身近な人の死は自分の生き方を見つめ直す機会。「どんな人でも仏に成れる」/ヤンキーと住職【作者に聞いた】


「どんな人でも仏に成れる」と言うが、普段から自分の生き方について考えることはなかなかないだろう。だが、「悲しみの場」こそが人生について見つめ直し、さらに仏教の教えに触れる場所であり、これは亡き人が導いてくれているとの考え方も。

「私たちは普段、自分がどういう存在であるか知ったつもりで、自己中心的に生きています。私自身そうです。しかし時に僧侶として、重い病にかかった人の相談に乗ることや、誰かの死に出会うことがあります。そして目の前で苦しむ人の言葉、厳粛な命の事実に耳を傾け、絶句するしかできない場面も。そうした時に浮かれている私の生き様に対して、『それでいいのか?』と問われます。

自分の生き方について今一度問い直す機会が、『身近な人の死』ではないでしょうか。またそれを『ご縁』に、仏の教えや言葉を聞く・尋ねるということも起こります。だから、亡き人を通して自分自身の事実に気づく時、そこに『諸仏』が存在するのです。

仏教では、前に存在した仏に導かれて仏に成った人を『諸仏』と捉えます。中国の曇鸞(どんらん)という高僧が書いた『略論安楽浄土義』という書物の中に、『前仏によりて、後の仏まします』という言葉があります。意訳すると、『それぞれの諸仏は、前に存在した仏に導かれて仏になった人である』ということです。自分一人で仏に成ったのはお釈迦様だけ。だけど仏教の歴史の中で、大切なことに目覚めていった人たちがいる。その人たちは皆、他者の言葉や、導き・生き様に触れて、仏になったのです。

また浄土真宗を開いた親鸞という方は、『教行信証』という書物の中で次のように言っています。『前に生まれた者は後を導き、後に生まれたひとは前を訪ねなさい』。仏教の歴史は諸仏の歴史。そして私たちは、仏となる尊い命を頂いているのだと説かれているのです。

浄土真宗では浄土という仏の世界に往生し、仏となった者が菩薩の姿を取って私たちを教化してくれているとの考え方があります。この観点から、亡き人を諸仏・諸菩薩と捉えることもできますね。なにも幽霊のように行ったり来たりするのではなく、教えの中で私たちを教え導く亡き人と出会い直すということではないでしょうか。

なお、あくまでこれは私なりの教えの頂きです。基本線は押さえているつもりですが、間違って自分勝手に捉えている部分もあると思いますし、常に頂き直していかなければならないと考えています。私としての一番の願いは、『ヤンキーと住職』をきっかけに読者が自分自身でお釈迦様の書いたものや、仏教の伝統の中に生きた僧侶の言葉に直接触れて、深く考えてもらうことです。仏教の言葉は、自分の人生や悩みのうえで聞いていくべきだと思うんです。そういうことが本当に大切だと思っています。

ただ、学びをさらに深めていっていただければと思うのですが、中には注意しなければいけない団体や情報もたくさん紛れ込んでいますので、注意する必要があります。その団体や、情報を発信している人が信頼できるのか、正体を隠して布教していたり、問題性が指摘している団体ではないかなどよく調べてみることが大切です。

もし、何から学んでいいのか分からない、今接している情報やグループが健全なものなのか判断がつかない時は、信頼できる寺院の僧侶・宗教者や伝統宗派本山などの職員に尋ねるということも選択肢の一つとして持っていてほしいです」

生きることについて考えを深めてくれる仏教。しかし、いきなり書物を手にするのはなかなか難しいので、まずは漫画で考えを深めてみては。

なお2023年2月2日(木)発売の書籍「ヤンキーと住職」には他にもさまざまなエピソードが収録されているので、興味がある人はぜひ手にとってみてほしい。より良く生きるためのヒントが、見つかるかもしれない。

取材・文=石川知京

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