チーム広報が振り返る、名古屋グランパスのJリーグ初制覇の舞台裏《10周年特別企画・前編》
東海ウォーカー
ファンの心を躍らせた“伝説的英雄”の帰還
グランパスのリーグ初制覇を振り返るうえで絶対に欠かすことができないのが、ドラガン・ストイコビッチ監督の存在だ。
ピクシーの愛称で親しまれ、1994年から2001年に現役を退くまで選手としてグランパス(当時は名古屋グランパスエイト)に所属。伝説にもなっている大雨の中でのリフティングドリブルに象徴される華麗なスキルで日本のサッカーファンを魅力し、クラブに2度の天皇杯(JFA 全日本サッカー選手権大会)優勝というタイトルをもたらした。その一方で、ユーゴスラビア(当時)代表として数多の国際的舞台でも活躍するなど、Jリーグを代表する大物外国人選手の1人だった。
2008年、そんなレジェンドプレイヤーが、監督としてグランパスへ戻って来ることとなった。
「ストイコビッチ監督は、カリスマ性があるというか、非常にオーラを感じさせる方でしたね。たまにお茶目な一面を見せてくれて、人懐っこさも持ち合わせた方でした。現役時代と比べると、監督になってからは選手と少し距離を保っていた印象です。これは立場が違うので当然かもしれません。ただ、もともと細やかな気遣いができる方なので、選手を寄せ付けないわけではなく、折を見て声を掛ける姿をよく目にしました」(梅村郁仁氏、以降発言部分はすべて同氏)
「ピクシーがやると言ったらやる」――監督就任会見で自信満々にそう言ってみせた“妖精”は、就任1年目の2008シーズン、1993年のJリーグ開幕以来全敗してきた鬼門・県立カシマサッカースタジアムでの初勝利という強烈なインパクトとともに、早速リーグ3位という好成績を残す。2009シーズンはリーグ9位という結果に終わったものの、初出場となるACL(AFCアジアチャンピオンズリーグ)でベスト4入り。
そして迎えた、3年目の2010シーズン。ストイコビッチ体制の集大成として、ファン・サポーターはもとより、選手やコーチ陣、スタッフの間でもリーグ初制覇の機運が高まっていた。
「我々広報グループのスタッフももちろん同じ気持ちでした。2010シーズン前には、田中マルクス闘莉王選手、金崎夢生選手、ダニルソン選手など実績のある選手を獲得しました。なかでも闘莉王選手と金崎選手の移籍加入会見は、ヨーロッパのチームのようにサポーターの方に豊田スタジアムのスタンドを開放して行いました。これはグランパスでは初めてのこと。それほど広報としても力が入っていましたし、あのシーズンは選手やスタッフ全員が『優勝するんだ』という気持ちで固まっていたように感じます」
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