コーヒーで旅する日本/関西編|目の前の一人ひとりが求めるコーヒーを日常に。“街のオアシス”「ゆげ焙煎所」が愛される理由

関西ウォーカー

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全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも、エリアごとに独自の喫茶文化が根付く関西は、個性的なロースターやバリスタが新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな関西で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

店先に植えられたスモークツリーは、店名の“ゆげ”をイメージしたシンボルツリー


関西編の第20回は、兵庫県西宮市の「ゆげ焙煎所」。いまやコーヒーショップ激戦区となった阪神間の先駆け的な一軒として、厚い支持を得ている。店主の岡本さんは、スペシャルティコーヒーとの出合いをきっかけに、若くして生産国の訪問や自家焙煎コーヒー店の立ち上げに関わるなど、数々の得難い体験を経て2013年に開店。かつては「大きすぎる理想を掲げていた」という岡本さんが、コーヒーシーンの劇的な変化を体感するなかで気付いた、“目の前の一人のためのコーヒー”の大切さとは。

店主の岡本靖広さん


Profile|岡本靖広(おかもとやすひろ)
1983(昭和58)年、兵庫県尼崎市生まれ。学生時代にスターバックス コーヒー(以下、スターバックス)でアルバイトを始め、一度は他の仕事に就くもののコーヒー店開業を目指して、スターバックスに復帰。京都のスペシャルティコーヒー専門店との出合いを機に、本格的にコーヒーを学び、産地にも足を運ぶ。芦屋のロースター・RIO COFFEEで約2年の焙煎の経験を積んだ後に、2013年、西宮市に「ゆげ焙煎所」をオープン。2019年に夙川店、2020年西宮北口店と相次いで姉妹店を展開。

“カフェ好きのコーヒー嫌い”がおいしいコーヒーに出合うまで

建物の素材感を生かした空間に、北欧のアンティークチェアを配した店内

「10年近く営業してますが、最近になっても、“お店の存在に初めて気づいた”という方もいます」と笑う店主の岡本さん。「ゆげ焙煎所」の近辺は、商売繁盛の神様でおなじみ、“えべっさん”の総本宮・西宮戎神社や市役所などが集まる西宮の中心部。街並みに溶け込んだ、古い建物の面影を残す空間は隠れ家的な趣で、どこか懐かしい雰囲気に心和む。

高校生の頃から自分で店を開きたいとの思いを持ち続けていたという岡本さん。当時からその夢を見据えてカフェ巡りに勤しみ、大学時代は4年間スターバックスでアルバイト。当然、コーヒーにも詳しかったと想像するが、「実は大学に入るまでコーヒーは飲めなかったんです」と、予想外の一言。「味も苦手でしたが、デミタスカップ程度の量でも頭が痛くなることがありました。だから、コーヒーに対しては、おいしいかどうか以前のレベルからのスタートでした」

エスプレッソマシンも、インテリアに合わせたオリジナルカラー


とはいえ、カフェで働くからには、コーヒーのことを知らぬ存ぜぬでは通じない。そこで、岡本さんは、スタッフのマニュアルを徹底的に頭に叩き込み、さらにコーヒー関連の情報を読み漁って、膨大な知識を身につけて業務に対応。大学2年生になる頃には、少しはコーヒーを口にできるようになったが、それでも“おいしい”と思えるには程遠いものだった。

「コーヒーが飲めない分、とにかく知識を詰め込んで、お客さんからの質問にも何とか対応していました。この頃には、社内でのコーヒーの飲み比べなどにも参加するようになりましたが、自分が持っている知識との答え合わせというか、単なる確認作業のようでした。覚えた知識と合致すること=“おいしさ”だと勘違いして、分かったつもりになっていたんですね」

大学卒業後は一度は他の仕事に就いたものの、1、2年で会社勤めが肌に合わないことを感じて再び古巣に戻り、独立開業を視野に入れて再スタート。それでも、相変わらずコーヒーは苦手なままだった岡本さんだが、ここでようやく、“おいしい”と思えるコーヒーに出合う。日本のスペシャルティコーヒー専門店のパイオニアとして、知る人ぞ知る京都・亀岡のロースターでのことだった。

