コーヒーで旅する日本/関西編|レトロな市場の奥で、奈良のコーヒーシーンの系譜をつなぐ「TABI Coffee Roaster」

2022年8月2日 09:00更新

関西ウォーカー

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全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも、エリアごとに独自の喫茶文化が根付く関西は、個性的なロースターやバリスタが新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな関西で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

小さなスペースにカウンターや焙煎機、抽出器具などを収めたコンパクトな店構え


関西編の第24回は、奈良県奈良市の「TABI Coffee Roaster」。店主の田引さんは、西大寺で約40年続いた、自家焙煎コーヒーの名店・珈琲館 煦露粉(クロコ)で長年にわたり焙煎を担当。奈良のコーヒーシーンのキーマン的存在だ。地元で親しまれた老舗の味を受け継ぐ田引さんが店を構えたのは、年季を重ねた市内でも最古参の市場の奥。観光客が行き交う街なかに、ひっそりと開いた小さなスタンドは、コーヒーを通して人と街をつなぐ、地元に根付いた新たな拠り所として欠かせない存在になっている。

店主の田引宏治さんと奥様の裕子さん


Profile|田引宏治(たびきひろじ)
1977(昭和52)年、奈良県大和郡山市生まれ。学生時代にカフェでアルバイトを始め、コーヒー店の開業を目指して、奈良の自家焙煎コーヒーのパイオニア・珈琲館 煦露粉(クロコ)の門を叩く。初代店主から焙煎の技術を学び、11年にわたって経験を積んだ後、2017年、奈良市内で最古参の商店街・椿井市場内に「TABI Coffee Roaster」をオープン。

レトロな市場の奥に隠れた小さなコーヒースタンド

約120年続く椿井市場は、奈良で最も古い商店街の一つ

奈良の玄関口、近鉄奈良駅から徒歩数分。商店街の周りに広がる、古都の風情を残す街並みの中に、ひっそりと開いた椿井(つばい)市場の入口が現れる。昼なお薄暗いアーケードを進み、いくつかの商店を過ぎると、中ほどに「TABI Coffee Roaster」のガラス張りの店構えが見えてくる。「ここは繁華街の近くにありながら生活圏が混在している場所。何より、ロケーションの面白さに惹かれました。奈良は観光の方が多いですが、地元の人も来られる店にしたかったので」とは店主の田引さん。奈良県出身の田引さんでも、開店前まで知らなかったという市場の存在は、まさに街なかにぽっかりと空いたエアポケットのようだ。その中にあって、スタンド形式のコーヒーショップとしては、界隈でも草分け的な一軒。ただ、店構えこそ今様だが、ロースターとしての田引さんの土台は、長年勤めた地元の自家焙煎コーヒーの老舗で培われたものだ。

古めかしいアーケードに入ると、昭和の昔にタイムスリップした気分に


遡れば、「食後のコーヒーを欠かさない家庭で、小さい頃から自然とインスタントコーヒーを飲み始めていましたね」という田引さん。長じて、学生時代にはカフェでのアルバイトを始めたが、当時はカフェブーム華やかなりし頃。「レギュラーコーヒーは店で飲むことが多かったけれど、初めはカフェのアレンジコーヒーに惹かれて、気取ってカプチーノとかを注文してましたね(笑)」と振り返る。その後もアルバイトを続け、一時は会社勤めも経験したが、自分の店を持ちたいとの思いを形にするべく通い始めたのが、当時、西大寺にあった自家焙煎コーヒーの名店、珈琲館 煦露粉(クロコ)だった。

「奈良の自家焙煎コーヒーのパイオニアで、40年以上続くすごい老舗。お洒落なカフェばかり見てきたから余計に、コーヒー専門店独特の世界はインパクトがありました。その頃は煦露粉のスタッフは男性のみ、コーヒーに対するストイックな姿勢が何より強烈でしたね」と田引さん。硬派な昭和の専門店の、職人気質な仕事ぶりを目の当たりにして、本格的にコーヒーを学ぶべく煦露粉の門を叩いた田引さんだが、1度目は叶わず。他の喫茶店で2年を経て、2度目のトライで老舗の一員となった。

【写真】元々設置されていた扇風機を焙煎機の上に移して、豆の冷却に使用


奈良の名店で11年、先達の背中を見て磨いた焙煎技術

中~深煎りはウェーブドリッパー、浅煎りの豆はオリガミと、焙煎度によって抽出器具を使い分ける

煦露粉では、店での営業に加えて、お客にコーヒーの知識と技術を伝えるための講習会が月1回開かれていた。「講習会の内容には焙煎も含まれていて、店にある豆から各々が好きなものを選んでハンドピックし、好みの焙煎度に煎り上げるんです。新人の頃から定期的に、一連の作業を経験できたのは貴重な経験でした。煦露粉の初代は創業してしばらく後に焙煎を始め、方々の店を飲み歩く中で東京の大坊珈琲店に大きな影響を受けたようで、講習会でも最初は手回しの焙煎機から始めました」

手書きの焙煎記録には、1分ごとに温度変化がびっしりと記されている


地道に経験を積む中で、日ごろから「店の焙煎を手掛けたい」という思いを伝えていた田引さん。数年を経て幸運にも焙煎担当に抜擢されたが、実際に仕事として始めると、やはりそこは職人の世界。「初代の焙煎のレシピは門外不出で、そこに近づけるように調整の感覚を覚えていきました。当時は焙煎も深煎り中心でしたから、その頃は初代から“豆はよう焼かなあかん”とよく言われました」。まだ、焙煎機につなげるパソコンなどはなく、温度変化などの数値はすべて手書きが当たり前の時代。田引さんが身につけたアナログな焙煎の流儀は、今でも変わっていない。当時は、店の看板でもあるブレンドの味を忠実に再現することが最重要の仕事ではあったが、時折スポットで入荷するシングルオリジンの豆では、独自のアプローチで焼くことも少なくなかった。

煦露粉で足掛け11年、初代の薫陶を受け、老舗のコーヒーの味作りを担うまでになった田引さんが、独立を考え始めたのは2016年頃のこと。ところが、その意志を伝えた半年後に、建物の改築により煦露粉が立ち退き・移転を余儀なくされるとは、よもや思うまじ。「独立後に、焙煎した豆を卸すことを約束していたので、いきなり大口の卸先がなくなるのは全くの想定外でした。開店当初はしんどい時期もありましたが、奈良で根付いてやっている店として、地元のコーヒーの味を継いでいるという意識は持っていました」

ブラジルベースのTABIブレンド(400円)。軽やかな口当たりと共にほのかな甘みが広がる、クリアな味わい


思わぬハプニングはあったが、煦露粉から譲り受けた焙煎機を据えて、2017年、「TABI Coffee Roaster」をオープン。「煦露粉の後継者として、10年近く初代に焙煎を教わってきた愛着のある機体。今は秘伝のレシピも自分が引き継いでいますが、そこには初代の試行錯誤の跡がありました。その意味では、自分は最初から教えてもらえたので運がよかったといえますね」と田引さん。とはいえ、かつては従業員だったが、開店後はいわば初代と同じ店主の立場。古巣での経験を基本に置きつつも、「通り一遍のやり方では豆のバリエーションに幅が出ませんから、“この豆の個性は何か?”とか、“香りや深い甘味を出すにはどうすればよいか?”と、独立をきっかけに、初めて焙煎のことを真剣に考えましたね」

シングルオリジンのメニューは、上から飲み応えの軽い順に表記

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