チーム広報が振り返る、名古屋グランパスのJリーグ初制覇の舞台裏《10周年特別企画・前編》

2020年5月22日 11:41更新

東海ウォーカー

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1993年のJリーグ開幕時から存在する10チーム=通称“オリジナル10”の一角であり、東海3県唯一のJ1チームでもある名古屋グランパスが、2010シーズンに念願のリーグ初制覇を果たしてから早10年――。

ド派手なガッツポーズが似合うドラガン・ストイコビッチ監督。選手としても監督としてもクラブに燦々と輝く記録を残す(C)N.G.E.

新型コロナウイルス感染拡大の影響でリーグ戦が長らく中断し、各チームが公式練習などの活動も中止を余儀なくされている非常事態で、リーグ戦再開の時期・形態すらもいまだ不透明な状況だが、“少しでもサッカーが感じられる日常を”ということで、東海ウォーカー編集部では“Jリーグ初制覇10周年特別企画”としてチーム広報部長の梅村郁仁氏にインタビュー協力をいただき、2本の記事をお届けしたいと思う。

名古屋グランパス チーム広報部長の梅村郁仁氏(C)N.G.E.

梅村氏は、2009年に株式会社名古屋グランパスエイトに入社。現在はメディアの取材対応や公式サイトの管理・運営、およびホームタウン活動を統括する人物だ。この前編では、リーグ初制覇当時の様子などを振り返ってもらった。

ファンの心を躍らせた“伝説的英雄”の帰還


ファン・サポーターから愛された、ドラガン・ストイコビッチ監督(C)N.G.E.

グランパスのリーグ初制覇を振り返るうえで絶対に欠かすことができないのが、ドラガン・ストイコビッチ監督の存在だ。

ピクシーの愛称で親しまれ、1994年から2001年に現役を退くまで選手としてグランパス(当時は名古屋グランパスエイト)に所属。伝説にもなっている大雨の中でのリフティングドリブルに象徴される華麗なスキルで日本のサッカーファンを魅力し、クラブに2度の天皇杯(JFA 全日本サッカー選手権大会)優勝というタイトルをもたらした。その一方で、ユーゴスラビア(当時)代表として数多の国際的舞台でも活躍するなど、Jリーグを代表する大物外国人選手の1人だった。

2008年、そんなレジェンドプレイヤーが、監督としてグランパスへ戻って来ることとなった。

「ストイコビッチ監督は、カリスマ性があるというか、非常にオーラを感じさせる方でしたね。たまにお茶目な一面を見せてくれて、人懐っこさも持ち合わせた方でした。現役時代と比べると、監督になってからは選手と少し距離を保っていた印象です。これは立場が違うので当然かもしれません。ただ、もともと細やかな気遣いができる方なので、選手を寄せ付けないわけではなく、折を見て声を掛ける姿をよく目にしました」(梅村郁仁氏、以降発言部分はすべて同氏)

広報としてチームに帯同し、報道陣の取材対応などをする(C)N.G.E.

「ピクシーがやると言ったらやる」――監督就任会見で自信満々にそう言ってみせた“妖精”は、就任1年目の2008シーズン、1993年のJリーグ開幕以来全敗してきた鬼門・県立カシマサッカースタジアムでの初勝利という強烈なインパクトとともに、早速リーグ3位という好成績を残す。2009シーズンはリーグ9位という結果に終わったものの、初出場となるACL(AFCアジアチャンピオンズリーグ)でベスト4入り。
そして迎えた、3年目の2010シーズン。ストイコビッチ体制の集大成として、ファン・サポーターはもとより、選手やコーチ陣、スタッフの間でもリーグ初制覇の機運が高まっていた。

優勝請負人として、2010シーズンに移籍加入した田中マルクス闘莉王選手(C)N.G.E.

「我々広報グループのスタッフももちろん同じ気持ちでした。2010シーズン前には、田中マルクス闘莉王選手、金崎夢生選手、ダニルソン選手など実績のある選手を獲得しました。なかでも闘莉王選手と金崎選手の移籍加入会見は、ヨーロッパのチームのようにサポーターの方に豊田スタジアムのスタンドを開放して行いました。これはグランパスでは初めてのこと。それほど広報としても力が入っていましたし、あのシーズンは選手やスタッフ全員が『優勝するんだ』という気持ちで固まっていたように感じます」

入団記者会見は、豊田スタジアムにファン・サポーターを招待しておこなわれた(C)N.G.E.

