『マン・イン・ザ・ミラー』連載 第3話

東京ウォーカー(全国版)

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HOME MADE 家族のKUROがサミュエル・サトシ名義で発表した小説『マン・イン・ザ・ミラー 「僕」はマイケル・ジャクソンに殺された』


「エエ、ソレデハ、次のコノGirl Is Mineという言葉を誰か訳してミテクラサ〜イ。じゃ、Mr.ビトウ!」

BS2に入っている友達、友達…思いつかない。そもそも友達と呼べる知り合いがいない。

「Mr.ビトウ!!!」

「あ! はい!!」

凄い剣幕で外国人教師のポールが僕の名前を呼んだので、窓の外から視線を前に戻した。

「授業中デス! リッスン! Girl Is Mineを日本語に訳してミナサ〜イ!」

「えっと、えっと、Girlは女だから…マイ、マイ、マイは、あ! “僕のお姉さんは舞子”ですかね?」

「ノー!! アナタの兄弟を聞いてるんジャナイデ〜ス! Mineは自分のモノ、つまり彼女は僕のものという意味デース。ちゃんと授業を聞くヨウニ!」

「す、すんません!」

教室からクスクスと笑いが起きる。

英語は苦手だ。それよりもこうして目立つことの方がもっと苦手だ。注目されると居ても立ってもいられなくなる。僕は顔が熱くなって下を向いた。

だいたい英語は難しすぎる。普段聞き慣れないし、授業中に流す英語講座のビデオも退屈だ…そういえば、あのビデオはNHKを録画したものだろうか。もしかしたらポール先生ならBS2に入っているかもしれない。思い切って聞いてみようか。

終了のチャイムと同時に慌ただしくなる教室を出て、僕は職員室に戻ろうとしていたポール先生を廊下で呼び止めた。

「先生! 先ほどはすみません。あの、ちょっと聞きたいことがあるんですが」

「何かワカラナ〜イ問題あった?」

僕が少しだけモジモジしていると、ポール先生が「Say Say Say」と言った。

「あの、BS2って入ってますか?」

「………」

ポール先生は一瞬答えに窮した顔をして「BS2ってNHK?」とすぐに言葉の意味を理解した。

「オフコース、入ってイルヨ。Why?」

「実はどうしても観たいのがあって。マイケル・ジャクソンの…、あ! いや、あの、きっと僕の英語にも役立つと思うので!」

ポール先生はしばらく黙って話を聞いていると、突然ニヤッとして「No Problem!」と英語で言った。僕は咄嗟になんて答えてよいのか分からず、小さな声で「いえー」と言った。

* * * * * * * 

それから一週間後、今まさに僕の手元にその録画してもらったマイケルのビデオテープがある。これが他の科目の先生だったらこうはうまくいかなかっただろう。ノリのいい外国人教師のポール先生だったからこそ、こんな要望にも気軽に応えてくれたのだ。

ただ、惜しむらくは家にあった母のお古のビデオテープが120分しかなかったために、放映時間が130分もあった番組を泣く泣く三倍モードで録画する羽目になったことだ。画質は少々落ちるが、仕方がない。ビデオデッキにテープをセットし、気がつくと僕はテレビの前で一人正座していた。

1992年10月1日にルーマニアのブカレストで行われたマイケルの4枚目のアルバム『デンジャラス』のワールドツアー。僕は生まれて初めてマイケルのショーを最初から最後まで観た。いや、全身の毛穴から吸い込んだと言った方が正しい。

まず度肝を抜かれたのはオープニングである。ステージ下からジャンプして登場すると、なんとマイケルは2分弱もの間、微動だにしないのだ。それからさらに首だけ振って7秒。さらに11秒もかけてゆっくりとティアドロップ型のサングラスを外し、それを放り投げ、ターンを決めると、鏡が割れたようなクラッシュ音が鳴り響いて、ようやく1曲目の『ジャム』が始まる。

この“間”と演出がたまらない。

観客は待ちに待ったマイケルの登場だけですでに狂喜乱舞しているのに、あまりにも動かないマイケルを見て一瞬幻なのではないかと錯覚する。でも次の瞬間、首だけ振り向くからやはり本物だと安心してまたさらに熱狂する。そしてサングラスを外すと、キングの顔を認めた約7万人のファンがもはや興奮を抑えきれなくなり、開始早々バタバタと失神者を出して会場が興奮の坩堝と化す。その最高潮のタイミングでマイケルがようやく激しく動き出すのだ。

