元広島投手の小林さんが語る、プロで生き残るために必要だった「あの一球」

東京ウォーカー(全国版)

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チャンネル登録49万人を超える野球ファン御用達のYoutubeチャンネル「トクサンTV」でおなじみのアニキとトクサン(今回はトクサンの相方のライパチが参戦)が、元プロ野球選手の経営するお店を訪問して本人に直撃インタビュー!現役時代に話せなかったアノ話や、自慢のおすすめメニューを徹底的にしゃぶり尽くす!

ディープな野球談義と、“野球目線”でのユニークな食レポは、ほかでは聞けない!

第2回は、東京・代官山の「2-3Cafe」のオーナー、小林敦司(元広島-千葉ロッテ)さんが登場。自慢のケーキとランチをアニキとライパチが初体験!<前編、後編にわけてお届け!今回は前編>

【写真を見る】清原への死球について「本当に申し訳なくて…」と語る小林敦司さん/トクサンTV連載


■小林敦司(こばやし あつし)/1972年東京都生まれ。拓大紅陵高からドラフト5位で広島入団。1999年には自己最多の30試合に登板し、防御率2.20と活躍。ロッテに移籍後2001年に現役引退。その後は複数の飲食店で修業を積み、2011年にカフェオーナーとして独立した。

プロ野球選手になれるなんて、全然思ってなかった


左から、元広島の小林敦司さん、トクサンTVのライパチ、アニキ/トクサンTV連載


アニキ「小林さん、引退からだいぶ経っているのに、いいガタイをされていますね。やはり、鍛えていらっしゃるんですか?」

小林「鍛えていませんよ。毎日ひたすらケーキを作ってるだけです」

アニキ「本当ですか? じゃあ、これは"ケーキ筋"だったのか(笑)」

小林「筋肉はすっかり衰えました。47歳のただの中年男です(笑)」

ライパチ「47歳? お若く見えますねぇ。ところで、現役時代に巨人の落合(博満)さんを打ち取った動画を見ましたよ。外角低めにズバッと決めてましたね」

小林「…あの頃はよかったですねぇ(笑)。まだ若かったし。でもね、もともと僕はプロに入れるなんて全然思ってなかったんです」

ライパチ「でも、母校の拓大紅陵からは、当時毎年のようにプロ選手を輩出してたはず…」

小林「僕はエースじゃなく、3年の時も実質3番手。1年上のエースが県内ナンバーワンと言われ、横浜にドラフト6位で指名されたんですが、僕から見たら雲の上の人。それでも6位なんだから、自分なんかお呼びじゃないって…」

アニキ「しかし、実際はプロになられてます。指名される予感はありました?」

小林「社会人の内定はもらっていて、一応ドラフト待ちでしたが、半信半疑でした。指名された時は、チームメートが仰天してましたよ。誰も僕がプロに行くなんて思ってなかったから」

アニキ「やはり光るものがあったのでしょう。スカウトの方にどこを評価してくれたのか、聞きました?」

小林「…いや、聞いてません。だから、なぜプロに入れたのか、いまだにわからない(笑)。これは推測ですけど、拓大紅陵は一応名の知れたチームで、強豪校との練習試合が多かった。強い相手をたまたま僕が抑えたところを見たスカウトが、その印象で評価してくれたんじゃないかな。何しろ公式戦では、あまり投げてなかったから(笑)」

ライパチ「プロに入る人は、子供のころから"お山の大将"だったと思っていました…。小林さんは違うんですね」

アニキ「普通は高校時代に無双してた大エースが、こぞってプロに入ってくる…」

小林「普通はそうですよ。でも僕は板橋シニアにいたころも遊びに夢中で、サボってばかりでしたから(笑)」

ライパチ「そんな小林さんが、実際にプロに入ってどうでした?」

小林「…それはまあ、大変でしたよ。当然ながらレベルが段違い。最近は高卒1年目で一軍という選手もいるのが、信じられない。今の高校野球はレベルが高いです。150㎞超えも珍しくないから」

アニキ「昔はプロに入って10㎞速くなるイメージでしたけど、今は高校時代にある程度は球速出てますもんね。コントロールやキレは、プロに入ってから磨くと思うけど。体だって、昔の球児は今より細かったですね」

小林「とにかく、僕にとってプロはもう完全に別世界で、まともにストライクも入らなかった…。でも、3年目にサイドスローにして感覚がよくなり、どうにか投げられるようになったんです。巨人の斎藤雅樹さんをお手本にして、スライダーでストライクが取れるようになった。スリークォーターより少し下げた程度でしたけど、それでも随分感覚が違いました」