闘莉王選手(左)と金崎選手(右)の入団記者会見の様子(C)N.G.E.

当時のチームメンバーについて、「こだわりの強い選手が多くて、取材の調整も大変だった」と笑う梅村氏。実力もある個性派集団を、当時は誰がまとめていたのだろうか。

日本代表でも共にプレーした楢﨑正剛選手(現・クラブスペシャルフェロー兼アカデミーダイレクター補佐兼アカデミーGKコーチ、中央)と田中マルクス闘莉王選手(右)の関係性がよく伝わる一枚(C)N.G.E.

「加入1年目の闘莉王選手だと思います。思ったことをどんどん意見し、存在感を発揮していましたね。その闘莉王選手が兄貴分のように慕っていたのが、楢﨑正剛選手(現・クラブスペシャルフェローほか)です。楢﨑選手はチームでも長い間キャプテンを務めていましたし誰もがリスペクトする偉大な選手でしたが、言葉でグイグイとチームを引っ張るというより背中で語るタイプでした。2010シーズンからは、闘莉王選手が時に感情をむき出しにしながらチームを引っ張り、それを楢﨑選手が後ろから支えるという構図ができ上がりました。長年生え抜きとしてチームを支えてきた中村直志選手(現・クラブアカデミースカウト)や吉村圭司選手(現・クラブU-18コーチ)もいましたし、小川佳純選手は若手とベテランをつなぐパイプ役になってくれました。そういう意味でも、非常にバランスのいいチームだったと思います」

2001年に加入後、2014年の引退までグランパス一筋でキャリアを過ごした中村直志選手(C)N.G.E.

2008シーズンに新人王をJリーグベストイレブンをダブル受賞するなど、クラブに欠かせない存在となった小川佳純選手(C)N.G.E.


アウェイFC東京戦に象徴される勝負強さ


実力のあるベテランと生きのいい若手に、闘莉王選手らの“勝者のメンタリティ”が加わったことで、2010シーズンのグランパスは開幕から勝ち点を積み上げていく。

2009年に加入した三都主アレサンドロ選手は、日本代表としても活躍した(C)N.G.E.

「印象に残っているのが、第17節のアウェイFC東京戦。後半アディショナルタイムに三都主(アレサンドロ)選手のクロスから闘莉王選手がヘッドで劇的弾を決めて、0-1で勝ち切った試合です。それまでなら『引き分けの勝ち点1でOK』とされていたような場面でも最後まで勝ち点3を狙って、実際にもぎ取った。とにかく接戦でも勝ち切る試合が多く、側で見ていてもチームの勝負強さを感じましたね」

2010シーズンのグランパスの最終成績は、23勝8敗3分。引き分けの少なさは顕著だった。最後まで諦めずに勝利を手にする――この年のクラブスローガン“Never give up for the win. ―さらなる高みへ―”を、チームとして見事に体現していたのだ。さらに梅村氏は続ける。

「それに、あのシーズンは一度も連敗がありませんでした。(ミッドウィークの試合で)0-4で川崎フロンターレにやられても、その週末には3-1でガンバ大阪に勝利するなどメンタルが強くて、とても頼もしかったのを覚えています」

偶然であり、必然。ついに訪れた歓喜のとき


湘南戦後の優勝セレモニーの様子(C)N.G.E.

2010年11月20日(土)に平塚競技場(現・Shonan BMWスタジアム平塚)で開催された、第31節・アウェイ湘南ベルマーレ戦。同時刻には2位につける鹿島アントラーズが、J2降格圏に沈むヴィッセル神戸と同じくアウェイで対戦していた。

グランパスが湘南に勝利し、2位の鹿島が引き分け以下ならば念願の初優勝が決まるという状況。だが、“勢いのある鹿島が調子の悪い神戸に勝利し、さすがに今節では決まらないだろう”というのが戦前の大方の予想だったように思う。

2010シーズン第31節アウェイ湘南戦のスターティングイレブン(C)N.G.E.

