コーヒーで旅する日本/九州編|常に先進的かつ、考え方は合理的。九州のコーヒー文化の礎を築いた一店、「ヴォアラ珈琲」

九州ウォーカー

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全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも九州はトップクラスのロースターやバリスタが存在し、コーヒーカルチャーの進化が顕著だ。そんな九州で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

「ヴォアラ珈琲 霧島国分本店」。杉板の外壁が印象的

九州編の第14回は、鹿児島県に3店舗を展開する「ヴォアラ珈琲」。コーヒー業界、コーヒー好きの間では全国的に名の知れた店ではあるが、それがなぜなのか、取り上げられることはあまりない。オーナー兼ロースターの井ノ上達也さんが進んでメディアなどに出るタイプではないのがその大きな理由だが、同氏が九州にスペシャルティコーヒーを根付かせた一人であることは間違いない。スペシャルティコーヒーに魅せられた井ノ上さんの半生を紐解いていきたい。

Profile|井ノ上達也
1959(昭和34)年、鹿児島県鹿児島市生まれ。高校中退後。さまざまなアルバイトを経験するなか、かっこいいという理由からコーヒーに興味を抱く。日本全国のコーヒーの名店について書籍から知識を得て、実際に現地にも多く足を運ぶ。その後、福岡市の珈琲美美や鹿児島市のライムライトなどで修業。20代で鹿児島市内に自身の自家焙煎店を開業するもわずか3カ月で店を閉め、ヨーロッパへ。帰国後はコーヒー店などで働き、結婚を機に奥さんの実家の自転車店(瀬戸口近代車)に就職。本業の傍ら自家焙煎を細々と続け、次第にコーヒーが評判となり、1995(平成7)年に「ヴォアラ珈琲」をオープン。

社会の“仕組みと仕掛け”を学んだ自転車店時代

「ヴォアラ珈琲 霧島国分本店」はサイクルショップの「瀬戸口近代車」も併設

九州はコーヒーカルチャーの進化が顕著と冒頭に記したが、その原点には2000年ごろからスペシャルティコーヒーを広めてきた先人たちの活躍がある。九州ではハニー珈琲の井崎さん、あだち珈琲の安達さんといった人々がパイオニアとして広く知られているが、実は「ヴォアラ珈琲」の井ノ上さんが大きな役割を果たしている。

もともと、コーヒーという飲み物に魅了され、業界に入った井ノ上さん。福岡の珈琲美美や鹿児島のライムライトなど、いわゆる深煎り豆をネルドリップで淹れるといった、昔ながらの喫茶店文化を入り口とし、20代で自身の店を開く前にはすでに1キロの焙煎機を所有していたという。

「特別に設計いただいた変わった焙煎機。直火と熱風のハイブリッドのようなマシンで、焙煎のおもしろさに気付かせてくれました。それもあり、ヨーロッパから帰ってきて、自家焙煎店で働いている時は、通り一遍のやり方におもしろさを感じられなかったんです。結婚したこともあり、一度はコーヒー業界を離れました」と井ノ上さん。

就職した奥さんの実家が営む自転車店での経験も後に生きていくことになる。1990年代はディスカウントショップの台頭により、小規模の店舗が今まで通りの経営で太刀打ちできる状況ではなかった。井ノ上さんはその頃からマーケティングに関する勉強会に積極的に参加し、どうすれば大量仕入れ、安売りを武器とするディスカウントショップに対抗できるか策を練りに練った。

「勉強すればするほど、社会は“仕組みと仕掛け”で成り立っていることに気がついたんです。もともとヨーロッパを旅したとき、チューリッヒの自家焙煎店で麻袋に入った60、70キロの生豆を一度に投入して焙煎する様を見て、『豆屋をやるなら、このぐらい大量に焙煎して、それを売り切る店じゃないと成功とは言えない』と考えていて。要は売るものがなんであれ、どれだけのシェアを獲得できるかが重要ということ。自転車店も試行錯誤して、ロードレーサータイプを主とした自転車店としては地域有数のシェアを獲得することができた。だから自家焙煎店を改めてやるときも、その仕組みさえ構築できれば、大丈夫だという自信がありましたね」

余談だが、井ノ上さんのマーケティングに対する考え方は非常にロジカルで、商業界の権威からコンサルティングを本気でやってみないか誘われたこともあったそうだ。

ゼロか100か。いつでも変われることを最大の武器に

「ヴォアラ珈琲 霧島国分本店」は2016年にリニューアル

1995(平成7)年に開業した「ヴォアラ珈琲」。霧島市の国分という小さな町にあり、開業当時、コーヒーを飲む店といえば、ゲーム喫茶のような店しかなかった時代。そんな中、井ノ上さんは豆売りに特化した店を開いた。

