『マン・イン・ザ・ミラー』連載 第7話

東京ウォーカー(全国版)

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「すみません、商店街は何口になりますか?」

改札で駅員に訊ねると、無愛想に「西口」と言ってそちらを目で指し示した。

僕は小さく「ありがとうございます」と言って頭を下げた。

所沢から蒲田まで一時間半近くかかった、ちょっとした小旅行だ。あれほど出不精だった僕がここまで来るなんて自分でも驚きである。『第一回 MJ DANCE PARTY』がここで開催されなければ、おそらく一生来ない場所だったかもしれない。僕はビデオカメラが入っているバックの持ち手をギュッと握りしめた。

蒲田駅西口はロータリーになっている。ちょっと入ると全蓋式のアーケード街があり、古き良き時代の商店街を思わせる。八百屋、パン屋、渋い中華屋、プラモ屋まである。このごろはどの街でも大型店が幅を利かせている。そのせいかここもだいぶシャッターが降りているが、個人的にはこういったお店はいつまでもあって欲しいと思う。

地図を片手にさらに奥へと進む。だが、まだネオンが点く前の無機質なスナックの看板やしなびた雀荘に加え、怪しいアジア系のマッサージ店などが密集していまいちよく分からない。

「おかしいなぁ、この辺のはずなのにな…」

なんだか怖くなってきて、僕は来たことを少し後悔し始めた。

ようやくそれらしきお店を見つけたのは、辺りを二度ほどグルグル回ってからだ。見逃しそうなほど小さな文字で『SOUL BARスタジオ54』と入り口のスタンド看板に書いてある。そこは地下に続くお店で階段の横には無数のポスターが所狭しと貼られていた。何度も剥がされた上にまた新たなポスターが貼ってあり、まるで壁自体がポスターでできているようだ。よく見ると中にはもうとっくに過ぎた日付のものや他店の告知まである。

地下までの道は薄暗く、やっているのかやっていないのか外からじゃ分からない。僕はますます居心地が悪くなってやっぱりやめようかと一瞬身を翻した。

「もしかしてダンパに来た人?」

突然、頭上から声をかけられた。階段の途中から見上げると逆光になっていて姿はよく見えないが、身長の高さと全体的にすらっとしたプロポーションはシルエットからでもよく分かった。

「あ、はい」

やめようと一瞬決意した矢先に声をかけられたので、自分が望んで来たのに見つかってしまったような複雑な心境になる。

「オープンと同時に来るんだね。やる気じゃん」

「え、皆さんは違うんですか?」

「普通、イベントって最初から来る人なんていないよ。おいしい時間になったらみんな集まってくるんだよ」

そう言いながら階段を降りて来た彼女は、僕の近くに来ても大きかった。そして見とれてしまうほど美しかった。

「私、タチアナ。よろしくね」

「あ、BBSで見ました! 僕、I.T.T.O.で一斗と言います!」

「ああ、君がITTOくんなんだー。若いんだね」

「いやー、あの、タチアナさんはオープンから来るんですね」

「私はこの運営を手伝ってるからね」

「え、そうなんですね! じゃ、もしかしてムーンウォーカーのキノさんも知り合いですか?」

「知り合い…そうね。知り合いかな。ま、いいじゃん。中に入りなよ」

そう言うとタチアナはお店の扉を思いっきり開けて中に入って行った。その姿がなんだかとても様になっていてカッコ良かった。僕も遅れずにそのあとについて行く。ここに来たことを後悔していた気持ちはとっくに消し飛んでいた。

中に入ると、いきなり『オフ・ザ・ウォール』が大音量で流れてきた。店内は薄暗く、ミラーボールの光とわずかな照明だけが規則的に辺りの闇を切り裂いている。右手には長いカウンターがあり、様々なカクテル用のリキュールが置いてある。そして後ろには壁一面におびただしい数のレコード。

「すごい」

この「すごい」という自分の声も聴こえないほど店内はマイケルの音楽が大音量で鳴り響いている。よく見るとカウンターの横にはDJブースがあり、レコードが回転している。大きな音で聴くマイケルはまた格別で、レコードで聴くのは初めての体験だった。上手く言葉にはできないが、CDで聴くよりも膨らみがあって温かい音のような気がした。

フロアに目をやると何人かが透明のコップを片手に適当に身体を揺らしている。まだ人数はまばらだ。でも、それぞれがマイケルのアイコンである黒のハットを被っていたり、白の手袋を右手につけていたり、レアなツアーTシャツを着ている。それだけで同志を見つけたようでテンションが一気に上がった。