ド派手な演出とスタジアムを包み込むような圧倒的なスケール感。

『スタート・サムシング』、『スムーズ・クリミナル』、『ビリー・ジーン』、『スリラー』そして僕がたった15秒の予告編で鷲掴みにされた『今夜はビート・イット』。ダンサンブルな曲調から『ヒューマン・ネイチャー』や『あの娘が消えた』、『アイル・ビー・ゼア』、『ヒール・ザ・ワールド』のような愛の溢れたバラード調まで。

1曲目から怒濤の勢いでこれでもかとキレキレのスゴ技を繰り出し、バックダンサーたちとピタリと息のあった動きを見せ、衣装を何度もチェンジし、人を楽しませることを徹底してやっている。それはもはや音楽だけに留まらず、ミュージカルとマジックとメッセージと夢が詰まった総合エンターテイメントだ。そのステージを司る彼は人間か、はたまた神なのか。僕はリビングの電気をつけることも忘れて何度もリピートして、ときにはスローモーションにして魅入っていた。

「この世界に、こんなすごい人が存在したのか…」

次第に自分の中でゾワッとする何かが芽生えているのを感じた。

その何かというのは実体がなくてうまく説明することができない。体内の血液が激しく循環して熱くなり、それでもまだ足りず、身体が貧乏揺すりのように小刻みに動いてしまう。

ステージに立っている間、彼は一体どんな気持ちなのだろう。

どんな景色が見えているのだろう。

今すぐ動きたい。

叫びたい。

「体験してみたい」

僕は思わずそうこぼしていた。

電気がパッとつく。

「何やってんのよ、こんな暗い所で」

姉の舞子が回転寿司のバイトから帰ってきた。

外が暗くなっているのも気がつかなかった。僕は慌ててビデオを止めた。その動作があまりにも必死だったので、もしかしたらエッチなビデオを観ていたと思われたかもしれない。明らかに怪しすぎる動きだった。

「あんたさ…」

「み、観てないよ!!」

思わずいつもより大きな声を出してしまった。だが、姉が不思議そうな顔をしてこちらを見ているので、どうやら僕の勘違いだったようだ。

「い、いや、何?」

「あんたさ、暇ならバイトやらない?」

「え?」

「毎日やることないんでしょ。私、もう今月で辞めようと思っているの、バイト。どうせなら自分の弟を紹介しようと思って。その方が辞めやすいし」

姉は3年ほど前から駅前の架空の生き物の名前がついている有名な寿司屋のチェーン店で働いている。確か勤勉さを買われてバイトリーダーまでなっていた。そうなると責任も大きくなって辞めにくいのだろう。3年は一区切りするにはちょうどいい長さだ。

回転寿司か。さっきまでマイケルのライブを観ていたせいか、自分がクルクルと回る寿司の上でムーンウォークをしている姿が思い浮かんだ。

あの上で踊ったらさぞかし気持ちいいんだろうな。

バイトを始めたらマイケルで言うところの『ワーキング・デイ・アンド・ナイト』になるのかな。

曲のタイトルを一つ覚えたことで本当に英語力が上がりそうだ。

ポール先生、ありがとう。

「ねぇ! 聞いてる!?」

姉のよく通る声でまたしても現実に引き戻された。

「き、聞いてるよ!」

「すぐボーッとして何か違うことを考えてるんだから!」

「違うよ! できるかなって考えてただけだよ…」

「大丈夫、大丈夫。全然キツくないから。ただ回るお皿にお寿司を乗せるだけ。誰でもできる」

バイト代でマイケルの他の作品が買えるかもしれない。あまり気乗りしなかったが、僕は姉の跡を引き継いで駅前の寿司屋でバイトしてみようと思った。

「やってもいいんだけどさ。でも僕、別に暇じゃないからね!」

「なに言ってんのよ。いつも学校から帰ってきて部屋に閉じこもったまま何もしてないじゃない」

姉はそう言うと、鼻で笑った。

「いや、これからは違う。僕にはやることがあるんだ」

(第4話へ続く)

加藤由盛

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