名古屋のソウルフード「スガキヤ」の魅力と愛され続けるワケとは?綿密なデザインと技術の結晶「ラーメンフォーク」は世界でも話題に!?
東京ウォーカー(全国版)
東海地方で生まれ育った人であれば、おそらくほとんどの人が「スガキヤ」で食事をしたことがあるのではないだろうか。筆者もそのひとりだ。地元・名古屋ではソウルフードとして親しまれ、定番商品の「ラーメン」は、スガキヤ独自の魚介と豚骨のWスープに加え、390円(2023年10月現在)とリーズナブルな価格が魅力だ。
そんなスガキヤでは、「ソフトクリーム」や「クリームぜんざい」といった甘味も数多く取りそろえており、ラーメンと並んで二大定番となっている。それにしても、ラーメンと甘味処という組み合わせは、どのような経緯で誕生したのか。また、東海地方出身の人たちに長きにわたり愛され続ける理由とは。
今回は、スガキヤの店舗を運営する、スガキコシステムズ株式会社(以下、スガキコシステムズ)マーケティング部ゼネラルマネジャーの高岡勇雄さんに話を聞いた。

名古屋の人々においしいものを...戦後の名古屋・栄で創業
スガキヤの始まりは1946年のこと。空襲で辺りが焼け野原となり、家族とともに名古屋・栄の中心地に移り住んだ創業者・菅木清一氏は、食べ物に困る人々を助けるべく飲食店を開業。その後、1948年に屋号を「寿がきや」(現・スガキヤ)にして、店舗展開を開始した。
「現在は、ラーメンを中心としたラインナップになっていますが、創業当時はぜんざい、パン、焼き芋など甘いものを提供していました。屋号がないころは、お客さまから『甘党の店』と呼ばれていたそうです。そしてお客さまが、店舗の向かいにあった中華屋に通う姿を見て、ラーメンを提供するようになりました」


スープは、当時名古屋で人気があった豚骨スープをベースとしており、開発の際は創業者が、いろいろな店舗の味を研究した。そして完成したのが、今もおなじみの魚介と豚骨のWスープだ。また、麺については当初、卸業者から仕入れていたものの、徐々に麺の量を減らされてしまうという苦い経験も。以降、自家製の麺を開発し現在にいたる。
「その後、1969年にユニー大曽根店でのチェーン第1号店出店を皮切りに、1973年には直営店が100店舗、1983年には300店舗に到達し、一気にチェーン化していきました。ちなみにフードコートで商品の出来上がりを知らせてくれる『ソフトコール』、実は弊社が初めて導入いたしました。1980年に、広い店内で『出来立てのラーメンをすぐに食べていただきたい』という想いで導入しました」

コロナ禍で次々に店舗が休業・時短!一方で好調な部門も
現在スガキコシステムズは、東海地方や近畿地方のイオン・アピタといった大型ショッピングセンターのフードコートを中心に、スガキヤの店舗運営を行っている。しかし、コロナ禍において、多くのショッピングセンターが休業や時短に追い込まれたことにより、スガキヤの店舗も少なからず影響を受けた。
「ショッピングセンター内の店舗については、こちらの判断ではどうしようもありませんので、営業の再開を待つしかありませんでした。北陸地方からは店舗の撤退を判断するなど、とても苦しい期間が続きました。ただ、弊社の店舗はランチタイムからアイドルタイムに需要がありますので、規制の対象となっていた酒類を提供する飲食店よりは、影響の度合いがまだ低かったと思います」

一方で、グループ会社の「寿がきや食品株式会社」が販売する、スガキヤのインスタント麺やチルド麺の売り上げは大きく伸びたという。「コロナ禍でも、スガキヤの味を選んでいただける手段を提供できたことは良かったです」と語る高岡さん。今では客足もコロナ前の水準以上となり、ここからは事業を拡大させていく段階だそう。「今後も売り上げを伸ばすための施策を企画していきます」と高岡さん。


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