『マン・イン・ザ・ミラー』連載 第4話

東京ウォーカー(全国版)

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HOME MADE 家族のKUROがサミュエル・サトシ名義で発表した小説『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』


むちゃくちゃキツいじゃん。回転寿司。

回転寿司の回転は寿司が回っているのではなく、人が回っていると言っても過言じゃない。洗い場、レーンの寿司埋め、細巻きのストック作り、シャリマシーンのシャリ補充、テーブル拭き、床掃除…。文字通り回転させることで利益を出すのだから、ホールもキッチンも手を休める暇がまったくないのだ。

「お姉ちゃんのウソつき」

そんなにキツくないって言うから引き受けたのに。

「おい、新人! モタモタするな!」

「すみません!」

あの日『ライブ・イン・ブカレスト』のビデオを観てから僕の生活パターンは大きく変わった。学校から帰ったらすぐにビデオを観て、その後18時から20時まではバイト、その間は何度も脳内再生。帰宅して夕飯を食べたらまたビデオを観て振り付けやマイケルの表情を確認して今度は部屋で猛特訓。

それまで特に何もやることがなく、空想しながらブラブラして、家に帰ってもチキンを食べながらダラダラと過ごしていた自分とは大違いだ。

最近は自分の部屋が狭すぎるので、バイトがない日は学校の視聴覚室を借りて一人で秘密裏に練習を始めた。目立つことが苦手な僕にとっては、鍵がかけられる視聴覚室ほどありがたい場所はない。これもポール先生のおかげだ。

放課後マイケルのビデオを観て英語の勉強がしたいと言ったら、またしても「No Problem!」と言って快く鍵を渡してくれた。僕はサンキューと言う代わりにマイケルの曲名で覚えた「スタート・サムシング」と言ったら今度は「Great!」と返してくれた。どうやらちょっとだけ通じたようだ。

最初は振り付けを覚えるのにかなり苦労した。なぜなら映像で観るマイケルと動きが左右反転になってしまうからだ。つまり、マイケルがあげる右手はこちらからは左手となってしまう。頭では分かっていても、画面を観過ぎたせいでつい同じ方向に進んでしまうのだ。

ターンは右回りじゃなくて左回り、ムーンウォークとサイドウォークはステージに向かって右から左、細かいステップや顔の向き、すべて頭を切り替えて考え直さなければいけない。それとカメラが観客を映したりするときはその間の動きが見えなくなるから想像で穴埋めをするしかない。マイケルならこのときどう動くか、考えて考え尽くすのだ。僕は我を忘れて何時間も踊り続けた。

それにしても踊ってみればみるほどその素晴らしさと奥深さに気づかされる。どの曲も見事なまでに音楽と動きが渾然一体となって溶け合っている。たとえば『ヒューマン・ネイチャー』なんて、まるで水の中で浮遊しているような気持ちになる。そして最後は海底から水面へと浮上して、キラキラと揺れる青と緑の光に向かってマイケルが消えていくようだ。

きっと彼はダンスするために踊っているんじゃない。音と言葉とメロディーに引っ張られて導かれるように身体が動いているのだ。

たまに踊っているとマイケルの気持ちがふと解るような瞬間がある。感情の起伏が音の洪水に乗って心に押し寄せてくるのだ。もちろん僕は本人じゃないし、もしかしたらただの勘違いかもしれない。でもなんだか、あながち間違いじゃないような気もしている。

初めはマイケルのスゴ技を一つでも多く習得することが喜びだったのに、次第にバラードに気持ちが入ることが多くなった。『マン・イン・ザ・ミラー』なんて踊っていて泣きそうになる。実際、泣いた。英語の意味はまだよく分からないけど、「鏡の前にいる自分から始めよう」というメッセージぐらいは僕にも分かる。だってこれって今の自分じゃん。