アニキ「球種は真っ直ぐとスライダー?」

小林「ほぼ、それだけ(笑)。シンカーも一応投げたけど、落ちなくて…」

ライパチ「例の動画で落合さんを仕留めたアウトコースは見事でした」

小林「あれを見るとすごいコントロールみたいだけど、あの時だけなんですよ(笑)。膝の靱帯を断裂して以降はスピードも落ちちゃって…。練習中のケガで手術して、リハビリに1年半ほどかかりました。今なら育成に降格されるところですが、当時はまだ制度がなく、ずっと支配下登録。復帰してからは以前のフォームで投げられなくなり、さらに腕を下げたんです。以降は、もうごまかしのピッチングでしたね」

アニキ「でも、復帰後の1999年には自己最多の登板数を記録されてますよね」

小林「右打者へのワンポイントで登板することが多かったから。でも、球種も少ないし、ボールも速くないから大変でしたよ。今はマウンドが堅くなったでしょ。当時は柔らかくて、先発投手が投げて掘れた穴に合わせて投げるしかなかった。今の投手は、プレートの幅をうまく使って投げ分けてるけど、僕らはそれができなかったんです」

アニキ「マウンドが堅いと踏ん張りが利く。球速も昔より出やすくなっていると思いますね」

ライパチ「小林さんが今現役だったら、もっと球速が出たのでは?」

小林「そうかもしれませんが…。それに、ヤクルトの石川(雅規)クンとか見ていると、プレートの幅を使い分けてうまいピッチングをしてる。僕もあういう投球をしてみたかった(笑)。今のマウンドのほうが絶対投げやすいですよ」

アニキ「僕も甲子園やマツダスタジアムで投げさせてもらったけど、本当に投げやすいし、球も速くなるんです。あれ、勘違いしてしまうよな(笑)」

ライパチ「普段の試合は、河川敷とか平地で投げてるようなもんですから(笑)」

アニキ「しかもマウンド掘れるしな…。気づくとバッターのほうが高いところにいたり…(笑)。まあ、オレらの話はさておき、小林さんの現役当時で、特にやられたというバッターは誰です?」

小林「…横浜の鈴木尚典と巨人の高橋由伸かな。本当によく打たれた。彼らには何を投げても打たれたという印象です」

ライパチ「サイドハンドだと左には苦しいですよね。でも、その分右打者は結構抑えたのでは?」

小林「落合さんには打たれてないかな。でも、松井(秀喜)にも打たれてないんですよ。もっとも2打席くらいしか当たってないけど(笑)」

アニキ「あまり対戦がなかったのか…(笑)。でも当時最強の左打者を抑えたんですね」

球速のない投手が打者を打ち取るための秘策


元広島・小林敦司さんの筋肉に驚くアニキとライパチ/トクサンTV連載


ライパチ「あと、清原(和博)さんへの死球でも話題になりましたね。ものすごい形相でマウンドへ向かってきて…」

小林「…あれは頭にぶつけてしまい、本当に申し訳なくて…。でも、あの場面をテレビで取り上げてもらったから、こんな僕でも野球ファンの記憶に残してもらえてるのかな。あれがなければ、今、こうしてウォーカーさんの取材を受けてなかったかも…(笑)」

アニキ「そんなことないでしょ。サイドハンドで強打者を相手にするには、内角を突かないわけにはいかないですよね」

小林「球速もコントロールもない僕が抑えるには、普通に投げていたんじゃダメ。だから、リリーフで出て行くと、投球練習の最後の球は、わざと内角の抜け球を投げていたんです」

ライパチ「わざと暴投気味に投げたのですか?」

アニキ「…なるほど。打者はその球を絶対に見るから、打席に入って残像がある。『ぶつけられるかも』と、つい腰が引けますもんね」

小林「初球ストライクが欲しいから、見せ球を投げる余裕がない。だから、投球練習の最後にそれを見せておく。で、初球に外角へスライダーを投げると、だいたい見逃してくれました」

ライパチ「すごいな。頭脳的というか、投球練習でもう勝負が始まってるわけですね」

小林「そうしないと、僕みたいな投手はプロで生きていけなかった。ワンポイントは1人1殺の勝負。そう考えると1球1球が重いんです」

アニキ「ホントに1球の重みがあります。凄みのあるお話です…」

小林「でも、わざと抜け球を投げるとその感覚が変に残り、本当に暴投しちゃうこともありました(笑)。いきなりデッドボールとか…」

アニキ「ワンポイントで初球ぶつけたらまずい…(笑)」

小林「だから、走者がいる時は必ず牽制球を投げるんです。それでいったん感覚を戻してから、打者に向かうようにしました」

ライパチ「牽制にそんな意味があったとは…。すべて、プロで生き残るための術だったんですね」

壊れてもいいという覚悟でマウンドに行っていた


小林「もう、投げたくて必死でしたから。アクシデントで降板する投手がいたら、ブルペンは緊急事態。そんな時は『僕、行けます!』とアピールしました。もちろん、肩はできてないけど、『壊れてもいい』という覚悟でマウンドに行ってましたね。僕は二軍との当落線上にいるんだから。やっぱり、一度でも一軍の試合で投げると、『一軍のマウンドはいいなぁ。ここでずっと投げたい』って思うんです。だから生き残るために必死で考え、わざと抜け球を投げる作戦にたどり着いたんです」

