅力だったと想像される。男性が女性の裸体に興味があったのと同様に、女性も男性の裸体に興味があったために、銭湯が繁盛したと考えられている。また、普段は見せまいと隠している裸体を女性の魅力の一部として見せたかったとも考えられる。
トリビア④ 銭湯の壁は地元のお店のチラシを貼る広告スペースだった

「今では富士山の絵などが描かれている浴室内の壁絵ですが、当時は地元の店のチラシなどが壁一面にびっしりと貼られ、地域の人たちのコミュニティースペースとしても機能していたようです。今でも銭湯に行くと浴室内の壁画部分に、『浴室内広告の掲載募集』といった張り紙がしてあるところがありますよ」(杉森賢司さん)
トリビア⑤ 江戸では湯女風呂が流行した
江戸時代の初めに出現し、その後に江戸で流行したのが「湯女風呂」だった。茶屋で酒客をもてなし、設けてある風呂場に客を入浴させて垢かきをする女性のことを「湯(ゆ)女(な)」と呼んだが、やがて湯女との遊びが行われるようになって、売色女と化したことで取締が厳しくなったとか。しかし、絶滅することなくあちこちで形態を変えて営まれていたという。
銭湯お遍路が今、若者の間でブームに
銭湯は東京都だけでも2017年8月時点で560軒ほどある。最近では、銭湯を巡るたびにスタンプを貯められるアプリが誕生し、若者たちの間で銭湯お遍路が密かなブームとなっているそうだ。銭湯で湯上がりに飲むラムネや牛乳は格別だ。暑くなる前のこの季節に、地元で愛される銭湯で身も心も癒されてみては。

杉森 賢司(すぎもり けんじ)1955年生まれ。東邦大学医学部生物学研究室・講師。2016年、環境省大臣表彰(温泉功労賞)。研究分野は温泉や火口湖を中心とした高温、強酸性の特殊環境に生息する微生物。日本のみならず世界の過酷な環境や温泉地にも出向いて調査・研究をするほどフットワークが軽い。
取材・文=矢作千春
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