僕は窓ガラスに映る自分の姿を見てポーズを取って微笑む。辺りが暗くなると窓ガラスは反射して鏡の代わりになるのだ。

『マン・イン・ザ・ミラー』のマイケルが中盤で見せる超高速ターン。僕なら何回転できるだろうか。まだマイケルのようにはたくさん回れないけど、思いがピークに達したとき、僕もここで回転数をグンと上げて、かなりの数を回ってそのまま床に崩れ落ちてみたい。

もっともっと近くへ。もっともっと同じに。

きっと同じになれば、さらに同じ思いにもなれるはずだ。

僕はマイケルの鏡になる。

一回転。

二回転…。

三回転……。

四回転………。

「おい! バカ! 早くレーンを埋めろ!」

「え?」

「何ニヤニヤしながらクルクル回るレーン見てんだよ! 早く寿司を埋めろ!」

気がつくと何も乗っていないレーンが、かなり長いこと続いていた。

「す、すんません!」

「ったくよぉ! お前の姉ちゃんはすげーてきぱき動けたのに。お前は全然、使えねーな! ボケッとしてっとまた流刑地に戻すぞ!」

バイト先の先輩が寿司以上の早さでキッチンの中を動き回りながら、捨て台詞を吐いてまたホールへと戻っていった。

こういったチェーン店はスピードが命だ。時給分の仕事ができない遅い人は、流刑地と言われる皿洗いに回される。僕も最初はずっとそうだった。

皿洗いは本当に辛い。水の中に長いこと手を入れる作業というのは想像以上に過酷だ。手は荒れてくるし、指の感覚もなくなっておかしくなる。ほぼ拷問と言ってもいい。皿洗いが流刑地と呼ばれる所以だ。

その後、レーン担当と言ってシャリにネタを乗せて皿と皿の間隔を埋めるだけの作業に移されたが、シャリとネタの重心のバランスが悪く、よくレーンのカーブのところでネタがボトッと落ちて叱られる。まだ加減がよく分からなくて寿司の完成度が未熟なのだ。

そもそも回転寿司に完成度も何もないような気もしているのだが、入ってからずっと僕は怒られっぱなしで良いところがない。姉がバイトリーダーだっただけに余計に周囲から比べられる。

「気にすんなよ! 舞子の弟!」

突然後ろから肩をポンと叩かれたので振り向くと、正社員のツッキーこと月上さんがいた。

「ツッキーさん」

「舞子も最初はそんなもんだったよ」

姉のことを下の名前で呼び捨てにするのがちょっと引っかかるが、この職場では唯一話しやすい人だ。入ったときからずっと僕のことを気にかけてくれている。

「そんなことより、来月社員旅行が決まったぞ! 良かったな!」

「え? 社員旅行ですか? バイトでも行けるんですか?」

僕はビックリして聞き返した。

「今年は売り上げが良いみたいで、バイトくんも全員連れて行くって店長が言ってたぞ。ラッキーだったな」

「はあ」

こんな使えない状態でみんなと社員旅行なんて行きたくないな。むしろ家でずっとマイケルの練習をしていたい。僕は力なく返事をした。

「ただし、参加するには一つ条件があるぞ。バイトくんはみんな宴会場で一発芸を披露するのがマストだ」

「ええ!!」

「行かないってのはナシだからな! もう頭数入ってるし! 楽しみにしているよ! 舞子の弟!!」

そう言うとツッキーさんは僕の返答も待たずに風のようにホールへと去っていった。

「一発芸!?」

僕は突然巻き込まれた、ありがた迷惑な社員旅行の参加条件に頭が真っ白になった。

ただでさえ周りから注目されるのが嫌なのに、人前に立って一発芸なんて絶対にできっこない。悪夢だ。死だ。

「どうしよう。一体何をすればいいんだろう…」

気がつくと僕はまたレーンにお寿司を埋めるのを忘れていた。そして当然のように怒られ、その日は流刑地で過ごした。

(第5話へ続く)

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