アニキ「…すごい覚悟です。でも、抜け球を見せてスライダーで打ち取るという話は目からウロコですね。オレも、今度マネしてやってみようか」

ライパチ「バッターは絶対に踏み込めないです。小林さん直伝ということで、ぜひやってみてください(笑)」

小林「そうやって、なんとか頑張りましたが、2000年に広島をクビになり、テストを受けてロッテに行ったんです。オープン戦で好投して一軍で開幕を迎えたけど、それも4月までで、段々ボロが出てきて…(笑)、その後は二軍暮らし。当時のパ・リーグは、先発が長いイニングを投げていて、中継ぎの出番も少なかったんです。ただ、広島の時より練習は辛く感じませんでした。バントや走塁のメニューもなかったし」

ライパチ「パ・リーグはDH制で、当時は交流戦もなく、打撃練習は必要なかったんですね」

アニキ「当時のパ・リーグは、今ほど人気がなかったですかね?」

小林「今のロッテの応援はすごいけど、当時はガラガラでしたね。広島市民球場だって、巨人戦以外はお客さんは少なかった…。結局、ロッテでは1年限りで戦力外でした。マリンスタジアムの強風に対応するのも難しくて…。変化球が曲がり過ぎて制球しにくいんです」

アニキ「変に曲がり過ぎると投げにくいですよね」

小林「ローリングス製のボールも合わなくてね。市民球場の那須製や東京ドームのミズノ製は投げやすかったけど、ローリングス製はツルツルして指にかかりにくいんです」

アニキ「ミズノ製はしっとりして投げやすいですよね。でも、当時は球場ごとにバラバラですか?」

小林「ロッテなんて、日替わりで変えてましたよ。僕は手が小さいので、相性の悪いボールだと本当に投げにくかった。ミズノが投げやすいとみんな言っていて、結局、ミズノ製に統一されましたからね。でも、結局は僕の力が足りなかったんです」

ライパチ「…そして2001年に現役を引退されたわけですね。では、小林さんの第二の人生については、パート2でじっくり聞かせていただきます」

元広島・小林敦司さんのお店「2-3Cafe」/トクサンTV連載


■2-3Cafe(ツースリーカフェ)

オシャレな若者が集う代官山にあり、自家製ベイクドチーズケーキが名物。フードにも定評があり、生パスタやトマト鍋(通称、カープ鍋)などで、女性客を中心に人気を集めている。

カープのグッズも並ぶ、元広島・小林敦司さんのお店「2-3Cafe」/トクサンTV連載


■2-3Cafe(ツースリーカフェ)/住所:東京都渋谷区猿楽町24-1 ROOB 2 1F 電話:03-3464-8023 営業時間:11:45~20:00(ランチ11:45〜16:00) ※16:00以降は要予約 休み:不定 席数:17席<禁煙> アクセス:東急東横線代官山駅徒歩3分

■トクサンTV/チャンネル登録者数49万人、再生回数3億回超を誇る驚異的人気のYouTubeの野球チャンネル。トクサン、ライパチ、アニキの3人が、野球がうまくなる練習法をはじめ、元プロ野球選手との対戦や野球グッズレビュー、自身が所属する草野球チームの試合などを配信。https://www.youtube.com/channel/UCfkM3u-0uSKADDitZLpXcfA

トクサンTVではトクサンの相方的存在として動画を盛り上げるライパチ/トクサンTV連載


■ライパチ/1987年新潟県出身。「トクサンTV」の前身「ライパチボーイTV」の主役。「トクサンTV」では相方的存在として動画を盛り上げる。程よい筋肉と多すぎる脂肪の体格を持ち「天晴」の選手としても急成長中

元広島・小林敦司さんの投球術に感激するアニキ/トクサンTV連載


■アニキ(平山勝雄)/1978年大阪府出身。神戸大のエースとして活躍。テレビマンとして数多くの番組を手がける傍ら、トクサンTVを立ち上げ。トクサンも所属する草野球チーム「天晴」のエースを務める

渡辺敏樹

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