現役女子大生タレント・中川紅葉が今まで以上の脱・保守的エッセイを誓う「“それっぽいこと”を書いても誰も救われない」/ココロすっぴん#25
東京ウォーカー(全国版)

「ココロすっぴん、タイトル変えてぇ〜」とも思った
気がつけば、エッセイの連載も25回目。企画がスタートしてから1年も経っていて、過去回を見返してみると恥ずかしくなったりするし、これが成長かとも思う。24回も書いてるうちに、考えを文字にするのに少しづつ慣れてきて、それと比例するように"思っていたより、自分は人に意見を言える側の人間じゃないこと"とか、"勇気づける文章を書くのが苦手なこと"を思い知らされたり。
「もっと言葉を簡単に書いてほしい」「隠キャアピールが押しつけがましい」と自覚のなかったことを教えてもらい、人からの見え方を1年で意識するようになったし、反対に「ココロすっぴん、タイトル変えてぇ〜」と思っていた。そもそも読みたいと思ってくれる方が読んでくれたらいいや、と思っていたけれど、今は通りすがりの知らない人が目を通してくれたときのことを考えて文字を打っている、気がする。(無意識だった)

大好きな作家さんの書いたお気に入りのエッセイ本がいくつかあるのだけれど、大体その中の言葉たちが刺さりすぎて読みたくないときがある。意思を持って書いてある文章って、読む側の心の体調によっては読めなかったりする。本を読む習慣がある友達とそんなことを夜な夜なカフェで話しながら、自分だけじゃないらしい“その感覚”を忘れたくないと思った。「それっぽいこと」を文字に起こすのは簡単なんだけど、書いている自分も救われないんだよね。いいメロディーでも、よくある系の歌詞が並んでいたら、その曲を聴く意味がないと思ってしまう。そんな感覚なのだ。
顔が出るお仕事をしていると、“言ったこと・書いたこと”と自分を切り離せなくて、文章を書きながら「こう言ったらお仕事が来なくなりそうだな」とか「『イメージ考えて!』って大人に言われるな」と、余計なことが頭をよぎる。
例えば、上の文章中に出てきた「余計」を説明したい。この場合の「余計なこと」とは、書くことにおいての「余計」である。タレント業を行う場合、セルフプロデュースやイメージを考えた発言はとても大事なポイントだと思うし、余計だとは思わない。ただエッセイの場合となると…うんぬんかんぬん、と本当は注釈をつけたい(笑)。

こうすれば、自分のイメージ(?)のようなものを守りつつ、好き放題文章を書けるのかもしれないがなかなか難しい。そして何より、注釈だらけの保守的エッセイを誰が読むねん、とも思う。そして純粋に「この人、人間として面倒臭そう」と思われたくない。
でもみんなきっと利己的で面倒臭くて、それを隠して生きている気もしていて。そんな中、このエッセイに少しでも「分かるぅ」があったら面白いような気もして、なるべく自分の汚めなところを出したいのだ。
それが2年目の目標でございます。脱・保守的!

【ヒトコト】
と、言いつつ、今回もみなさんに「分かるぅ」をお届けできているのか心配になります。別に分からなくても良いんだけどね、別に。でもせっかくなら自分の気持ちを分かって欲しいじゃない?みなさん、そんなことない?あーそっかー、ふぅん。と1人で拗ねたりしながら、エッセイを書いております。
人の気持ちなんて分かり合うのが正解じゃないんだけどね、なるべく分かりたいと思ってしまうよね〜、うんうん。
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