【F1第15戦日本GP終了!】モータースポーツを書き続けて14年のライターが見た観戦レポート
関西ウォーカー
初開催から25年。文化として根づいてきたF1日本GP
開幕戦バーレーンGPが政情不安のためにキャンセルとなり、全19戦で戦われることになった、2011年F1シリーズ。オーストラリアで開幕し、アメリカ、ヨーロッパを巡り、そして三重県・鈴鹿サーキットにやってきた。
1987年の初開催以来、今年で25年目。そして23回目となる鈴鹿サーキットでの日本GP。日本のファンの多くが注目したのは、唯一の日本人ドライバー小林可夢偉(ザウバー)だろうが、世界が視線を寄せたのは恐らく、セバスチャン・ベッテル(レッドブル)だ。
2年連続のタイトルまで、あと1ポイント。それさえ取れば、ほかの誰がレースに優勝しようが関係なく、ベッテルの史上最年少連覇が決まる。そしてベッテルは今シーズン、ただの1度もノーポイントレースがない。誰もが今年のチャンピオンシップは鈴鹿で決まるものと思いながら、レース当日を迎えた。
土曜日に行われた公式予選で、ポールポジションを獲得したベッテル。スタートこそ、マクラーレンのジェンソン・バトンに詰め寄られるが、なんとか1コーナーをトップのままで通過。その後は徐々に後続を引き離していく。と、ここまでは今シーズン、何度も目にしてきた展開。ところが、レースはこのあと意外な方向に転がっていく。
今年F1にタイヤを供給しているのは、昨年までのブリヂストンから変わったピレリだ。鈴鹿サーキットでF1を走らせるのは、彼らにとって久しぶりのこと。コースとタイヤの相性は……そのデータがない。そしてF1は、レース中に柔らかさの異なる2種類のタイヤを使わなければならない。だからドライバーたちは、タイヤを交換するためにレース中、ピットへ向かう。そのタイミングが、レース結果に影響を及ぼすことがあるのだが、まさにそのことが、今回のベッテルに起きた。
トップを快走していたベッテルが2度目のピットストップに向かったのは、19周目。その間、コースに留まっていた2番手走行のバトンがペースを上げて周回し、20周目にピットへ。なんとかポジションをキープしようと懸命にコースを走るベッテルだったが、交換したばかりのタイヤではペースが上がらない。すると素早くピット作業を終えたバトンが、ベッテルの前でコースに復帰。一気にレースのトップに躍り出るのだった。
その後、フェラーリのフェルナンド・アロンソにもかわされ、3位に後退してしまったベッテル。「優勝してタイトルを決めたい」。そう公言していたこともあり、なんとかポジションを取り戻そうとするが、結局3位のままでチェッカーフラッグ。表彰台の一角をなんとか確保し、そして2011年シーズンのチャンピオンに輝いた。
テレビでF1中継をご覧になっていたみなさんが目にしたのは、ここまでのシーンだろう。しかし鈴鹿ではその後、こんなシーンが続いていた。
レースが終わると、勝者は国際映像のためのインタビューを受ける。そのあと共同記者会見。そしてパドックに下りてきて、各国から集まったメディアのためのインタビュー。それらが終わり、ようやくドライバーは解放される。
さすがに今回の日本GPのレース終了後、ベッテルへのインタビューは長かった。チェッカーが振られたのが、16時30分すぎ。それから約1時間30分。ようやくパドックでのインタビューを終えたベッテルが向かったのは、チームスタッフが待つガレージだ。会見場から最終コーナー寄りにある車検場を抜け、ピットロードへ出たベッテル。そこから1コーナー寄りにある、レッドブルのガレージに向かう。するとそこに、チームスタッフのほかにもチャンピオンが戻ってくるのを待つ人たちがいた。グランドスタンドに残る、多くのファンだ。レース終了から、すでに2時間近くが経とうとしている。それでも彼らはベッテルを祝福するために、そこで待っていた。
やっと戻ってきた王者を包む、大歓声。もちろん、それに応えないベッテルではなかった。スタンドに向かい、何度も手を振り、笑顔でファンに挨拶を送る。祝福したい気持ちと、それに応える気持ち。想いの交換が、ドライバーとファンの間で自然に交わされている。そんなシーンを見て、F1というヨーロッパで生まれたスポーツ文化が、25年という歳月をかけて日本に根づいてきていることを実感する。
そう思えるほどに、ベッテルと鈴鹿のファンが見せてくれたシーンは美しいものだった。
【IGNITION/長嶋浩巳】
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