豆はブレンド3種、シングルオリジン6種。季節のブレンドが人気


「この店の存在を知ったのは、まだスペシャルティコーヒーという言葉が出始めた頃、関西ローカルの雑誌で初めて組まれたコーヒー特集の記事がきっかけ。業界でも名人と言われる神戸の焙煎人と並んで、亀岡の店のオーナーが紹介されていて、“こんな人がいたのか!?”と思って直接訪ねたんです。店で飲んだコーヒーはクリーンカップとフレーバーの明確さが段違いで、今まででダントツにおいしかった!何度か通ううちに顔を覚えてもらって、ここで“本物のスペシャルティコーヒー”がどんなものなのか教わりました」

その後も交流を深め、生産地のことやカッピング、抽出などのスキルなど、多くのことを教わったという岡本さん。以降は、SCAJのボランティアやカッピングセミナー、コーヒーマイスター資格の取得など、オーナーに勧められたことに一つずつ取り組んでいった。

コーヒーに対する思い込みを覆した産地訪問の経験

イタリア・ペトロンチーニの焙煎機は、完全熱風で煙がこもらずキレのあるクリーンな味に

一方で、亀岡の店を通じてつながったもう一つの縁が、芦屋のRIO COFFEEとの出合い。バリスタとしてイタリアンバールを手掛けていた店主・八木さんが、折しも新たに自家焙煎のスペシャルティコーヒー専門店を始めようというタイミングだった。「同じ阪神間にいることから新しい店を手伝ってもらえないかと誘われて、2010年から2年ほど、お世話になりました。唐突な展開でしたが、産地を訪ねた経験を持っていたこともあって、運良く採用されたのかなと思います」

しかも、比較的早い段階で一人で店の焙煎担当を任されることになった岡本さん。「当時は、スペシャルティコーヒーの焙煎の知識が、一般的に普及していなかった時代。根本的に今までと違う質の豆に対して、まったく新しい方法で焙煎する技術は、日本中のロースターが悩んでいたはずだと思います。今思えば、限られた情報の中で試行錯誤を繰り返して、コーヒーの味覚に対してお互いに対等に議論する機会をもらえた貴重な機会でしたね」

それまで深煎り傾向だった焙煎度が、極端な浅煎り主流になるなどコーヒーシーン全体が揺れ動く中で、“今日の気候で3キロの豆の場合、どう焼くか?”という細かな設定を1つずつ試して検証。新たなアプローチに一定の答えは得られたが、「変動要素を減らして条件を絞っていきましたが、2年程度の経験では視野が狭く、今思えばまだまだ雑でした。店の立ち上げの時点でもまだ迷っていた部分はありましたね」と振り返る。

バリスタの技術は、競技会のジャッジも務めるRIO COFFEE店主・八木さん直伝


やがて、岡本さんのコーヒーに対する姿勢を見た亀岡の店のオーナーから、「そんなにコーヒー好きなら、産地にも行ってみる?」という望外の誘いに応じて、2010年にニカラグア、11年にケニアの農園を訪問。若くして、生産国の現場を見たことも大きな経験だが、この時、同行したコーヒーのプロたちの言葉が、岡本さんのその後を大きく変えた。

この時のメンバーは、大手コーヒー会社のバイヤーや、日本、韓国の焙煎会社の社長など経験豊富なベテランぞろい。「その中に、素人に毛が生えた程度の自分も混ぜてもらえたのは貴重な経験でした。スペシャルティコーヒーの存在を知ったばかりの当時、“自分もトップクラスの豆を仕入れて、産地に貢献するんだ”と、頭でっかちに考えていました。そんな無知な20代の若造を諭したり、たしなめたりしてくれたのが、一緒にいた皆さんでした。特に、“トップクラスの豆だけでなく、あらゆるグレードの豆を買ってもらうことで、生産者の生活や業界全体が成り立つ。だから、スペシャルティコーヒーを扱うことだけが、正しいわけではない”という話を聞いた時は、殴られたようなショックを受けましたね」

シングルオリジンは時季替りだが、人気のスマトラとエチオピアは産地だけを固定して定番に


生産国の持続可能性は、今もって取り組みが続く課題で、一朝一夕に解決する問題ではない。しかも、まだ情報が少ない中で、産地初体験の岡本さんにとって、当時の最前線を知る人々から受けた衝撃は想像に難くない。「今振り返っても、スペシャルティコーヒーに対する誤解に、すごく早い段階で気付けたのはすごく良かったと思います」。遠く中米やアフリカで受けた、先達の薫陶がなければ、「ゆげ焙煎所」は違った姿になっていたかもしれない。

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