「豆売りだけの店だと、ハードルは高くなるのはわかっていましたが、どうしても喫茶店はやりたくなかったんです。豆売り専門ということは、お客さまにコーヒーをご家庭で飲んでもらわないといけないわけですよね。つまり自宅でコーヒーを飲まない理由を徹底的に排除しないといけないんです。これは、自転車店の売り上げを伸ばした経験から、そこまで難しいものではありません。最初は安く売って、その分普通の人の2〜3倍働けば良いんです。ただ、それを続けていると疲弊してくる。そしたら頭を使って、利幅を取るスタイルに徐々に変えていく。これは昔から商売の基本ですから、特別なことは一切していません」

ドリッパーやグラインダーなど、家庭で使えるグッズの商品の販売も充実

店の転機となったのは、1990年代に国連が始めたグルメコーヒープロジェクト。
「発展途上の生産国の経済的自立を促進するためのプロジェクトで、僕もそのプロジェクトの生豆を仕入れることが叶ったんです。当時仕入れたシングルオリジンの中の一つがブルンジ産の豆だったんですが、飲んでみると、すごく甘味が強くて、おいしい。しかも仕入れ値がそれまで商社を通して仕入れていた生豆の半値ぐらいだった。それで、国連のグルメコーヒーだけを取り扱う店にしたんです」

それが意味するのは、いわゆる当時主流だったブルーマウンテン、キリマンジャロといった名前の豆は切り捨てたということだ。

そうやって国連のグルメコーヒープロジェクト専門店となった「ヴォアラ珈琲」だが、ある時から仕入れた生豆の品質低下が目立つようになった。ただ、未知の産地に素晴らしいコーヒーがあることを知った井ノ上さんは、もとに戻ることはしなかった。

「もっとおいしい豆があるんじゃないかと思い、全国各地の有志たちと『珈琲の味方塾』というグループを作ったんです。最初はインターネット上であーだこーだと情報共有する程度のグループでした。僕はその当時、日本初のクラシフィカドール(※1)である小室博昭氏のセミナーにも参加していて、ブラジルにも足を運んでいたんです。そこで、小室さんから日本に林さんというコーヒーの探求者がいることを耳にしました。『珈琲の味方塾』はよりおいしいコーヒーを追求することが目的のグループでしたので、林先生にコーヒーの基本を教えてほしいとお願いし、定期的に勉強会を開くようになったんです」と井ノ上さん。

高品質な生豆に触れ、よりコーヒーの奥深さを知った

そういったアクションが、日本で2000年代初頭に始まったスペシャルティコーヒーブームの一つのきっかけになった。

井ノ上さんは「林先生に、マイアミでスペシャルティコーヒー協会がイベントを行うと聞いて、グループの数人で参加しました。そこで飲んだコーヒーは僕たちが今まで飲んできたコーヒーとはまったく別物で。フローラルな、花のような香りをもったコーヒー。これには衝撃を受けました。こんなコーヒーを扱っていかなきゃいけないと、素直に思いましたね。ただ個人では生産国から直接生豆を買い付けるほどの力を持っていなかったため、グループで共同買い付けをして。その豆を売るためにマーケティング理論、シェア理論といった知識もみんなで共有して、各店少しずつ売り上げを伸ばしていきました」と振り返る。

それまでは、しっかり焙煎香がついた深煎りの豆をメインに販売していた「ヴォアラ珈琲」だったが、スペシャルティコーヒーを仕入れられるようになってからは、生豆のポテンシャルをできるだけ活かす浅煎り、中煎りがメインとなった。つまり、客側からするといきなり店の味がガラリと変わったというわけだ。常連からの反応はどうだったのだろう。

「いわゆるネルドリップで淹れたような、深煎りのコーヒーが好きだったお客さまは離れていきましたね。ただ、カッピングを通してポジティブに味わいを評価することを知り、それが今後の世界のコーヒーのスタンダードになるとわかっていましたから。自分のポリシーに反してまで、迎合はできないというか。それに、深煎りを求めるのであれば、そういった豆をメインで販売している店はほかにもたくさんありましたしね」

