お笑い芸人から教師、そして経営者へ。コーチングのプロフェッショナル「ドラゴン先生」坂田聖一郎に聞く、物事を成功に導く条件とは?
東京ウォーカー(全国版)
仕事や勉強で成長・成功するためには、常に学び、前に進み続けることが大事だ。しかし、キャリアの方向性や自分のしたいこと、そして自分の人生の将来を考えていくなかで、何をどのように行動すればいいか、わからなくなってしまう人も多いのではないだろうか。
そのような悩める人たちをコーチングし、成功に導いているのが、ドラゴン先生の愛称で親しまれ、YouTube番組『令和の虎』にも出演している坂田聖一郎さんだ。坂田さんは現在、YouTubeやX(旧Twitter)、TikTokなどのSNSを駆使して経営者や現役教員へのアドバイスや、起業塾やマーケティング、コーチング、コミュニケーションなどの分野で起業家のサポートを行っている。
そんな坂田さんだが、教育大学卒業後にお笑い芸人を目指して挫折、その後に13年間公立小中学校の教員を経験し、起業家として経営者となったという波瀾万丈な経歴の持ち主だ。今回は坂田さんに、お笑い芸人を目指したきっかけや、経営者としてのキャリアを開いた理由、そして物事を成功させるための条件について、インタビューを行った。

お笑い芸人を目指して上京し、挫折した青年時代
――坂田さんは愛知教育大学に進学され、その後は吉本興業の芸人養成所「NSC東京」に入学し、お笑い芸人を目指されたとお聞きしています。どのような経緯でお笑いを志すことになったのでしょうか?
【坂田聖一郎】もともとお笑いが好きで、ダウンタウンさんに憧れていました。それと、地元から出たことがなかったので、東京に行ってみたいなという気持ちもありました。小中高、そして大学も家から車で20分圏内にあったので、卒業後にそのまま先生になるのもなんかつまんないなと思って。
【坂田聖一郎】当時、「やっぱりお笑いをやりたいな」というのが心にあったんですよね。そのころにコンビを組んでいた友人と一緒に東京に出るつもりだったのですが、解散して行けなくなってしまいました。ですが、東京への憧れが捨てきれず、24歳で上京しました。

――最初の東京はいかがでしたか?
【坂田聖一郎】上京したてのころは、最悪の思いばかりしていましたね。当初は自分のことをおもしろいと思っていたのですが、おもしろい人なんて無限にいるという状況でした。僕の当時の同期はハリセンボンや、僕がコンビを組んでいたしずるの村上純、そのほかにもおもしろい人がたくさんいたんですよね。そこで人生初の挫折を経験しました。
――なぜ村上さんとコンビを解散されたのでしょうか?
【坂田聖一郎】経緯としては、今村上がコンビを組んでいるKAƵMA(池田一真)さんが、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんと組んでいたんですね。そっちが先に解散して、村上も池田と組みたいなって思っていたみたいで、僕がフラれてしまいました(笑)。
――そうだったのですね。コンビを解散したあとはどのような道に進まれたのですか?
【坂田聖一郎】結局3年間くらいずるずると東京にいたのですが、「このままではどうしようもないな」と思い、出身大学が教育大学だったこともあって、とりあえず教員を目指すことにしました。ですが、大学生のころは「お笑いで食っていく!」とロクに勉強もしていなかったものですから、大学時代の先生に勧められて同大学の大学院に進んで勉強をやり直すことにしました。
【坂田聖一郎】その後、大学院を修了してからは小学校、中学校の先生として働くことになりました。正規教員で11年、そして正規を辞めたあとは非常勤で1年。それと大学院時代に定時制高校の非常勤講師もしていたので、合計で13年ほど教師をしていましたね。
――当時、坂田さんはどのような先生だったのでしょうか?
【坂田聖一郎】僕はめちゃくちゃ真面目で生徒指導をバチバチにやっていたので、怖い先生っていう感じだったと思います。ルールを守らせる、宿題をやってこないのはめちゃくちゃ叱るなどしていました。そういう厳しい先生像を求められていたので、徹底的に行っていましたね。また、土日も部活に専念していたので、妻や娘には迷惑をかけたなと思っています。

