「大丸神戸店の灯は消さない」当時の新聞広告で見る震災から1995年4月8日の“再会”までの記録

2019年12月6日 12:47更新

関西ウォーカー

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阪神・淡路大震災を振り返る関西ウォーカーの震災特集。25年前、神戸の旧居留地で大きく損壊した大丸神戸店は、震災から約1週間後、当時の社長の「大丸神戸店の灯は消さない」という号令を合図に再開へ動きだす。同時に、市民からの励ましへのお礼、そして再開への決意を新聞広告に託し、まちへ届けた。<※情報は関西ウォーカー(2019年26号)より>

「お電話やお手紙を、ありがとうございました。」1995年3月中旬に1回目の新聞広告を掲出/大丸神戸店


ほとんどのスタッフの意見が一致し、励ましてくれた市民へ感謝する、このメッセージに。

「やっぱり、神戸が好き。」1995年2回目の新聞広告/大丸神戸店


「売場が、小さくなります。」1995年3回目の新聞広告/大丸神戸店


「4月8日(土)、お会いできます。」1995年4回目の新聞広告/大丸神戸店


1回目から仮オープン告知まで、1か月以内に4度の広告を掲出すると同時に、まだ休業中の周辺施設へ「復興をお祈り申し上げます」というDMも送った。ここで紹介している広告は2008年当時の編集部員の母親が大切に保管している実物。

市民からの励ましを受け再開への意思を届けた「新聞広告」


壊滅状態だった旧居留地。大丸神戸店が建物の3分の1で再オープンしたのは、まちが復興へと向かい始めた4月8日。その間同店へは多くの手紙や電話で励ましの声が届けられていた。「おめでとうございます、よかったですね、という声を再オープン時にたくさんいただき、本当に愛されていると実感しました。うれしさのあまり、涙が止まらなかった」と当時新聞広告を担当した松本 博さん(故人)は語る。4回にわたる広告のメッセージは、それほど迷わずに決まった(神戸ウォーカー2008年1月号より)。スタッフのまちへの思いがひとつになっていたあかしだろう。

【写真を見る】震災当日。どのフロアも商品が散乱、場所によっては床がたわみ、鉄骨がむき出しに/大丸神戸店


震災では東側が特に大きく損壊。周辺施設の「BLOCK30」一画に対策本部を設置した/大丸神戸店


「仮でもいいから早くするのではなく、ちゃんとしたお店にしようと誰もが考えていました」とは、装飾担当として仮オープンからグランドオープンに携わった東 裕幸さん。待望の再オープン日、建物前には約2500人が列を成した。

当時1階の売場担当だった柊 和秀さんも「面積が3分の1なので売上もその程度との予測を覆し、大盛況でした。そこまでお客様が待ち望んでおられたのかと思い、感無量でした」と言う。避難所から出勤する人、稼働している最寄り駅から自転車で通勤する人…。スタッフのほとんどがそんな状況のなかでも、売場づくり、商品集めに誰も妥協しなかった結果だ。やがて、完全復活の日程が決まる。

4月8日の仮オープン。「震災後初めて化粧をして出かけた」という人もいた/大丸神戸店


グランドオープンへ向け、1996年1月から復興工事開始。“21世紀へ通じる店”を目指した/大丸神戸店


「再オープンの営業後にグランドオープンの準備。寝食を惜しんで、新しい暮らしの提案を誰もが模索していました」と柊さん。全関係者が“新しい大丸神戸店になる”という目標を掲げて進んでいたのだ。東さんによると、店舗の設計も「旧居留地との調和やディテールの時代考証まで、コンセプトマップを何度も練り直した」そう。こうして1997年3月2日にグランドオープンを迎えるのだが、現在にいたるその姿は柊さんいわく「こだわって創り上げた日本一の美しさだと思いますし、当時、神戸のひとつの力になれたのではないでしょうか」

仮オープンから10か月後、1996年7月3日の大丸神戸店西側玄関/大丸神戸店


現在の大丸神戸店の姿/大丸神戸店


再開は昔の姿に戻ることではない。これからも変わり続ける神戸。そのなかで大丸神戸店は「旧居留地を盛り上げる中心でありたい」(両氏)。それはつまり、これからも神戸の希望の灯であり続けるという、強い決意でもある。

編集部

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