ふと見るとタチアナがDJブースから顔を出した人となんだか親しげに話していた。少しだけソワソワした。

(DJってカッコいいもんな)

すると彼女が僕に向かってこちらに来るようにと手招きした。

「紹介するわ! このイベントの主催者のキノさん。こちらはITTOくん!」

「おお! 君か! この間BBSに書き込みしてくれたのは!」

キノさんがヘッドフォンを片方だけ外して、ブースから手を伸ばして握手してきた。この人がキノさんか。近くで見ると顔がおっとりしていて優しそうだ。

「ビデオカメラ持って来た!?」

そう言いながら僕にビデオカメラのジェスチャーをした。確かに、これだけ大音量で音楽が鳴っていたら手の動きもつけないとすぐには伝わらない。僕は「はい!」と言いながら手でOKサインを作って返事した。キノさんは、次にかける曲の準備があるみたいでニコッと笑うとすぐにDJに戻った。

カッコいいな、キノさん。というよりも、ここにいる大人たちがみんなカッコ良く見える。僕も早くこんな風に立ち回りたい。

キノさんがすかさず曲を『オフ・ザ・ウォール』から『ロック・ウィズ・ユー』につなげる。最高だ。身体が踊りたくてムズムズしてくる。

初めてのソウルバー体験は、僕を大人の気分にさせた。

「最初の3時間ぐらいはマイケルのヒストリーを振り返るDJタイムなの! それからパフォーマンスタイムがあって、そのあと上映タイムがあるから!!」

タチアナがいきなり僕の耳元に顔を近づけ、手で輪っかを作り、大きな声でイベントの内容を説明してくれた。

ドキドキした。内容ではなくその行為に。しかもなんていい匂いをさせているのだろう。離れたあともまだ香水の香りが僕の顔付近に残っている。

タチアナの言った通り、遅い時間になってくると何処からともなくゾロゾロと人が集まり、気がついたらトイレに行くのも大変なぐらいにフロアがパンパンになっていた。全体の熱量もあがり、そこかしこでみんなが思い思いにマイケルの曲に合わせてステップを踏んでいた。そしてパーティーがピークに達したとき、いよいよパフォーマンスタイムになった。僕はこの瞬間を逃すまいと、バックから持ってきたビデオカメラをそっと取り出した。

パフォーマンスタイムといっても、フロアの真ん中が空けられ、主催者のキノさんが流すマイケルの音楽に合わせて自信のある人だけが踊って脚光を浴びるというものだ。周りでそれを見守る人たちは、声をあげて応援したり、「マイコー」なんて掛け声をかけたりしながら場を盛り上げている。

ところが、いざ勇んでカメラのファインダーを覗いても、みんな格好はバッチリ『スムーズ・クリミナル』だったり、『ビリー・ジーン』で決めているのに、どのダンサーも自分が期待していた以上のクオリティに達していない。周囲の歓声とパフォーマンスの間に気を遣い合うような温度差があった。

もちろん今日はマイケルを楽しむ日であってクオリティは二の次なのかもしれない。それでも僕からすると、どのダンサーも歯がゆいほどに再現力が甘い。

指先の方向、胸に当てる手の位置、ターンの精度、ムーンウォークをするときの足よりも首のスムーズな動き、ポップの固さ、表情、どれ一つとってもみんな違う。

(これでいいの?)

僕はビデオカメラを回すのをやめ、辺りを見回した。

するとキノさんが突然ジャクソンズのマニアックな『シェイク・ユア・ボディ』のリミックスをかけ始めた。

誰もが我先にと『スリラー』や『今夜はビート・イット』などの定番曲は踊るのに、いきなりのレアなリミックス音源に現場は戸惑いを見せた。

「うわ、キノさん。いじわる〜」

タチアナが横でほくそ笑んでいる。

フロアはぽっかりと穴が空いたまま、途端によそよそしい状態になった。

(そういうことか。みんなリミックスに弱いのか)

会場は依然として様子を見守ったまま凍結したように固まって、変な空気が流れている。なんだかみんながそれぞれ誰かのせいにしているようだ。

(どうしよう。僕が行くか。でも目立つのもイヤだしなぁ。けど、やっぱ行くか!)

タチアナに自分のダンスを見せたいというちょっとしたスケベ心が、僕の背中を押した。

「すみません、ちょっとカメラを持っていてもらってもいいですか」

「ん、何?」

不思議そうな顔をしたタチアナにビデオカメラを渡すと、僕は背にしていた壁をバネにして、ぽっかりと空いたフロアに飛び出した。

(第8話へ続く)

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