学校教員から経営者に転身したきっかけ
――40歳で教育現場を離れ、経営者として独立されたと聞きましたが、どのような経緯で教員から経営に転身されたのでしょうか?
【坂田聖一郎】教員としての最後の年、11年目に中学3年生の学年主任を任されました。当時は担任として自由にやらせてもらったんですけど、主任となると先生たちを束ねていくというリーダーシップが必要になってしまいました。また同年に進路指導担当も任されたのですが、どちらも初めての仕事だったので、勉強をしないと1年持たないぞ、と思いました。
【坂田聖一郎】勉強しているなかでたくさんの本を読んだり、YouTubeを見ていたりしたら、YouTuberで講演家の鴨頭嘉人さんの動画に出合いました。そこで鴨頭さんのお話を聞いていたらめちゃめちゃ感動してしまって。「この人から学ぼう」と思って、「話し方の学校」というスクールに参加するようになりました。これがそもそもの独立のきっかけになりますね。
――鴨頭さんのどのようなところに魅力を感じられましたか?
【坂田聖一郎】鴨頭さんはマクドナルドで店長をされていたのですが、そのなかでのスタッフ教育の話がすごく刺さったのです。「一人ひとりのよさを認めていこうね」というリーダーの在り方を聞いて、「俺、これまで全然生徒たちに寄り添ってなかったな」と痛感し、生徒のよさを引き出せきれてなかったことへの悔しさを感じて、すごく反省しましたね。

【坂田聖一郎】そこで退職を決意して、2020年3月に正規教員を退職し、その後1年間小学校で講師として担任をしながら鴨頭さんのもとで学び、鴨頭さんの講演会の主催などもしていました。そのころに、鴨頭さんに「速読スクールを一緒にやらないか?」と声をかけていただき、始めることにしました。
――速読スクールを始められて、ユーザーの反応などはいかがでしたか?
【坂田聖一郎】2020年4月に、「楽読(速読)豊田鴨頭スクール」を始めたのですが、コロナ禍の影響で初月は全然反応がなくて。緊急事態宣言下だったこともあり、Zoomでの体験会も行ったのですがまったく人が来ないという状況でした。「これはまずいぞ」と思って、SNSで頑張って集客し、350万以上売り上げることに成功しました。その後、自分の学んだことを発信するために、2020年7月に「株式会社ドラゴン教育革命」を設立しました。
――現在、株式会社ドラゴン教育革命ではどのような事業を主にされているのでしょうか?
【坂田聖一郎】弊社では「生きる力は稼ぐ力!」という言葉を掲げ、コミュニケーションやコーチング、マーケティングの講習、起業塾の開催などを行い、多くの起業家をサポートしています。内容としては、実際にコーチングを教えるというよりは、何か個人で稼ぐ力っていうものを身につけてほしいっていうのが僕の願いなんですよね。
【坂田聖一郎】会社員や公務員だと、月に一度安定した給料が入ってきます。ですが、それとトレードオフでやりたくない仕事もしなくてはいけない。本当はしたくないのに、辞めたいのに、先生や会社員をやっている。個人で稼ぐ力がないから結局やらざるを得ない。そのような方たちに向けて「個人で稼ぐ力」を伝える仕事をしています。そのひとつのツールとしてのコーチングというイメージですね。
――個人で稼ぐのってすごく大変なことですものね。坂田さんならではのSNS運用のコツはありますか?
【坂田聖一郎】SNSはみんなが見ている媒体だから、見てくれる価値がある発信をすれば、視聴者は見続けてくれます。つまり、視聴者をファン化させることが大事だと思っています。僕のところに集まってきてくれる生徒さんは「ドラゴン先生から学びたい!」と思って来てくれる人ばかりです。
【坂田聖一郎】ですが、僕は特別な人間じゃないし、3年ほど前まではどこにでもいる学校の先生でした。そんな僕でも個人で稼げるようになったので、「まずは黙って3年間やれ」ということを言いますね。みんなそれをやらないで途中であきらめるから、何も得られないで去っているだけです。SNSって面倒臭いですからね。本当にコツコツやる人だけが成功する、というマインドセットを教えています。
――やはり、SNSをはじめ、何事にも近道はないのですね。
【坂田聖一郎】そうですね。「近道はありません」ということを伝えるのも僕の仕事です。結局、すぐに楽に簡単にという思考が努力を妨げる要因なので、毎日、コツコツ、淡々というセッティングをまず半年間でさせていくということが、僕のコーチング塾のベースの考え方です。そして、発信しないと何も始まらないので、そこからスタートさせることも役割です。

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