理にかなった販売方法を一貫

焙煎機。手前がLORING35キロ、奥がLORING70キロ

新たなファンを獲得し、販売する豆の量を増やしていくにつれ、焙煎機もPROBAT L5キロ、PROBAT UG22キロと、少しずつサイズアップ。現在は熱風式のLORING70キロと35キロの2台を併用しながら、毎日焙煎している。生豆は2つの商社から仕入れ、シングルオリジンのみ常時15、16種をラインナップ。焙煎度合いのレンジは狭く、ほとんど中煎り程度に仕上げている。

井ノ上さんは「深めに焼いた豆も一部ありますが、めちゃくちゃ深いわけではありません。LORINGの焙煎機は深煎りもおもしろいと思っているんですが、僕の技術不足なのか、どうも納得のいく深煎りが作れなくて」と笑う。

1キロと4キロは豆のみの販売で、挽き売りはなし

豆売りは250グラムを最小に、500グラム、1キロ、4キロの4サイズを展開。量をたくさん買うほどディスカウントされる仕組みだ。「うちでは基本的に卸しはやっていないんですよ」と井ノ上さん。

70キロ、35キロの焙煎機を併用しながら毎日焙煎するほど生豆を消費しているというから、てっきり卸し先も多いのかと思いきや、小売りのみという点に驚かされた。井ノ上さんは「例えば、1つの卸し先が売り上げの20%を占めたとしましょう。その状況は会社としては非常にリスキーなんです。単純計算して、もしその注文がなくなったら売り上げが20%下がるわけですから。カフェといった店舗でご使用いただくのであれば、卸値設定にした4キロサイズをご利用いただいています」と説明してくれた。

劣化を極力少なくし、最高の鮮度で客に届ける

1カ月でおよそ4〜5トンの生豆を消費

現在、「ヴォアラ珈琲」では生豆は可能な限り真空パックにした状態で仕入れている。麻袋で仕入れるよりもコストは上がるが、井ノ上さんは原料の鮮度にこだわっていきたいと言う。

「生豆は空気に触れることで酸化し、劣化は早くなります。それで真空パックにこだわっているんですが、さらにうちでは開封した生豆はその日にすべて焙煎しています。このやり方に勝る鮮度管理はないかなと思っていますし、もともとチューリッヒで見て憧れていた自家焙煎店も一度に60、70キロの豆を焙煎するスタイル。『豆屋をやるんだったら、これぐらいにならないと』と思っていた理想形に、ようやくなったかな」と井ノ上さんはほほえむ。

カフェはなく、ドリンクはテイクアウトのみ。カプチーノ(360円)、カフェアメリカーノ(360円)などはエスプレッソマシン、本日のコーヒーはモカマスターで抽出

現在、県内に3店舗を展開し、名実ともに鹿児島を代表する自家焙煎店となった「ヴォアラ珈琲」。井ノ上さんは今後、どのような展開を考えているのだろう。

「次の世代に良い形でバトンタッチすることが大事ですが、コーヒーは農作物のため、気候変動などの影響をもろに受けます。標高によって出来が変わりますし、温暖化といった気温の変化は特に問題視されている。もしかしたら、今後コーヒーの収穫量が激減して、原料自体が手に入らないという事態になるかもしれない。万が一そうなったときに、コーヒー以外にもう1本柱があってもいいのかもしれません。もちろん、まだまだコーヒーの可能性は信じていますが、今はそんなことも考えていますね」

本日のコーヒーは1杯100円。コーヒー豆を1000円以上購入でドリンクサービスも行う


井ノ上さんレコメンドのコーヒーショップは「豆香洞コーヒー」

次回、紹介するのは福岡県大野城市にある「豆香洞コーヒー」。
「店主兼ロースターの後藤さんは言わずと知れた世界一の焙煎士ですが、すごく義理人情に厚い人。そんな人柄にも惹かれますし、なによりコーヒーに対して貪欲な姿勢を持ち続けているのがすごいところ。彼が焙煎した深煎りの豆はやっぱりクオリティが高いですし、同じ焙煎に携わる身として、刺激を受けることも多いです」(井ノ上さん)

【ヴォアラ珈琲のコーヒーデータ】
●焙煎機/LORING Smart Roaster
●抽出/エスプレッソマシン(SYNESSO MVP HYDRA)
●焙煎度合い/中煎り〜中深煎り
●テイクアウト/あり(100円〜)
●豆の販売/シングルオリジン15、16種、250グラム950円〜

※1…コーヒー豆の買い付けや販売、輸出などの商業上の知識に加え、格付けをするための知識、ブレンド製造の技術を身につけた者が取得することができるブラジルの資格制度。日本語ではコーヒー鑑定士と呼ばれることも。

取材・文=諫山力(Knot)
撮影=大野博之(FAKE.)


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