駄菓子を売るデザイナーの仕事って?二足のわらじを選んだ「ヤギサワベース」店主、その理由とこれからの夢
東京ウォーカー(全国版)
店主が目指す駄菓子屋とは?
麻美さんが女将に就いたことで、月曜と火曜を定休日にして、ほかの日は基本的に店を開けられるようになった。すると、それまで以上に子どもたちが訪ねてくるようになり、お店がぎゅうぎゅうになる日も増えた。
開店から2年経つ頃には、もっと広い場所へ移転を考えるように。夫婦それぞれのツテをたどって物件探しに奔走するも、なかなかこれといった物件が見つからない。数カ月経った頃、ようやく「これだ!」と思えたのは、ヤギサワベースの目の前にある物件。いくつの幸運が重なり、無事に物件を借りて、2019年7月に移転した。
3倍ほど広くなった店内には、10円から100円程度の駄菓子がそろう。売れ筋は、「サッカースクラッチ」など当たり券付きのもの。取材の日も、少年たちが併設のフリースペースでくじ付きの駄菓子を食べながら、「当たった!」「外れた!」と盛り上がっていた。
「当たり券付きのお菓子って、コンビニではレジを通せないんで、ほぼ排除されちゃったんですよ。でも、子どもって当たり券付きのお菓子、好きじゃないですか。ほかも、コンビニが置かない商品が売れてますね」
壁際には、駄菓子屋が身近にあった世代なら誰もが「懐かしい!」と感じるだろう10円やメダルで遊ぶレトロゲーム機が並ぶ。片隅にはファミコンが置かれ、「ご自由にどうぞ」。

中村さんによると、ゲーム機の稼ぎ頭は「ジャンケンフィーバー」。ジャンケンをして、勝つとメダルが出てくるシンプルなゲームで、何度も何度も挑んでいる子どもがいた。筆者も40年前、これで遊んだ記憶がある。
「いま僕が目指してるのは、僕にとって居心地のいい空間です。10円ゲームもそうですけど、ファミコンとかゲーセンにあったみたいな電子ゲーム筐体があったりとか、僕が子どもの頃、楽しかった時代の懐かしいもので埋め尽くしてこうと思っています」
約4000人が集う「子ども縁日」
レジの回数でしかカウントが取れず、ほかのお店と違って同じ子が何度もレジを通るので正確な人数はわからないそうだが、中村さんの体感値で1日の最大客数は200人。子どもたちで溢れかえり、店内に入れなくて帰る子がいる日もあるという。子どもを連れた大人も多く、話を聞くと初めて来た人から、地元に住んでいて10回以上来ている人、自転車で15分ちょっとかけて4、5回目という人もいた。地元に密着しているだけでなく、近隣に住む親子の目的地になっていることがわかる。
ヤギサワベースを開いて、10年。開業前と比べてグラフィックデザインの仕事も増えていて、なおかつ開業してからの縁で依頼される地域の仕事が全体の4割に達するという。麻美さんに店番を頼んだときに抱いた「この先、なにかつながるものがあるだろう」という予感が、見事に当たっていたのだ。
例えば、開業した際、取材に来たローカルラジオ局「FM西東京」とも親しくなった。2020年、FM西東京が西武柳沢駅の隣り、田無駅に情報発信拠点を作ることになったときには、「町の特産品を売るアンテナショップの併設」を提案。関連のデザインも担当した。妻の麻美さんはアンテナショップの責任者として就任し、仕入れや販売の仕組みづくりなど運営全般を担当することに。この店舗が黒字で営業を続けていることもあり、今ではFM西東京の取締役を務める。
また、空き店舗活用の事例として注目を集め、シンポジウムなどで登壇するようになった。それがきっかけで、福島県広野町の復興支援事業を手掛ける企業から声がかかり、2023年より現地でのアートイベント、ワークショップの企画、運営などを担った。
さらに、3月12日の「だがしの日」に合わせて、2023年から「子ども縁日」を企画。田無市の神社やお寺の境内を舞台に子ども向けのさまざまなワークショップやショーを用意し、約4000人が集まるお祭りにした。



こうして仕事が忙しくなったこともあり、最近は、児童館で勤務経験のあるグラフィックデザイナーにアルバイトで来てもらっていて、中村さんが多忙なときは本業と店番、どちらも手伝ってもらっている。女将の麻美さんはアンテナショップ運営の傍ら、会計と仕入れを担う。
家賃とアルバイトの給料はデザイン事務所の経費として計上しているが、駄菓子単体の売り上げに関しては、開業以来黒字が続く。
コロナ禍に実感したこと
昨今、子どもたちの居場所づくりとして、社会福祉的な観点から駄菓子屋の存在を見直す動きもある。しかし、中村さんは子どもが大好きとか、地域の子どもを見守りたいという思いから駄菓子屋を始めたわけではなく、あくまで理想は『ALWAYS 三丁目の夕日』の茶川竜之介のような「駄菓子屋のおっちゃん」。
自身が「買い物のとき、店員に話しかけられるのが苦手」ということもあり、子どもたちに積極的に話しかけることもなければ、子どもたちがケンカを始めても、よほどヒートアップしない限り、口を出さない。先述したように、中村さんにとって「居心地のいい空間」を作り、そこに遊びに来る子どもたちを受け入れているという感覚だ。
それゆえ、子どもとある程度の距離を保ってきた中村さんがコロナ禍で店を閉めたときに抱いた感覚は、意外なものだった。
「やっぱり、店番しながら仕事をするのがしんどいときもあるんですよね。コロナ禍で店を閉めて、久しぶりに静かに仕事ができる環境になったと思ったら、なぜかはかどらないんです。締め切りに遅れちゃったりして、すごく変な感じでした」
このとき、「自分にとって駄菓子屋は大切な生活の一部になってたんだ」と実感した中村さんはいま、新たな目標を掲げる。
「あと10年ぐらいして本業を引退したら、専業の駄菓子屋さんになろうと思って。スーパーノスタルジーな駄菓子屋さんを作ってみたいんです。それから、『駄菓子屋さん、始めました』っていうマンガを描きたいですね」
「そのマンガ、売れそうですね」と言うと、中村さんは笑顔で頷いた。

「うん、マンガ家になりたいです」
取材・文・撮影=川内イオ
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