平塚競技場では66分、途中出場したばかりの杉本恵太選手が持ち前の俊足で右サイドを切り裂きクロスを上げると、走り込んだ玉田圭司選手がヘディングで合わせてグランパスが先制。0-1でグランパスがリードしたまま試合がさらに進んでいくと、グランパスベンチの周辺にいた報道陣の動きが慌ただしくなっていく。

終了間際には、他会場で鹿島が引き分けたことを知ったストイコビッチ監督が満足そうな表情を見せる。当時のテレビ中継でも映し出されたどこか得意気な英雄のその顔は、グランパスのファン・サポーターならきっと今でも忘れられないはずだ。

試合終了のホイッスルを聞き、両手を突き上げるストイコビッチ監督(C)N.G.E.

やがて、歓喜のときは訪れた。主審が3度のホイッスルを吹くと同時に、ピッチサイドにいたグランパスの控え選手たちが一斉にピッチ内に向けて走り出す。その光景を見て自分たちが優勝したことを悟った出場メンバーたちも喜びを爆発させたのである。最終節まで3節を残しての優勝決定は、現在でもJリーグ史上最速記録となっている。

湘南ベルマーレ戦後、マイスターシャーレを掲げて優勝の喜びを分かち合う選手たち(C)N.G.E.

「鹿島さんの調子もよかったですし、正直なところこの日に(優勝が)決まるとは思っていませんでした。メディアの方との事前打ち合わせなどの準備は当然していましたが、心の準備はできていませんでしたね(笑)。試合後には名古屋市内のホテルへ移動してシャンパンファイトをすることになっていましたが、帰りの新幹線ではテレビ局や新聞社から取材依頼の電話が鳴りっぱなし。一方でテレビに出演する選手をグルーピングして内容を説明して…と、バタバタでした。結果、翌朝の午前3:00~4:00ごろまで対応に追われていましたね。クラブとしても初めてのことなのでわからないことばかり。とにかく忙しすぎて、実はあまり記憶がありません(笑)」

ストイコビッチ監督の胴上げ。クラブ初となるリーグ優勝だった(C)N.G.E.

クラブの規模や戦力の面から期待はされながら、2009年まではリーグ制覇の栄冠を手にすることができなかったグランパス。優勝争いにも残留争いにも無縁で、上位チームに勝利したかと思えば下位チームには敗れるという不安定さから、“グランパスには中位力がある”と揶揄されることもあった。しかし、ストイコビッチ監督のもとで悲願を達成。さぞ感動にあふれた時間だったのではないかと問えば、梅村氏は喜びに浸る間もなかったと振り返る。それでも、試合後に到着した名古屋駅での光景だけは忘れられないという。

ファン・サポーターや地域の方々の喜ぶ姿が自分の喜び


アウェイゴール裏に詰めかけたサポーターにマイスターシャーレを見せるストイコビッチ監督(C)N.G.E.

「名古屋駅で新幹線を降りてからホテルに向かうタクシーに乗るまでの間、ほんのちょっとの距離なのですが、大勢のファン・サポーターの方が出迎えてくれました。(優勝の証であるマイスター)シャーレを手に移動する監督や選手にたくさんの声援と拍手を送ってくださって。あの光景は今でも強く心に残っています。グランパスというクラブの存在がこの街の皆さんの喜びになっていると実感して、とても感動しましたね。ひと段落してからも同じように、ファン・サポーターや地域の方々の喜ぶ姿が自分の喜びとなっていたように思います」

それから今日まで、チームは決して順風満帆とは言えず、さまざまな思いが入り乱れる、まさに喜怒哀楽な10年間だったと言えよう。しかし、名古屋グランパスにとって2020シーズンが大きな節目であることもまた疑いようのない事実だ。そして、ここまでの10年がどうあれ、チームが今見据えるべきは未来である。新型コロナウイルスの感染拡大の収束と、シーズン再開が待ち望まれる現在、選手もスタッフも次なる輝かしい軌跡を作ろうとそれぞれが準備をしているはずだ。

「世代交代が進んだ今シーズンは、『自分たちが新しいクラブの歴史を作っていくんだ』といういい雰囲気がありますね。実績のある選手もいますし、今のメンバーなら十分に優勝のチャンスがあると思っています。チーム広報として、その時が来ることを心待ちにしています。10年前の優勝は初めての経験で広報業務に追われてしまったので、次こそは心に余裕を持って、もう少し喜びの瞬間を楽しみたいですね(笑)」

※新型コロナウイルス感染の影響を考慮し、2020シーズンは中断しています。2020年5月14日現在、再開日は未定です

(取材=初野正和/文・構成=吉橋和宏)

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